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なぜライブレポを残すのか?

noteを始めてから半年ほど、これまで何本かアイドルのライブ・イベントについて書いた「ライブレポート」の記事を上げてきました。
どのくらいかなと数えてみたら17本でした。

noteでこうした記事を投稿していることは友達など何人かの知り合いには言っているのですが、先日こんなことを聞かれました。

「なんでライブレポを書いているの?」

理由は単純、好きなアイドルのことを書くことで自分の心がなんとなく満たされる、いわば自己満足というのが大多数を占めてはいるのですが、それだけでは片づけられない部分もあります。

そこで、今回はそれについて書くとともに、これをいい機会として決意表明的に自分が書いていきたいライブレポの輪郭をはっきりさせてみようかと思います。

アイドルのライブレポは物足りない

5,6年前、僕が比較的マイナーなアイドル(東京女子流やpalet、アプガなどです)を好きになりだした頃、ライブ・イベント後に高ぶった気持を吐き出す場所がほしくてたまりませんでした。

誰かと共有したい。
ただ、ファンになりたての時というのはそれができる相手というのがなかなか居ません。
もっとも、オタク友達が居ないというのは今もそうなのですが。

音楽メディアなどに掲載されるライブレポは、そうした思いをまとまった文章という形に昇華してくれる、思いを共有するのにまさにピッタリな存在だと思われるのですが、さほど一般的知名度のないアイドルのレポはなかなか質的量的に満足できるものがありませんでした。

例えば、当時の東京女子流が行っていた5カ月連続公演についてはこんなレポが上がっています。
書いてある内容は、セットリストや場内の映像などの演出、MCでメンバーが発した主なコメントなどです。

レポを上げてくれるだけありがたいのですが、とはいえ内容としては最低限といったところで、極端な話をすると、蓋を開けるまで喋る内容がわからないMC以外は、事前に構成を知っている関係者であればライブ前に大方書けそうにも思えます。
言ってしまえば、あまりに「情報」ばかりのレポに見えるのです

知名度がそれでもあるほうの女子流ならまだいいほうで、さらにマイナーなアイドルともなるとそもそも体系だったライブレポというのになかなかお目にかかれません。
それはグループの節目となるライブでも例外ではありませんでした。

例えばpaletというグループ。

メンバー2人の卒業ライブという節目、かつ会場が恵比寿ザガーデンホールという、地下アイドルにしては大きめの1000人越えのキャパで開催された「3周年記念ワンマンライブ」にかんしては、検索して真っ先に出てきたのがこのような記事でした。

paletがこの日にライブをしたという事実を伝えるという意味では大いに意義があるでしょうが、セットリストすらありませんし、ここから会場の熱気は読み取れまません。

アイドル雑誌などにたびたび掲載される「ライブレポ」も同様で、そこで記者がどう感じたかということは脇に置かれています。
それよりも、どういうセットリストだったか、なにか特筆する演出があったか、そうした点に主眼が置かれているように見えます。
やはり情報のみに内容が留まっているように思え、これまた物足りなさは否めませんでした。

当時はこうした記事を眺めては、失礼ながら「うっすいなぁ」なんて思ったものですが、こうしたライブレポが伝えたいものは、熱気を伝える文章というよりも記事にセットで掲載されている写真のほうなのでしょう。
文章の役割は情報を正しく伝えればそれで十分、文章はあくまで添え物という考えが前提にあると仮定すれば、こういう書き方になっているのも納得がいきます。

そもそもアイドル雑誌では、ライブレポートの記事中の文章は見開きの隅っこに追いやられる一方で、紙面いっぱいに大写しになっているのはフルカラーのライブ写真です。

プロのカメラマンによる臨場感あふれる高画質なショットは、その鮮やかさにより一目見るだけでその会場に吸い込まれるような魅力がありますし、文章よりも強い説得力をもって読者にその空気を味わわせてくれます。

ステージの様子を伝えるという点では、パッと見でわかる写真というのは文章よりも分がある感じがしますし、とりわけアイドルはビジュアルを売りにしている部分もありますから、写真の果たす役割というのが大きいことは承知しています。

それに、僕は先ほどから「熱気」「空気感」などといっていますが、情報もそこそこに思ったことだけを書いてある文章というのは客観性に欠けます。

また、あまりに内容が込み入りすぎると、ライブに来ていない人はおろかその場に居合わせたファンですら追いつけなく、それこそ記者の自己満足にすぎないんじゃないか、主役はステージ上のアイドルだということを分かっているのかと釘をさされてしまうでしょう。

もっと言うと、そもそも取り上げる対象が世間的には小規模なアイドルのライブゆえ、その記事にこれ以上を望むのも贅沢すぎるのかもしれません。

こうしたことを考えてみると、僕が感じる物足りなさは、アイドルのライブレポの範囲を超えたものであり、「うっすいなぁ」なんていうのはかなりピントがずれた感想なのでしょう。

それに加え、「濃い」ライブレポを強く欲していたのはグループを好きになりたての頃、ろくに情報も知らないような手探りの時期で、ライブに行く回数が増えていくにつれて自分の中で熱気を消化できるようにもなっていました。
良くも悪くも、グループが好きであることに慣れがでてきていのかもしれません。

ですが、熱のこもった「文章」をもってライブの興奮を届けてくれる記事が増えたらもっとうれしいのにな、という思いはどこかでずっと残ったままでした。

TPDのライブレポの充実ぶり

そんなことを思いながら数年経ち、東京パフォーマンスドール(TPD)を好きになりだした時のこと。

この時期お世話になったのが、ウェブ版の「ザテレビジョン」によるライブレポだったのですが、これが他のライブレポとは一線を画していました。

持ち回りで2,3人のライターの方がTPDを担当されているようなのですが、そのうちの一人の方が、どうやら仕事を超えてもうTPDファンの域に達しているようで、その方の書く記事は特に愛あふれるものでした。

セットリストなどはもちろんのこと、6人のTPDメンバー個人個人のパフォーマンスに目を向け、目立っていた・良かった点を並べつつ、彼女らの直近のSNSへの投稿内容や個人配信の内容などにも触れているという充実ぶりでした。

メンバーのパフォーマンスや、その時の会場の盛り上がりの程度については当時現場に居た人達の間でも感じ方には差があるでしょうし、そもそも確かめようのないことです。
正しい情報を伝える、いわゆるジャーナルという定義からは脱線しているように見えるのですが、内容が合っているか間違っているかはもはやどうでも良いことでした。

記事を通して、会場に居合わせた一人のTPDファンの心の動きが見えてくるようで、これが心に刺さってくるのです。
読み進めるうちに、その記事を介し、僕とそのライターの方とで「あそこ良かったですねぇ」とライブ後に語り合っているような感覚さえ覚えてきます。

例えば2年前のとある定期公演での締めの言葉。
最後の5行はこのような文章で締めくくられていました。

それでもまだまだこのスケールのハコで満足してはいけない。

「有言実行」の大切さを脇も説いていたが、なかなか言いにくいだろうからこっちが勝手に言ってしまいます。

2019年は大みそかの紅白歌合戦に出るあなたたちの取材をすることが、私の目標です。どうかかなえてください。

もうこれが2年前の記事なのかと引用しながら愕然としていますが、ともかくこの文章のポイントはTPDの紅白への出場可能性がどうとかではなく、紅白を本気で願うくらい熱量のある本気のファンがここに居るということを示した点にあると思っています。

また、別のライブレポの締めではこんな文章でした。

たぶん、メンバーも誰も覚えてないと思うが、TPDとのファーストコンタクトは4年前の「アイドルお宝くじ パーティーライヴ」へ向けた取材だ。
(中略)

いまだに夢を追い掛けている、というリーダーの言葉を信じ、その夢がかなうための一助になれば、という思いでこれからも追い掛け、彼女たちの魅力を発信していきたいところだ。

これは完全な余談なのですが、この記者の方がTPDの初見だったという「アイドルお宝くじパーティーライヴ」は、僕にとってもTPDを始めて観たライブでした。何か縁を感じます。

今でこそこうした熱い文章は冷静に受け止められますが、ファンになりたての当時は読みながら大きく「うんうん」と頷いてしまうほどには一人で盛り上がっていました。

いつしか、TPDのライブ後に上がるライブレポが待ち遠しくなるとともに、ザテレビジョンのライブレポも含めてTPDのライブなのだと思うようにもなりました。

今でも、当時の記事を読み返してはTPDを好きになった頃の感情に思いを馳せます。
ザテレビジョンのライブレポは、僕のTPD好きを加速させた一つの因子であることに間違いありません。

ザテレビジョンのライブレポを受けて

TPDのライブレポを目にしたことで「こうした主観たっぷりのレポもありなんだな」と思うようになったとともに、主観たっぷりのレポだからこそ熱気が文章の中に保存されることを確信しました。

ライブレポに対する「かくあるべき」というモヤモヤが晴れてくると同時に湧いてきたのがこうした思いでした。

「自分もなにか書くことはできないだろうか。」

ザテレビジョンのまねごとをするつもりもありませんが、主観たっぷりが許されるのであれば自分自身でライブレポのようなものを書いても良いのではないだろうか。

あくまで素人の感想文ですが、書いてみることでライブの観方が変わるかもしれない。ひいてはそれが冒頭に書いた「熱気を共有する」一番の方法になるのかもしれない。

これこそが、僕がライブレポを書いてみようと思い立ったきっかけです。

また、もう少し色気を出すと、グループの勝手な宣伝ということもちらついています。
一ファンとしての個人的な思いを書くことで、そのグループが好きな、あるいは興味のある誰かの目に留って共感してくれるかもしれない。
僕の記事をきっかけにグループのファンを増やしてやろうなんていう壮大な夢があるわけでもないのですが、そうなれば望外の喜びです。

冒頭で書いたことを含め、突き詰めると結局自己満足ではあるのですが、ライトめないちファンが感じたライブの熱をできるだけ残しておきたい、というかすかな思いが、ここまでライブレポを書いてきたモチベーションの一つとなっていました。

では自分のレポは?

ところで、そうした目線で僕のこれまでのライブレポを振り返ってみると、確かに情報よりも主観・感情がメインになってはいるのですが、あまりに曲へのコメントが多すぎるきらいがありました。
思い入れが強すぎる曲のことについてだらだらと書いているものが多く、肝心のステージ上のメンバーがどうだったのかについてはあまり字数を割いていません。

「ライブ後にエゴサしてもセトリや曲をほめるツイートばかり。私たちの存在意義は?」

これは、あるアイドルの方が雑誌のインタビューにてコメントしたことなのですが、僕のライブレポはまさにこれに当てはまる「悪い例」の最たるものでしょう。

くだんのザテレビジョンのTPDライブレポは、ファンのみならずTPDメンバーからも「愛ある記事」として絶賛されていますが、これも記事の内容がしっかりとメンバー個人個人に触れているからでしょう。
一人一人を観ている、という点で血が通ったライブレポになっているのです。

そこで、これを踏まえて、直近のライブレポは曲を端に置いてメンバーのパフォーマンス・ステージングを主に書いてみました。転校少女*のライブです。

これはこれで、一つのライブレポの形としてアリかもしれません。
時系列にしたがってセットリストを並べるだけがライブレポではないでしょう。

とはいえ、これがベストというわけでは決してありませんし、そもそも読者として想定していない(読むわけがない)アイドルにすり寄って書くことにどこまで意味があるのかについてはまだまだ考えないといけません。

また、ライブレポに関しては書き進める中で限界を感じることも多いです。
微妙な感情の動きを言葉にしようとしてもうまく伝わらないばかりか、ありふれた軽いものになってしまうという感覚があるのです。

これからもアイドルのライブレポは書いていこうと思いますが、こうした考えがよぎり、満足できるレポは僕の力では書けないとどこかで結論してしまうかもしれません。

どうなっていくのかはあずかり知らぬことですが、これからも手を変え品を変え実験的に書きつつ、グループの魅力をお伝え出来たらと思っています。

見出し画像出典: TPD公式ツイッターを改変


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