ライター時代の末期
音楽ライターとしては、レコ屋を退職した後も少し、専門誌を中心にトータルで10年ぐらい活動したんですけど、そっちでももうお声が掛からなくなって7、8年経ちます。
ちょうど、2010年代前後は寄稿してた雑誌が次々と休刊した時期で、「あー、もうこっちも厳しいな」という感覚でしたね。
当時の音楽ライターって(多分いまもですけど)、東京の業界人が殆どなんですよね。
ライナーノーツなんかの、少し大きめの仕事は、ほぼそっちの独占市場で、関西にはほぼ回ってきません。
年功序列と言うか、そもそも仕事の球数自体も少ないから、全部ベテランにいっちゃう、みたいな、そんな感じ。
で。当時はちょうどエモい、内向的なラップスタイルが流行り始めていたこともあり、リリック=英語の内容が分からないことには、レビューを書くにも少ししんどいと言うか、自分的にも書いててもどこか物足りなさを感じ始めてました。
英語が話せない、意味が理解できない、というのが、大きなディスアドバンテージになってきてたんですね。
当時、妻が英会話関係の仕事をしていたので、最新のスラングなどはともかく、これというものだけは翻訳をお願いしながら、なんとかライター仕事をこなしていました。
レコ屋勤めの強み
レコード、それもプロモがクラブヒットの紛れもない最先端だった時期があったんですよね。今となっては、にわかに信じ難い話かもしれませんが。
最新のプロモ、1枚=1曲が大体1500円ぐらいだったかな。レアなものなら1800円とか2000円。
今じゃ考えられないですけど、それが普通だったし、皆そういうものと思ってましたから。それでも、DJはこぞって買っていきましたね、ヘタしたら2枚ずつ。
私も、そんなプロモ、ミックステープやミックスCDで最新のトレンドをチェックしながら、主にサウンドとフック基準でバイイングをしてたし、ライターとしての視点も似ていたんだと思います。
ヒップホップから入って、ネタとしてソウルやファンク、レゲエ、ジャズ、サウンドトラック、イージーリスニングとか、他のジャンルも聞きかじり、サンプリングの面白さ、奥深さにヤラれたクチだったので、レコ屋のキャプションもそっちに寄ったことばかりを書いていたし、一般のお客さんからしたら少しマニアックだったかもしれませんね。
まあ、自分のバイヤー/ライターとしての趣向がサウンドに寄っていたので、サンプリング×派手なフック、いわゆる90年代のニューヨークサウンドが一番好みだったんですね。これはもう、今もだから単に好き嫌いの話なんですけど。
そんな背景をよそに、エモいラップが流行り出した+レコードでリリースされないことも増えてきて、のダブルパンチ。急速に、新譜に興味を失くしていった時期でもありました。
学問か、娯楽か
少し話が逸れるんですが。自分としては、ネタやサンプリングの文脈を、学問的に捉えているところが昔からあって。
ディスクガイドがリリースされれば、資料として必ず買う〜読み漁るのがルーティンになっていたし、それが仕事の一部にもなっていたので。単語を覚えるような感覚に近いと言うか。
また、サンプリングは文脈が分かっていた方が、確実に面白さが増す文化だから、もっと楽しむために、ということもあり、そのテの情報には貪欲でしたね。
ただ。それ故に、ネタうんぬんだとか、文脈がうんぬんだとか、常に左脳的なアプローチで接してしまうと言うか、頭でっかちと言うか。
2000年代は、あくまでローカルではありますが、DJ活動もしっぽりと。
そのDJプレイも、ノリ重視=右脳的なアプローチではなく、ネタ繋がりとかサンプリング繋がりの、理詰め=左脳的なアプローチが多くて。
MUROのミックステープで言えば、SUPER DISCO BREAKSよりもKING OF DIGGIN'、みたいな(まあ、前者も好きですけど)。ダンサーよりも、好事家にウケたい、そんな偏りがあったように思います。自分は、音楽をよく知ってるぞ、みたいな。
ライターとしての名前も本名でオープンに活動していたし、少しそれも意識したプレイを心がけていたと言うか。誰もそんなの、意識してないんですけどね。
レコ屋とDJ
更に、余談ですが。
当時、そんなレコ屋勤めのDJはけっこう居て、総じて皆そんなプレイスタイルが多かったような。
右脳よりも、左脳でDJする感じと言うか、グルーヴよりも知識が先に来る感じと言うか。
今ほどネットにも情報が無かった当時は、レコ屋の現場こそが情報の発信基地だったわけで。
DJに情報提供してたのレコ屋の店員だったわけで、それこそDJはもちろん、その先の一般の方々とはどう贔屓目で見ても、情報量が段違いで。
まあ、こっちは仕事なんだから、当たり前っちゃあ当たり前の話なんですけど。
ニューヨーク在住の現地のディーラーと、最低でも週1ではやりとりするんで、常にフレッシュな現地の情報がアップデートされ続けるので、そんな環境に身を置いていれば、そりゃ詳しくなりますよね。
そんな人が当時は多かったと思うんで、故にDJプレイは皆そんな感じだったのかな、と。
話を戻すと...
そんなアドバンテージが無くなってきたこともあったし、メインストリームが自分的にもあんまり好みのサウンドじゃなくなってきたというのもあり。
ちょうど、EDMが流行り出した頃でもあったし。
ぶっちゃけ、あの頃に新譜を追いかけるのを止めたアラフォーは多かったんじゃないですかね、分かんないけど。
あと、フリーのミックステープの存在ね。
これの台頭で、オフィシャルリリースとブートレグ(リーク)の垣根が限りなくグレーになってきて、レコードの所有欲とかオリジナル志向みたいな、それまでの職人的な世界観が崩壊して、MP3とかインスタント、より手軽な方向に流れていくんですよね。
そんな風潮も、自分的にはあまりノレず。
で、レコード好きの多くは急速に和モノに傾倒していくことになるんですけど、まあそれはまた別の記事で。
書き殴ってくと、なんかバラバラな内容になっちゃいましたが、これはこれで。
ライターを頑張ってた時期の末期の状況が分かってもらえたら幸いです。
それにしても。回想してると、細かいネタを色々思い出してくるな。"ペンは走る"(MELLOW DRAMA@KOHEI & DJ KIYO)、走りまくる。
今日は、こんなところで。