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【ライブレポ】FC設立10周年記念ワンマンライブ広がる広がるKEYTALKの輪 〜さぁ輪になって踊ろう〜

少なくとも自分は、ライブを観るためにここにきました。
全20曲の感触は、翌日の右腕の小さな張りに残っています。
ライブのために来て、ライブで満たされて帰ることができました。

2024年7月15日。
4人組ロックバンド・KEYTALKが渋谷ストリームホールにてFC開設10周年記念ライブ「広がる広がるKEYTALKの輪 〜さぁ輪になって踊ろう〜」を開催しました。
奇跡のような整理番号をゲットし、上手側の最前で見ることができました。
開設当初からFCに入っていたわけでもないのにこんないい番号とは、なんだか身に余る気がしますが、それだけに見落とすことがあってはならないとあちこちに目を凝らします。

開演。キャパの割にはスムーズに入れ切ったと思います。
時計は見ていませんでしたが、恐らく定刻18:00ほとんどピッタリに始まったのではないでしょうか。
SEもなく、明るくなったステージに音もなく武正を先頭にメンバーがやってきて、マイクを取った武正がひとり喋り出したところの後のシーンから書き出してみます。

sympathy」から始まったライブ、わっと声がどこからか出てきた気がしました。
FCライブで10年間募ってきた曲の中から厳選されたセットリスト、この日は意外さと待望から漏れる声が何度も聞かれました。
DROP2」では最前への圧縮を覚悟していたのですが、思っているより来ませんでした。
というかこの日はほとんどなかったような気がします。
義勝がいつも言っていた「ワンツー!」の掛け声は、この日はフロア全体から聞こえてきました。
配信を通すとどうしてもボーカルや楽器の音だけに支配されてしまい、音の拾われないフロアがどうしてもしんとなっているように聞こえてしまいがちですが、ワンツーをはじめ、いくつもの感情に由来するであろう声援はこの日何度も聞こえてきました。

マキシマムザシリカ」あたりから、うすぼんやりとしていた視界がふっと明るくなってきた気がします。
遠慮がちだったステージとフロアの血行が良くなってきた感覚です。
もともとこの曲にあった希望の塊のような音がヒーローのように、なんとなく沈滞していた雰囲気を明るくしてくれました。

八木氏は首を縦にグラグラ揺らしながら一心不乱にドラムに向き合っています。
表情を見ようと何度も試みましたが、長い前髪に隠されてあまり見えません。
たまに見えたかと思ったら、目を開いて巨匠と武正のほうをすがるように見つめています。
穴の開くように、とはあの時の八木氏の表情をまさしく現わしている表現かもしれません。
口を大きく開けているのですが、ボーカルに合わせて歌っているようでそうでもなさそうです。
同期用のオケを流す用なのか、フロアを背にしたMacbookが八木氏の近くに置かれていました。
アップルのロゴのところには、4人をかたどったモンスターのシールが貼られていました。

「僕は主人公の~」のところの「は」の発音、最も音が高くなるところで巨匠は苦しそうに歌います。
かつて「この曲ほど自分を歌っている曲はない」この曲、弾き語りでもよく聴く巨匠曲なので間違いなく他の曲より歌い慣れているはずですが、スルスルと歌いこなしてきたこれまでと比べるとやや窮屈そうです。
窮屈そうなのですが、それがまた途上にある歌詞の世界を映し出しているようで、印象的な違和感でした。

ワルシャワの空に」は冒頭から少し走り気味。
照明の乱雑さの演出もあり、音が不規則に飛んで行っている感じでしたが、振り返ってみるとこの曲を挟んだ「ロトカ・ヴォルテラ」「テキーラキラー」あたりの「Rainbow」ブロックが一番締まっていたような気がします。
フロアの高揚とステージの熱とが、見事にかみ合っていた。
配信を通して見ても、メンバーの表情が豊かになってきだしました。

渋谷ストリームホールはTPDのライブなどで何回か行くことがあったのですが、いくたびに音と照明の綺麗さに圧倒されます。
加えて非常に綺麗です。
オープンしたのは6年ほど前ですが、使いべりせず未だ新築の香りを残し、丁寧に使われてきたことが伺えます。
広い天井に何列にも連なって整列した照明はたびたびメンバーを照らしますが、あえて引っ込むことでシルエットを浮かび上がらせているところもありました。
それでも、カンデラ数はかなりしぼっているはずなのに、その像ですらとても綺麗です。
対角線上にあたる巨匠を何度も見ましたが、そのたびごとに違う色がついた暗闇の中で歌うシーンが印象に残っています。

フロアの後ろから見ていたなら、照明が絞られたとき、横の壁にメンバーの影が実像の何倍にも増幅されて現れているのがよくわかったのではないでしょうか。

武正は「DROP2」の早めのサビを巨匠と一緒にあわただしく歌っていたり、曲によってはところどころ加勢しようとしていたのですが、ゴ会色を避けるためなのか、口の動きに反して実際に聴こえてくる音はそこまで大きくありませんでした。
本気を出したら巨匠の声を邪魔してしまうから遠慮したのかな・・・?と思っていたのですが、2回目のMCです。
「FLAVOR FLAVORの時とかさ、声マジでやばかったよ?」
巨匠が武正に「自覚ないと思うけど」というテンションで切り出したのでした。
アンプを通してはよくわかりませんでしたが、イヤモニ越しにはかなり聞こえていたようで、蒸し返しの苦情でした。
確認のために改めて武正が歌いだしたときには八木氏も「●される・・・!」と悶絶。
巨匠の言葉を聞いて思い出したのが、気になるシーンがありました。
どこかの曲の間奏で巨匠が弾きながら、上手袖のスタッフに向かってマイクのジェスチャーと、それを下げるように指示していたのです。
いきなりアンプが不調になったのに重なって今度はボーカルのボリュームに違和感があったのかと思っていたのですが、MCの話を聞くにどうやら武正のコーラスをカットしてくれというリクエストだったようでした。
空気が少し和みました。

そんな武正も、ギターを手にすれば職人のよう。
表情厳しく考え事をしているように弦に向き合い、未経験者からすると手品のように音を繰ってみせます。
至近距離でまじまじと見ると、こんなせわしない運指だったのかと改めて気付かされます。

曲が終わるたび、暗転していくステージの上で巨匠は小さく「ありがとう」と呟き、八木氏はその巨匠を見ながら次の曲への間合いをはかります。
時折水を飲み、巨匠がドラムのほうにむかって小さくうなづくと八木氏がスティックを振り上げ、左足を踏み出しました。

この日の一つのハイライトと言っていいでしょう。
アワーワールド」。
バカ騒ぎの感がようやく戻ってきました。
無心になって両手を上げ下げしていると、くすぶっていた個人的な悩みもその一瞬だけはどうでも良くなる気がします。

なんだか心が乾いて 涙も出なくて
他のみんなみたいにうまく笑えないときは
不思議なあなたのこと ねぇ おしえて

この曲だったか、アウトロにかけてリズム隊がクレッシェンドしながら加速していった気がしていて、最後に山を作っていくようなアレンジの仕方もあるのだと知りました。
音源ばかり聴いていても気づけないことはたくさんあります。

アコギに持ち替えた「さよならを。夏、」。
歌詞通りふわっと揺れる甘い香りのようなゆったりとしたメロディに乗り巨匠が歌いだすのですが、1Aメロでハッとしました。
義勝っぽい歌い方になっている。
もとはかれのパートですが、マイクに絡みつくように歌っている巨匠の歌声に変化を感じたのでした。
息が多く、横に開いた口から漏れる優しげな歌い方は義勝のそれに近い気がします。
それも、ソロで弾き語りをしているときの歌い方です。
自らのオリジナルのパートに戻るときは巨匠の普段の声になっていたので、意図して変えたのかもしれません。

そしてこの曲のことを書かずにはいられません。
最終盤で披露された「アオイウタ」。
荷物を置いて旅に出ていく開放感もありつつ、同時にものの儚さや切なさもなぜか感じる曲です。
曲の情景はタイアップ先の事情もあり青で統一され、だからなのか青にまつわる様々な感情が刺激される気がします。
聞いていると肉体的な旅だけでなく、心を遊ばせているような気分にもなりますし、日常のあれやこれやを許してもらっている気にもなる。

対バンでもフェスでもワンマンでも、どのライブでも変わらず待ち焦がれている曲というものがあります。
ライブの種類からしてもしかしたらこの日はあるのではないか。
やっぱりなかった。
この繰り返しです。
夕映えのように最後を締める曲でもないですし、やるとすれば前半から中盤のイメージです。
大体のライブでは、セットリストの流れを汲み、全ての曲目を聞き終わる前に今日は無いであろうことを察することができます。
もちろん他の曲も好きだけれども、どうしたって聴きたい。
執着に似たこだわりをもって求めてきた曲が、自分にとってはアオイウタでした。

ただ、いつもは「やってくれるかもしれない」という細い糸のような希望とともにライブに臨むのですが、この日ばかりはその糸もいつも以上に細くなっていました。
というかそもそも、状況が状況だけに期待をしていませんでした。
珍しく可能性を頭から外していたこの日、それも後半の後半に聴くことができるとは。
ギターが目立つ入りの音を聴いたとき、曲に似合わない衝撃を覚えました。
顔を上げられない。
特等席で聴けたことの喜びはもちろんのこと、予期せぬところからやってきたことへの驚きなど、身体を曲げなければ耐えきれないようなものが一身にふりかかってきた感覚です。

巨匠の歌う、音源より食い気味の「ずっとずっと」も性急な青さを感じて素晴らしい。
以前、弾き語りライブでリクエストして歌ってもらったことがあったのですが、その時は酒が入っていたからなのかテンポを2段階くらい落としてのハーフコーラスでした。
この日の水分はドラムセット横のペットボトルの水のみ。
お酒を入れていないからか、原曲よりやや速かったテンポでも乗り遅れていません。
ボーカル2人の掛け合いがあるので、「テキーラキラー」と同じくらい義勝不在をモロに感じてしまうこととはなりましたが、その上で数ある曲の中から選んでくれたことに感謝です。
フェードアウトしていく時、楽器の音がたなびく飛行機雲のようにいつまでも消えず鳴っていました。
確実に小さくなりながらも、消えずに残っています。
とりわけギターの音が狭い空間をぶつかりながら尾を引いていく様子は、いつまでもこの場所に居たい心情を映し出しているかのようでした。

そして「九天の花」。
打って変わってパチパチとした赤紫の照明が明滅しだします。
自分も声を出しましたが、この曲はいつかかっても「やったー!」という声がどこかしらから聞こえてきます。
野音の初披露以降、ファンの需要をようやく分かってくれたのか頻度が高めな気がします。

アンコールは本人たちも想定していなかったそうです。
拍手に押されたのもあるのかもしれませんし、このまま終わるのも気持ち悪い、消化しきれない何かがあったのかもしれません。
予定もしていなかったので当然曲も決めておらず、フロアから募る流れになりましたが、ここですかさず「Summer Venus」とリクエストした方、冷静になった後から振り返っても凄いなと思います。
20曲終えてもどこか残るもやっとした空気を振り払うには、底抜けの明るさが必要。
サマビをコールされるまで、そのことに気付きもしませんでした。

もちろんそれに応え「同期無し、俺ら3人の音だけででやってみようか」とノリ良くやってくれた彼らもすごいです。
フロアの拍手がタクトとなり、ドラム、ギターと順序良くなだれ込んでいく様は、フロアとステージとの共同作業に他なりませんし、恐らくそこまでテンポが崩れていないのも全員の体内時計を感じます。

巨匠だけでなく、武正も脱ぎたそうにうずうずしているように見えたのは気のせいでしょうか。
アンコールから配信をばっさり切る合図をしたのも武正でした。
映像に残らないのをいいことに、どうやら脱ぐ気マンマンのようです。
そしてラスサビ前、長尺の間奏。
いつもなら巨匠が腕立てや一気飲みをするところ、この日は若干のためらいがありましたが、気付けばシャツに手をかけ、上裸になりました。
巨匠だけではありませんでした。
ドラムセットの向こう、八木氏まで脱いでいます。
恐らく巨匠とほぼ同時。
日サロやゴルフで焼けた筋肉質の巨匠と、色白な八木氏はこうも違うのかというほど対極のビジュアルでした。
「最高のシチュエーション ゲットしようぜ! Party time」
巨匠はスタンドからマイクを外し、バンジージャンプの飛ぶ直前くらいつま先をステージからはみ出させて気持ちよさそうに歌っていました。

ラストのかき鳴らしでは他2人の裸を見て武正もいっちょ脱いだるかとメンバー4人の仲良しTシャツを脱ぎ、いよいよステージには裸の30代男性のみとなりました。
自分の世界に入っていた巨匠は、曲の最後で初めて八木氏も脱いだことを知って大げさにびっくりしていました。
最後は巨匠の「こんな感じで、これからもやっていきます!」という一言で終幕。
リードギターはドラムセットの台の上にTシャツとともに無造作に置かれ、グダグダと退場していく様子は”いつものKEYTALK”そのものでした。
「こんな感じでやっていきます」という一言は、かしこまったセリフよりよっぽど頼もしい。
やはりKEYTALKはいい意味で少年や悪ガキの雰囲気を残しているからKEYTALKなのであって、襟付きのシャツで身を縮めて真面目なことをいうのはらしくありません。
消えない灯を確かに見ました。
求めていた姿を最後の最後に見ることができて、自分としてはかなり安心しました。

惜しむらくは、FCライブだけに初見の人は皆無であろうこと。
この日は直近の武道館ライブよりやや少ない程度の曲数をバリエーション豊かに披露してくれ、彼らの体力や揺るがぬ土台みたいなものを十分すぎるほど目にしました。
恐らく初めてKEYTALKのライブに来ても、くだんのことは別として何かしら感ずるものはあるはずだと思います。

一つライブを完遂するにも静的な充電というかエネルギーが必要だと思うのですが、ライブ数を見るにKEYTALKは、次から次へとライブをこなすことでむしろ動的なエネルギーを得ている珍しいバンドだと思います。
スケジュールをちゃんと追っていませんでしたが、このFCライブの翌日に名古屋でツーマン、あくる日には福岡でアコースティックツアーがあったと知って驚きました。

手負いでもここまで走り続けて、いつかの「ライブハウスで待ってる」という言葉を行動により証明し続けてくれているKEYTALKからは、もはや生きざまとも呼ぶべき高貴な矜持が色濃く出ています。
この日は最大限の感謝と、自分も弱音を吐かずまだまだ頑張らないといけないという気持ちを芽生えさせてくれた、大成功のライブだったと思います。

ーーー






最後に自分事ですが、適応障害と診断されたことがあります。
1年ほど前です。
メンタルの疾患はとりわけ質も重さも人それぞれなので、病名としては同じように診断された彼の気持ちが分かるなどというつもりもありませんし、精神疾患者としてのポジショントークを展開するつもりもありません。
今回の件にかんして、言いたいことを全て書いてくれたような意見もあれば、どうしたらそういう結論にたどり着くのか全く思考が分からないような意見も見ました。
ただ、あくまで自分の経験ですが、適応障害と診断されてまず言われたのが「ストレッサーと距離を置くこと」。
仕事がそれにあたるのであればまず休職。そして休養が肝要というのです。
ここで先走って仕事を辞めるのは得策ではないし、新たな職探しをするのはもってのほかだと言われました。
彼にも冷却期間は絶対必要だと思うのです。
彼にとってストレッサーが今のこのチームだとするならば、悲しいですが一定期間は距離を置かないといけない。
何かの断を下すのは、まだまだ先のことだと思います。
それを思うと、武正が口にした「元気になるまでずっとずっと待ってる」という言葉、巨匠が継いだ「今は音楽をやっていくことしか出来ないから」というメッセージは最適解でしかないと思うのです。
というか、このことに白も黒もないと思います。
人間の心はそう二分して切り分けられるものではなく、常にグラデーションの中を浮かんでいるはずです。
まだ一カ月も経っていません。始まったばかり。
今は大きくジャンプするまえに思い切りかがんでいる状態で、ゆっくり、じっくり機を待ち構えているのだと思っています。
自分も待ちます。


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