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菊池信一への手紙を読み解く4 交流した技術者とは?
宮沢賢治から教え子の菊池信一あての手紙を読み解き、賢治の考えや、当時の農業技術について考えます。
賢治の手紙 ともに働いた技術者とは?
書簡239 「1928年7月3日 菊池信一あて封書」 倒れる前の賢治の予定
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202107250000/
「約三週間ほど先進地の技術者たちといっしょに働いて来ました。」
賢治は、1928(昭和3)年6月7日に花巻を出発し、仙台、伊豆大島、東京を中心にまわり、6月24日ごろ帰郷しました。このときのことを書いたのだろうと思われます。
手紙や手帳からどんな技術者とどのような交流をしたのか、探ります。
仙台市 東北産業博覧会 東北帝国大学では
6月7日の宮城県仙台市では、東北産業博覧会を見学しています。主に水産加工品について見学したようですが、先進地の技術者と接触したかどうかわかりません。
また、東北帝国大学も見学しましたが、文学部の教授と知り合いになったようですが、技術者との接触は記録にありません。
茨城県水戸市 県立農事試験場
6月8日は茨城県水戸市の茨城県立農事試験場を見学しています。このとき茨城県の農業技術者と交流した可能性があります。
東京のスルメ加工技術者との交流?
6月12日に、父にスルメの加工法について自分でも充分やれる確信がついた、と東京から手紙を書きました。このころ水産加工技術者と交流した可能性があります。
伊豆大島の伊藤七雄との交流
6月12日から6月14日ころの3日間、伊豆大島で農芸学校設立準備中の伊藤七雄を訪問し、一緒に農作業をし、これからの農業について語り合いました。
宮沢賢治 作 「三原 第二部」3 種まきについて語る賢治
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202107010000/
謎の農産商会
6月17日の手帳に「農産商会及花の用」と書かれています。農産物卸売業で働く技術者や、園芸技術者と接触したのかもしれません。残念ながら詳細は不明です。
謎の農林省、西ヶ原農事試験場
6月19日、20日の手帳から、農林省、西ヶ原農事試験場(現在の東京都北区にあった国立研究施設)を訪問した可能性があります。残念ながら詳細は不明です。
このころの東京周辺での賢治の行動には未解明のことが多くあります。羅須地人協会の活動が警察にマークされていたので、友人知人に迷惑をかけることを恐れて、詳細な記録を残さなかったのかもしれません。面会相手の日記などの資料の発見が待たれます。
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