20241004/これから書こうと思うこと(仮)Vol .1
気がつけば、結構過ごしやすくなってきていて、やれやれ夏は終わったか、なんて思ったりしてます。
元々暑いのが苦手なのもありますが、今年の夏は過酷でしたね。まぁ、毎年言っている気もしますが…。
私にとっての2024の夏は別の意味でも過酷でした。7年ほど勤めた会社を辞めちゃおうか?と思い、それで会社や上司、スタッフに散々迷惑かけたり、同僚にやけにイライラしてたり。
まぁ、結局は会社側の恩情を持って、また働けることになりましたが。なんであんなに「辞める、辞める」と騒いでいたのか、会社に不信感を持っていたのか。
職場での人間関係も自分の手で、崩壊寸前まで壊しかけました。来週から職場復帰なのですが、やはり緊張しますし、怖いですね。皆優しいので、普通に迎え入れてくれると思いますが。それでも。
私は苦笑しつつ、謝るしかないかな?まぁ、恥ずかしいですけれど、できるだけ誠意を持って。
家族とも散々揉めました。言ってはならない言葉が飛び交ったり、やはり此処でも私は周囲にイライラし、当たり散らしてしまいました。まぁ、向こうからも「それはないだろう」的な言葉や行動はありました。家族なのにね。家族だからかな?
ささやかな友人関係も滅茶苦茶で、本当に迷惑をかけました。致命的な亀裂こそ発生しませんでしたが、やっぱり悪かったなあと重いため息と共に反省します。
まだまだ、振り返れば色々とあるでしょうが、反省するより先に、
何故、私はあんなにも荒れていたのか?
それについて考えたいと思います。勿論、責任・原因は私にあります。私の中の(恐らく)どす黒いエネルギーの塊の様なモノが、今年だけに限らず、何年もかかって蓄積され、限界まできて、
ボッ❗️
と、爆発したのだと、取り敢えず解釈しておきます。「結果」だけでなく「原因」についてもしっかり確認してしておくのは大事ですが、キリがないですし、「あの頃」の微妙な、かなり微妙な、気持ち・感情について理解や納得をするためには、言葉というのは些か不向きかと(無論、私の語彙が不完全なのですが)思います。
あんまり、note で不特定多数の人々の前で言うことでもないのですが、「死ぬこと」も真剣に考えました。私なりに。無論、「自殺」を選ぼうと思っていました。
もう本当に何もかもが嫌で、自分自身も吐き気がするくらい嫌いで、光なんて少しも刺してこなくて、希望なんてどこにもなかった。
今年の夏、そう思っていました。思いたかった。もう誰が悪いとか正しいとか、自分は世界一不幸だとか、滅茶苦茶でした。けれど、そんな事も「どうでもよかった」。
ただ、もうこの世界から消えたかった。誰の記憶からも消え去りたかった。もう、私の居場所なんて、この世界の何処にもないのだから。
消えてしまえ
そう思っていました。思わなければ、狂いそうでした。変な表現ですが、そんな馬鹿な考えにしがみついていないと、生きていられなかった。
「死にたい」とか思ってる癖にね。
まぁ、結果?結局ですか?まだ生きてますし、「これからも」生きるつもりです。惨めで、無様で、カッコ悪いです。口先だけの人間です。頭でっかちのどうしようもない人間です。
いいんですけどね。別に人類史に名を残す偉人でもありませんし、友人も皆無ですし、恋人に至っては…まぁ、そういうことです。
自虐はもういいです。言ってる本人もウンザリしてますから。
それに何を書こうとしていたのか、わからなくなってきました。困ったな。最初から「こういうことを書こう」と決めていたわけではないのですが(タイトルに「仮」ってつけてますし)少し感情的になり過ぎました。
それだけ、今年の夏は過酷だったのですが。
急に話は変わりますが、私は「小説家」志望ではありませんが「小説」を書きたかった。誰のためでもなく、自分のために。
太◯治ではありませんが「恥の多い生涯」を送ってきました。親を始め、多くの人に迷惑をかけ、傷つけ、裏切り、生きてきました。勿論、私とて、迷惑をかけられ、傷つき生きてきました。
子供の頃は、そんなにひどい人間だとは思っていなかった。なると思ってもいませんでした。ほとんどの人はそうでしょうが。
でも、結果はこれです。50年近く生きてきて、何も成し遂げず、成し遂げようともせず、誰かを愛することも、愛されることもなく、将来について漠然とした不安と共に生きています。
今年の夏に限っては、生きることをやめようとすら思いました。未遂ですが…。
あれ?なんでこうなっちゃったんだろう?何処で間違えたんだろう?そんなことをよく思います。
酷い人間ですが、それでも懸命に生きてきました。「失敗」と「挫折」の繰り返しでしたが、諦めたい、歩みを止めたい気持ちを振り払って懸命に、少しでも前へ進もうと生きてきました。
そういった諸々のことを「小説」という形を持って纏めてみたいのです。本を読むこと、小説を読むことで私の人生はかろうじてですが、今日まで繋がってきました。
勿論、成功するとは限りません。小説で「自分とは何か」を問いかけても、答え・結論なんて出ないかもしれません(私の力不足もあるでしょう)。
それでも、私は書いてみたい。誰のためでもなく、自分のために。
実を言えば、これまで何度も「小説」を書こうとは試みてきました。しかし、何度やっても上手くいきません。
横着をしたわけではありませんが、あまり土台となる「設定」を固めず、書き始めたのがよくなかったのかもしれない。
そう思い、他人に教えを請うたこともあります。しかし、この試みも失敗でした。無駄だったとは言いませんが、私の望むことは学べなかった。
どうしたらいいのか、途方に暮れました。ああ、やはり私という人間は「何事も成せない」人間だったのかと、絶望にも駆られました。
けれど、もう一度チャレンジしてみようと思います。今度はこの note の場を借りて。
「小説本編」を書く前に(書く前から)、アレコレと能書きの様なことを書くのはできるだけ避けたいのですが(言い訳めいてますから)、できるだけ、前準備・土台を固めておくことはやはり必要ですから。
少しづつ、できれば毎日書いていきたいです。どうなる事かはわかりませんが、まぁやってみます。
正式なスタートはまだ未定です。もう少し「何故小説という入れ物」に自分の人生を書き残すのか?それについて、掘り下げたいと思っています。
大分、長くなりましたね。
今日はここまでです。