なんとなく…では?
私は読書が好きです。
勿論、自分でお金を出して買ったりもしますし、図書館も日常的に利用しています。
買う本、借りる本、大体が小説、エッセイなどです。たまに歴史関係が混じったりかな。
唯一と言ってもいい(音楽も聴きますが)趣味なので、時間もお金もかなり割きます。まぁ、好きなようにやっています。
他人に(多分)迷惑をかけないことを心がけていますし、なにも遠慮することもありません。
それでも「小説」ばかり読んでいる自分に時々忸怩たるモノを感じてしまいます。
それでいいじゃないかとは思いますが、小説ですからあくまで「娯楽」に過ぎません。繰り返しますが、趣味です。それでいいじゃないですか?
結局なにが言いたいかと言うと、この世界に溢れている諸問題についての読書はしないのか、という事です。
私はテレビは見ませんし、新聞も読みません。ネットのニュースもよほど気になった記事があったら、詳しく調べたりする程度です。
SNS関係もまったく疎いです。友人もいませんし…。
だから(だから?)、世界の諸問題に対して「自分の意見」というのがありません。
例えば政治問題だと「政治家はなっとらんな」くらいですし、選挙に投票には行きますが、いつも期日前投票で「適当な」、「まぁコイツでいいか」的な感じで済ませています。
昔風に言うと「ノンポリ」ですか?60年代に生まれなくてよかったなあとか、たまに思います。
本題に戻りますが、そう言った「問題」に対する読書をほぼやっていない自分に時々、疑問を呈するのです。
そして、諸問題に対して基本的スタンスは「なんとなく」な自分にヒヤリとした危機感を感じています。
「なんとなく」周りに合わせて、「なんとなく」SNSの意見を自分の意見のように吹聴して、「なんとなく」生きて…。
それではいけない、という自覚はあるのですが毎日を生きるのに懸命で、なかなか改善できません。
だから、せめて諸問題に関する本でも読んで、少なくとも「自分の意見」を持ちたいなと思っています。
例えば環境問題で「原発」に関して、世間が「反対」色が強いから自分も「反対」だと言うとか、好きな有名人が言っているからとか、そう言うのを改善したいのです。
「なんとなく」ではなく、間違っていたとしても「自分はこうだ」という意見を持ちたいのです。
そこで、自分の意見を育むために書物から「情報」を仕入れたいと思っているのです。「娯楽」だけではなく、「考える」ための読書をしたいと。
そういう関連の本は高いですし、どれが今の自分にとって必要か、わからない。図書館に行けば無料で借りられるが、情報が最新のモノかどうかが怪しい(落書きも多い)。
諸問題を解決するための「諸問題」があったりしてなかなか大変ですが、「ブレない自分」をつくるための読書も今後はやっていこうと思います。
なんとなく…。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?