【ライブレポ】KEYTALK 【文学少年の苦悩】
人差し指を下にやる手は少々いらだっているように見えました。
まずは上手の袖を見て一度ベースを指し、続いてはせり上がったホールの後方に対して主張しています。
何かを下にするようにと指示しているようでした。
エアーで動かす手の動きは目に見えて強くなり、苛立ちが伝わってきます。
このジェスチャーの意図は最後までわかりませんでしたが、察するにチューニングをもう少し下に合わせてほしかったのかもしれませんし、ベースの音を抑えて欲しいと言っていたのかもしれません。
少なくとも、ライブを作り出す上で必要な何かに不具合が起きていて、そのことでフラストレーションが溜まっているのは明らかでした。
ついには曲の終わり、MCのタイミングを待たずして歩き出します。
楽器近くで控えているスタッフの方に歩みより、何やら話し込んでいました。
二言三言やり取りし、最後に発した「はい!」という返事に苛立ちはありませんでしたが、大きくうなづいたり口の動きだけで「OK」というくらいで伝わりそうなところを、自分のいたフロア5列目まではっきりと聞こえるくらい大きな声だったところに、ため込んだものを発散するような響きがありました。
7月23日、ギターボーカルの巨匠が受け持つ番組「巨匠大陸」のNACK5開局35周年(くしくもKEYTALKメンバーと同い年です)を祝したライブイベントに出演した際の出来事でした。
KEYTALKのベースであり、ツインボーカルの一翼である義勝はたまに、職人のように見えることがあります。
全員がクリエイターの顔をもつKEYTALKの中で、最も曲を出しているのは義勝です(多分)し、外部からの作曲の依頼も他のメンバーより圧倒的に多そうです。
去年のツアー中、締め切りが迫った作曲のお仕事に頭を悩ませているシーンが何度もKEYTALK TVに捉えられていました。
とはいえ、創り出すものの多さがそのまま職人につながるわけではありません。
作品の数だけでなく、仕事に向かうときの姿勢に他の人以上の矜持を背負っているように見え、それが職人のようだとこちらに思わせるのです。
台風7号がUターンラッシュに合わせて上陸の気配をみせていた8月13日深夜、一連のツイート(ポスト)が話題に上りました。
義勝が某一発撮り系コンテンツをあげつらって批判的なコメントを重ねた挙句、クソだと言いきったのです。
自信がインスタのストーリーに載せた投稿をわざわざスクショしてツイッターに上げ直してもいました。
マネージャーからのお叱りを受けたのか、消しなさいと言われているというポストの後、翌朝には謝罪文が上がりました。
深夜2時頃だったので、自分含め多くの人はリアルタイムで問題のポストに気付くこともなく、朝起きて事の次第を初めて知ったことだろうと思います。
物騒な発言ではありましたが、謝罪ポストによりひとまず鎮火を見たかに思いました。
その時ザワザワしていたのはKEYTALKを中心とした邦ロック好きの一部界隈のみで、KEYTALKを知らない(かつ批判的な)多数の層にまでは届いていませんでした。
まだ身内の範疇といったところで、発言の是非はともかく好意的な捉え方が多かったような気がします。
深夜だったし酒かなにかのはずみで書いてしまったのだろう。
むしろ12万人のフォロワーを抱え、発言によって負う責任の重さを知りながらもこう投稿”せざるを得なかった”状況を案じる声もあったと思います。
ところが問題はここで収まりませんでした。
一番大きかったのはネットニュースに一連が取り上げられたことだと思います。
「人気ロックバンド」が入った見出しとともに上がった記事は瞬く間に拡散され、あらゆる層にこの発言が届いてしまったのでした。
当該ツイートに対し、正義感からなのか直接批判コメントが届くようになったのも(あまり見てはいませんが)このあたりからだと思います。
ボヤにもならない程度で事態が収束するはずが、ネットニュースにピックアップされたおかげでちょっとした炎上となってしまいました。
次第に論点が発言内容とは違う方向に行ってしまい、そちらの方がむしろ盛り上がってしまうというのは炎上したコンテンツあるあるなのかもしれませんが、発言そのものとは直接の関係がない部分への批判的なコメントも目立ってきたように思います。
8月15日、長野 CLUB JUNK BOXでのワンマンライブは、騒動後初めてのライブでした。
2週間後、8月30日にリリース予定の8thアルバム「DANCEJILLION」に収録されているであろう名前も知らない曲の一節が登場SEとして流れるのは、6月から始まったこのツアーのいつもの流れです。
世間的にはお盆。
400人程度がパンパンに入った会場は、前後左右どこにもスペースがないほど埋まっていましたが、新曲に乗って下手からやってきたメンバーを見た途端前に詰めかけ始め、死んでいたスペースが復活し始めました。
右手を上げてPAに合図するのはいつも巨匠。
センターマイクのスタンドは白色です。
ギターの武正は序盤からいきなり「なんか今日は今までで一番熱くなりそうな気がする」と予告していました。
実際その通りでした。
間奏に入り、武正がお立ち台の上でソロの独擅場をかましていると、憧れも含んだ手の数々が今にも弦に触れようかというほどまで近づいてきます。
本来の上手側だけでなく、センターのお立ち台に立つこともありました。
そのたびにフロアは声にならない声で応えます。
巨匠は缶のお酒を片手に、相変わらず首を激しく振りながら”カッコよさ”を定義していました。
恐らくもうツアーファイナルまで切らないであろう長い髪を結った義勝も、いつもと変わらないように見えます。
力任せにベースを操る掌には血管が浮き上がり、冷静さの中に時折笑顔が見えます。
どの曲だったか記憶が曖昧なことと、まだツアーが続いていてセトリのネタバレが厳禁であることから曲名は出しませんが、「くだらない世の中(ニュアンスです)でも」のような歌詞をやや裏返りながら歌っていたところには、本心が透けて見えるような気がしました。
中盤からいよいよ汗が止まらなくなってきました。
拭いても拭いても流れ出てきて、近くの方に申し訳なくなりました。
飛んでいないことを願うばかりです。
ドラムの八木氏がバスドラを叩くと、その振動が熱波に変わってこちらにやってきました。
余計汗が出てきます。
“あの件”は何回目かのMCで触れられました。
「あれ?義勝さんなにかありましたっけ?」
武正がこう聞いたことをきっかけに義勝がこう返します。
「いやーお騒がせしました」
文章だと雰囲気が伝わりにくいですが、現場の空気感としてはさほど深刻なものではありませんでした。
MCであのポストのことに触れるだろうなというのは予想していましたし、そこで残すコメントが本格的な謝罪ではないことも分かり切っていました。
もっともこの件、今更何を謝罪するんだという話しなわけですが。
おふざけと言ってしまっては微妙かもしれませんが、ミスした義勝をイジり、本人も頭をかきながら「やっちゃいました~」と、そんな具合です。
KEYTALKの魅力は、30代なかばでありながらもなお残る少年っぽさにあります。
逆にこの場でかしこまって大人しくなってしまうのはあまりにもKEYTALKらしくありません。
やってしまったのは法に触れることでも何らなく、少々表現がキツかっただけのことです。
野次馬を除き、この場に咎めるような人はいません。
あとはもう会場のみんなで笑って過ごせばそれでいいじゃん。
「(自分は)歌が下手くそでゴリゴリに修正しているけど...笑」
緩やかな空気の中、笑い声が漏れます。
「お騒がせしたけど...」
義勝のコメントはただでは終わりません。
「その100倍お騒がせするアルバム(ダンスジリオン)を作ったんで!」
ここの正確な表現は覚えていませんが、ともかく炎上を逆手にとった販促コメントで綺麗に締められました。
いつものKEYTALKと変わりません。
義勝をはじめ、4人とも元気です。
後々考えてみると、誰かがもう少しこの件を突っ込もうとしたのに、流れをぶった切るようにして義勝が「はい次!」と早々に曲振りしたのは少し気になったのですが...
いつもは持ち時間いっぱい、むしろ多少押してしまうほどMCのやりとりをしているような彼らが、この日はわりとあっさりとしたコメントで終わっていたのも違和感といえば違和感でした。
それでも、ライブは滞りなく進んでいきました。
巨匠の歌声は男らしいのですが、包み込むような優しさもあります。義勝はPAとの相性もよく聴きやすさが断然違いました。
「初めての人ー!」といつものごとく武正はフロアに尋ねます。
ちらほらと上がった手はすぐ引っ込んじゃったのですが、「ほら、恥ずかしがらずにちゃんと挙げて!」と煽り、巨匠はそのひとりひとりと目を合わせながら軽く挨拶をしていました。
やけにメンバー間でのコミュニケーションが多かったような気もします。
巨匠が義勝のマイクを使って歌ったり、竿隊で向かい合ってセッションのような時間が生まれたことも、今まで無くはなかったかもしれませんが珍しい部類でしょう。
最後の曲はいつものごとく巨匠がフロアにダイブ。
盛り上がったわりにこの日はダイブする人がラストまでいなかったと思うのですが、この曲では流石に飛び始めていました。
汗だくになり、髪の毛をクシャクシャにしたメンバーが手を振りながらはけていきます。
ただ一人、お立ち台から離れないメンバーがいました。
義勝です。
いつも最後まで残るのは八木氏のイメージですが、流石に今回は多少お騒がせしたから長めにとどまっているのでしょうか。
持ち場である下手側のお立ち台に立っています。
義勝はどういうわけか、腕で顔を覆い、下を向いていました。
拍手と掛け声が響く中、なかなか顔を上げようとしません。
顔を上げられないまま10秒以上経っています。
泣いているようにも見えますが、こちらからではよくわかりません。
正直なところ、自分はこの仕草をふざけてやっているのかと思ってしまっていました。
これはウソ泣きで、そのうち顔を上げて変顔でもするのではとどこまでもお気楽な傍観者として新喜劇的なノリを思い浮かべてしまったのですが、シャレにしては長すぎる時間顔を上げなかったのを見てただならぬことに気づき始めました。
しばらくして義勝はようやく顔を上げました。
目は真っ赤に充血していました。
下を向きながら、手を振ってフロアを後にしていきます。
後でパプサした情報を併せても、涙を流していたのは間違いなさそうです。
その姿を見たとき、なぜかホッとしました。
義勝のアーティストとしての感受性はまだまだ死んでいないのだと思ったからです。
自分の大好きな漫才師は、炎上が代名詞のようになっています。
芸風が今の時代にそぐわず破天荒でハチャメチャなこともあり、テレビやラジオでの行き過ぎた発言や行動に対し、放送のたびにお叱りのコメントが無数に届くのです。
ここ10年くらいにかけては、特に問題になるようなことをしていないにも関わらず、テレビに出るだけで批判的なコメントが多く飛ぶようになりました。
見ているだけで不快という究極のレベルです。
35年間のキャリアで、ここまで炎上してきた芸能人もなかなかいないでしょう。
もっとも、本人はブログやSNSアカウントといった、非難にさらされる種を持っていません。
そのため、ネットでいくら炎上しようが彼の元には直接届かないはずです。
だから今でも好き勝手なことをし続けられるのかと思いきや、意外にもそうではありませんでした。
漫才のネタ集めという側面もあり、彼は結構こまめにネットをチェックしています。
ネットニュースのコメント欄や某掲示板に書きこまれていることを案外ちゃんと見ているのです。
中には全うな指摘や意見を越えて明らかな誹謗中傷のものもあります。
そうしたコメントも彼はちゃんと目を通しています。
そして、苦悩する他の芸能人と同じように彼もまた、傷つくのです。
指でタバコを挟み、頭を抱え、「どうすりゃいいんだ...」と本気で落ち込むのです。
危険な言動をしたらネットで叩かれ、それを見た自らが落ち込むことは容易に想像できそうなのに、ではどうして炎上するようなことをしてしまうのかという疑問が生まれてきそうですが、この事実を知ったとき、これこそ自分が彼に惹かれる部分なのだと気付きました。
ネットの言葉にいちいち傷ついてしまうくらい繊細な心の持ち主だからこそ、これまでの作品があるのだと思ったのです。
大好きな芸人さんで、これ以上傷ついてもほしくはないのですが、売れっ子芸能人だからと心にベールを纏うことなく、我々小市民と同じように小さなことでくよくよする人だからこそ、漫才に笑わせられて本の表現にうならされるのでしょう。
話が横道にそれてしまいました。
爆笑問題の炎上に比べたら今回の義勝の騒動なんてさして大きな問題ではなく、このタイミングで記事を出すこと自体やや遅れている感があるのですが、長野で義勝の涙を見たときに、ふとこのことが頭をよぎりました。
(もっとも、涙の真意のなかに炎上のことがあったかは分かりませんが)
アーティストや芸人のように自らのセンスを売り物にしている人達は、思い込みすぎと言われるくらい感受性に富んでいないといけないものなのかもしれません。
その前提に立った時、涙を見て安心感がやってきたわけです。
まだまだKEYTALKは錆びついていない。
義勝は本気で今後の音楽業界を憂いていたのだと思います。
全面ガラス張りになった密室に入り、何万人、何十万人がそこにはりついて見ている見世物のような状態の中、寸分の狂いもなく音を奏でている(ように見せかける)こと。
売れるための選択肢の一つであればまだ問題ないですが、次第に登竜門的な扱いになり、出ていないことに対し「なんで出ないの?」「出られないの?」と言われてしまう世の中になってしまったら、特に若手にとってはこれほど苦しいことはないかもしれません。
自らを偽り、かりそめの笑顔を作ってこのエンタメに耐えうるようにならないと世に出られないのかと落ち込む若手もいるはずです。
大げさに捉えれば、道を断つ人もいるかもしれません。
感じていることをネットに放ってしまったのは計画的ではなく何かの弾みだろうなというのは、その後の反応から察しましたが、そうした思い自体は常日頃抱えていたのだと思います。
宅録が珍しくなくなった今、スタジオにこもって音作りするのは非効率だという声がどこかから聞こえてきました。
それでもKEYTALKは愚直なまでに音にこだわっています。
昨2022年にリリースした「KTEP4」の収録の様子ですが、ギターの主旋律ワンフレーズ一つとってもかなり繊細なやりとりで音を重ねているのが分かります。
「落ち着いた...?」「なるほどね、落ち着きすぎないけどさっきまで行かない感じの」
こんな会話は、少なくとも打ち込みでは生まれてこないはずです。
冒頭に上げた、巨匠大陸で見せた義勝の苛立ちも、それを表に分かりやすく出すべきなのかという議論はさておき、感情を隠しきれないほどに音やライブに拘泥していることの現れなのでしょう。
ライブハウスに行けば、狭いスタジオにこもって追求し続けた彼らの生の音が分かります。
矜持がもっとも分かりやすい形で現れたのが、巨匠大陸にて義勝が指示する姿でした。
ファンとしては、KEYTALKには「老いぼれサマー」を出すまで足を止めないでいてほしいと思っているのですが、そのためには職人・義勝の感受性は大切になってくると思います。
タイトルにある「文学少年」とは、義勝のかつてのあだ名(?)です。
インディーズの頃に自称だったりよく言われていたようですが、今ではあまり聞かれなくなりました。
自分は、義勝の生み出す叙情的なメロディーや歌詞が大好きです。
見守ることしかできないけど、ずっとこの感性のままでいてほしいと強く思った、長野の帰り道でした。
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