賢治先生の北海道修学旅行 3日目 5月20日夜 ビュウティフル サッポロ!
宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。
復命書はこちらです。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/
一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使って函館、小樽と見学しながら車中泊2日の強行軍で5月20日午後札幌に到着、北大植物園を見学し、夕方、札幌駅前山形屋旅館に入りました。
山形屋旅館についてはこちら
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102270000/
(引用開始)
夜は任意散策とせりしも結局職員に於て希望者を引卒することとなれり。白藤教諭は市内に講演約ありて之に赴く。一同は電車によりて中島公園に至る。途中の街路樹花壇星羅燈影等「ビュウティフル サッポロ」の真価は夜に入りて更に発揮せられたり。
(引用終了)
夜の札幌で16才前後の生徒たちが自由行動というのは、ずいぶん自由で大胆ないい企画だと思います。
しかし、賢治先生といっしょに行きたいと生徒たちが言い出します。ほほえましいですね。
なお、白藤先生は講演会のため外出して別行動で、引率は賢治先生ひとりです。
賢治先生と生徒たちは、札幌駅前から市内電車に乗って中島公園に向かいます。途中の夜景が「ビュウティフル」で賢治たちは感動したようです。夜でも花壇に注目しているのも農学校教師賢治先生らしいところです。
写真はWikipediaより、1920(大正9)~1925(大正14)年に製造されていた名古屋電気鉄道1500型電車です。この時代の札幌市電は名古屋電気鉄道の中古車を購入していたようです。推測にすぎませんが、この型の電車に乗ったのかもしれません。
中島公園では、ボートに乗ります。
(引用開始)
一行数組に分れて端艇を借る。生徒等みな初めてオールを把れるもの、当初各艇みな蛇行す。他に市の学生の艇を操るもの数あり、皆笑ひて之を避け敢て冷罵を為すものなし。生徒等之を平原気風に帰せるも統計未だ足らざるを虞る。
(引用終了)
初めてボートに乗った生徒たちは、まっすぐ漕ぐことができません。
札幌市内の学生たちのボートにぶつかりそうになりますが、札幌の学生たちは、笑いながら避けてくれました。
札幌のような広大な平原に住んでいる人は、心も広いのだなあ、と生徒たちは感動したようです。
いっぽう賢治先生は、たまたま寛大な人たちに出会ったのかもしれないし、サンプル数が少なくて統計学的に有意かどうかわからない、と思ったようです。
純朴な生徒たちと、科学者賢治先生の感じかたの違いが面白いです。
写真はWikipediaより中島公園です。
(引用開始)
端艇を下りてより公園音楽堂にて歌唄す。旅情甚切なり。去りて殷賑の場所狸小路の夜店を観る。九時半帰宿寝に就く。羇具よく備はり夢甚円かなり。
(引用終了)
ボートを降りて、中島公園の音楽堂で歌を歌います。賢治先生作詞の「精神歌」や、作詞作曲の「応援歌」も歌ったことでしょう。
当時も繁華街だった狸小路を見学して、午後9時30分ごろ、札幌駅前山形屋旅館に着きました。出発から約48時間、布団で寝るのは久しぶりです。とてもよく寝られたようです。
写真は大正時代の狸小路の絵はがきです。
北海道らしい広い大きな通りに、たくさん商店が建ち並んでいます。生徒たちは、大都会札幌の賑わいにきっと驚いたことでしょう。
次の日は、ビール工場見学です。賢治先生の巨大な知性が大暴走!
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