子どもの心の育ちを支える保育
こんにちは現役保育士の路瑠と申します。
保育園で子ども達と過ごしながら子どもに寄り添う保育とは何だろう?と
悩む毎日です。時には「今子どもと心が通じ合った」と嬉しく思うときや
「少しおこりすぎたかなぁ」などと反省することもしばしば‥。
自分自身の勉強のつもりでインプットした学びをアウトプットしていきたいと思います。同じように「子どもの心を育てる」働きをなさっているみなさんのご参考になりましたら幸いです。
子どもの心の育ちを支える保育とは
=子どもの心を育てる養護の働き=
『子ども達の気持ちによりそう』
『子どもの全てを受け止める』
『一人一人を大切にする』このような言葉は保育の業界では非常によく聞く言葉ですが、それが子どもの心の育ちにどのようにつながるのか。
子どもの心の育ちを支える保育とは。
『保育の場で子どもの心をどのように育むのか』の著書
鯨岡 峻さんは「子どもの心を育てるのは養護の働きだ」といっています。
この「養護の働き」とは一体何でしょうか。
私たちは何を意識して保育をするべきなのでしょうか。
① 「心」を育てる「養護の働き」とは
「心」とは何か
「心の中核には「基本的信頼感」「自己肯定感」がある」と言われています。
これは「非認知能力の基礎」としても知られています。
「心を育てる」とは、子ども達の中に「基本的な信頼感」と「自己肯定感」が育つような関わり方をするということになります。
ではそんな心を育てるためには、どのような関わり方が良いのか。
発達心理学者のエリクソンは乳児期に「信頼感」人を信じられるようになるように育てることが大事だと言っています。
そして「赤ちゃんは自分の望んだことを望んだとおりに十分にしてもらうことで、
人を信頼できるようになる」といいます。
また、保育者養成のテキストには「一緒に遊ぶ・スキンシップをはかる・一緒に添い寝をする」などなど、こういった行為をするとよいと書かれているものが多いようです。
しかし、
本来子どもの心を育ているのは、育てる側の目に見えない「心の動き」が
大切ではないでしょうか。
子どもの心を育てるのは行為ではなく育てる側の心なのです。
同じ「抱っこ」という行為をとっても「愛おしい」と思って抱っこを続けるのと、「重いな、早く寝てくれないかな」と思って抱っこを続けるのとでは、子どもの得られる安心には大きな差が出ます。
エリクソンのいうように、子どもが抱っこしてほしいと思ったときに抱っこしてあげたとしても、その時の大人がどんな心の動きをしているのか、
本当に「信頼感」が育めるかどうかは大人の心にかかっています。
また、子どもの自己肯定感というのは、
周りの大人の「あなたが大事」という思いがこどもに取り込まれ
「私は大事」と反転する形で心に定着します。
子どもを大事にする心や慈しむ気持ち、優しく包み込む心、
愛する気持ち、慰める気持ち、こういった大人が持つ心の動きのことを総称して「養護の働き」と鯨岡さんは呼んでいます。
そして子どもの心の中核を育てるうえでこの「養護の働き」が欠かせないのです。
保育所保育指針にも「養護」という言葉が使われています。
鯨岡さんの「養護の働き」と同じ漢字を使っていますが
「養護の働き」が保育者の心の動かし方が焦点になっていることに対して、
保育指針で示される「養護」は、アレルギー対応や、食事の介助、衛生面の配慮など、保育者の「行為」に焦点が当たっています。
泣いている時に抱っこすること・眠れないときに背中をトントンすること。
これら一連の目に見える行為が「養護」だと考えられていますが
保育者は「その子が求めていることに本当に応えているかどうか」です。
その子が本当に求めているものとは行為だけでなく、
その行為の裏にある保育者の心です。
トントンも抱っこも、そこに保育者の「心」が伴っていないと意味がありません。悲しみに共感してくれる・安心して眠れるように優しく見守ってくれる、そんな保育者の心が『子ども達の心の育ち』を育んでいくのです。
保育者が意識するのは
「あなたが大事、あなたのことをいつも気にかけている」という
「人を愛する気持ちになる」ことが大切なのです。
② 『子どものすべてを受け止める』とは
目に見えない子どもの思いを大人が「あなたはこういう思いなのね」と
受け止め、子どもに返していくことです。
子どもが『友達を叩いてしまった。』でも保育者が話を聞いてくれて「こういった気持ちだったのね」と受け止めてもらえた子どもは、自分がしたことの良い悪いはともかく、まずは受け止めてもらえたと感じます。
子どもには自分なりの理由があってそれを保育者に理解してもらえた、
受け止めてもらえたことで自分の存在は肯定されます。
叩いたからといってすぐに叱ったり、禁止したり、制止したりすると、
子どもは自分の行為が良くなかったととらえる前に、自分の存在が否定されたと感じます。
③ 「一人ひとりを大切にする」こと。
「養護の働き」というのは、子ども一人ひとりに向けられるものであって、
集団にあてはめられる言葉ではありません。
しかし保育には「子ども一人ひとりを大切に」と「子どもたちを集団として動かして」の二面性があり常にその間でゆらいでいます。
1日の流れに沿って集団として動かなければいけない場面があります。
また保育者主導で動かなければならない場面も存在します。
その場面場面においても子ども一人ひとりを尊重することが大事です。
保育の現場ではどうしても子どもたちを束ねることに意識が向きがちです。
保育者不足などで余裕がない状態では一人ひとりを受け止めるどころではないというのが正直な心情だと思います。
しかしそんなのは大人の都合であって、
子どもは一人ひとり個性的に違うものです。
アイディアの沸き方も・取り組み方も・楽しみ方も全員違う。
そんな一人ひとりの違いが「困る」ではなく「面白い」に変われば、
束ねる必要がある場面と、個別に対応する必要がある場面の両方があることがわかってくるでしょう。
「心を育てる保育」に切り替えていきたいと考えるなら、集団を束ねる姿勢から、子ども一人ひとりを大切にしていく姿勢へと切り替えることを軸に
考えていくことが良いのかと思います。
④ まとめ
私たちは「心を育てる」事を優先にする必要があります。
子どもの心を育てるのは大人の側の心が大事です。
非認知能力である「基本的信頼感」「自己肯定感」は、
大人が「養護の働き」を持つことで育まれます。
養護の働きとは、子どもを大切に思う気持ち・慈しむ気持ち・愛する気持ち・優しく包み込む心のことです。
保育では「養護」と呼ばれる行為に焦点が当てられがちですが
「養護の働き」と呼ばれる保育者の心の動きこそが
子どもたちの本当に求めていることなのです。
『子どもの気持ちに寄り添う。』
『子どものすべてを受け止める。』
『一人ひとりを大切にする。』
そういった保育者の心のあり方を意識して保育することが、
『子どもたちの心の育ち』を支えていくのです。
『幼児教育の父』と呼ばれる倉橋惣三が「育ての心」で述べています。
「子どもは心もちに生きている。その心もちを汲んでくれる人、その心もちに触れてくれる人だけが、子どもにとってありがたい人、嬉しい人である」
子ども達の心もちに触れようとする、触れてくれる。子どもたちを愛して、子ども達を慈しむ。そんな保育者の心が、子どもにとってありがたい人
嬉しい人なのです。
今回は子どもの心を育てる「養護の働き」について
勉強いたしました。
保育する心をメモした資料ですが、こども達に携わる全ての方のご参考になりましたら嬉しいです。
これからも、保育する心のメモを掲載予定です。
最後までご覧いただきありがとうござました。
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