2時間55分の間に【ショートショート】
川崎から東海道線に乗り込む
行き先は熱海方面へ、熱海から米原方面に乗り換え、
静岡駅のひとつ先、安倍川駅へ
各駅停車で2時間55分。
車は持ってない、免許もない、お金もないから、特急列車は使わない。
あるのは、時間だけ。
車窓は、平塚を過ぎ、大磯、二宮と過ぎると、国府津駅で海が開ける。
駅のホームに広がるこの景色がたまらなく好き。
家族旅行で小田原まで行った東海道線の思い出。
わたしは、今日、思い出の先の世界へ行く。
2時間55分は、彼を振り返るにも、伝える言葉を考えるにも、
長くもないし、短くもない時間。
わたしから彼の故郷まで会いに行くのは初めて。
彼は、学校を卒業して、川崎で就職して、すぐに身体を壊して、黙って故郷に行ってしまった。体は丈夫だったから、壊したのは多分メンタル。
新聞奨学生をしていた真面目な彼が好きだった。わたしも新聞配達のアルバイトをしていた時に知り合った。
友達には『新聞の配達なんて、何でしているの』と指摘されたが、なんでそんなに馬鹿にするのかわからない。
夜中の3時に起きる。
販売所には、タバコをはすにくわえた彼が、慣れた手つきでチラシを新聞の間に挟んでいく。
そこから200部余りの新聞を自転車やバイクに積み、それぞれに、配達のため、散らばっていく。
彼もわたしも、雨の日も、風の日も、台風も、大雪も、毎日孤独に走る。
家々のドアポストまで新聞を届けに。
くわえたタバコと態度は確かにアウトサイダー。
それでも、真面目に働く奨学生。
彼は家庭の事情で働くわたしを可愛がってくれた。
世間知らずとは誰のことだろう。
人の温かさとは、どこから来るのだろう。
配達の始まりはまだ暗い、配り終えるころに朝日が昇。
販売所に戻ると「お疲れさん」と一言、手をあげる人。
販売店のお母さんがよそってくれた朝ごはんを
いただいている新聞奨学生の彼。手作りのごはんの温かさが、
過酷な奨学生の、生活と心を支えていた。
『わたしも温かな言葉で彼に話しかけたい。』
そう想うと、別れるつもりで会いに行くのに、
気持ちが揺れてしまいそう。
2時間55分の旅の間にずっと彼を感じていた。
彼が住む『安倍川駅』に着く。
ここに彼がいる。
わたしはおもむろに携帯を手にして、彼に電話した。
「着いたよ。電話とってくれてありがとう。」
「うん、わかった。車で行くから、改札で待っていて、20分もかからない。」
彼の声は、わたしが思っているよりも明るく感じた。
よかった。
わたしは『綺麗に終わらせるんだ』と誓った。
少し緊張している。
最後までお読みいただきありがとうございます。
読み切りでも楽しめるように書きましたが、
合わせてお読みいただけると、ますます嬉しいです。
楽しんでいただけるように頑張ります。
第一話『そのメールには…。』↓
第二話『幼いままの君を見てるとホッとする』↓
第三話『そうだ、noteに向かおう』の続きのつもりで書きました↓
第四話『わたしの心はこの空のように』
第五話『ねこ。』
第六話
タイトルのイラストは
てんぷらチヤコさんのイラストを使わせていただきました。
てんぷらチヤコ様
ありがとうございます。