大丈夫、忘れていいから
ここがどこなのか どうでもいいことさ
どうやって来たのか 忘れられるかな
「恋は桃色」 詞曲 細野晴臣
お元気ですか?
そんな風に語りかける相手がいなくなって久しいですが、それでもこうしてSNS 上で想いを誰かに伝えられることができるのは素敵なことです。
まぁ、「読んでもらえる」モノを書かないといけないワケですが…。今回も何を書くか明確には決めていませんが、頑張ってみましょう。
冒頭に細野晴臣さんの「恋は桃色」を引用させていただきました。名曲です。
「ここがどこなのか どうでもいいことさ」
私はよく「今の自分」などについてクヨクヨ考え、大概落ち込んでいます。
「仕事嫌だな」
「朝から憂鬱だな」
「あの人嫌いだな」
「こんな自分嫌いだな」
「なんでこうなっちゃったんだろう?」
「友だちいないな」
「お金ないな」
「彼女いないな」
etc…。
あげればキリがありません(最後は力込めて言いたいですが)。まぁ、「いまの自分」に満足している人なんてほとんどいないでしょうけれど、それでも自尊心が低いと言いますか、自分に自信がないと言いますか、でてくるため息はいつも重いです。
今まで生きて来て「ベスト」の選択をできたことなんて多分ありません。いや、「選択」そのものをやっていたのかどうか、怪しいです。
いつも「責任」を負わされるのを恐れていたり、酷く傷ついた「原因」を他人に押し付けたくて、いつも逃げ回って「選択」なんてしてこなかったんじゃないかな?
そうですね。うん、そうだと思う。
なにも決めてこなかったからか、気がつけば「ここ」にいました。「ここ」はひどく寒いです。冷たい風が吹いています。寂しくて、辛くてどうにかなりそうです。
「ここがどこなのか どうでもいいことさ」
そうなのかなあ?生きているなら、生きていられるなら「ここがどこか」なんて、どうでもいいことなのかなあ?
まぁ、それをひとつの心の支えとして置いておくことはできると思います。
「今は色々と大変だけれど、
責任は自分にあるんだろうけれど、
どうでもいいじゃない。
だって貴方、生きてるんだから」
う〜ん。そう考えられれば生きていけるかもしれませんね。「生きていること」「生き続けること」、そんな大事業をやっているなら「どこにいるか」なんて、どうでもいいことかもしれません。
だって私、生きていますからね。
生きていくのは(言うまでもなく)大変に辛く厳しいモノです。仕事で怒られ、家族と揉め、多くの他人からひどく傷つけられます(え?私何かした?)。
私は「生きづらい」人間です。生きていくための最低限の能力、常識がありませんし、精神障害を患っているようにメンタル的にもひどく弱いです。
だから(だから?)、生きるのが下手です。世渡りが致命的に下手です。人生のターニングポイントで多くのミスをしてきました(進学先の選択とか、就職活動とか)。
その過程で多くの人に迷惑をかけ、傷つけ、私自身も酷い目に遭い、傷ついてきました。誰しも生きるのは大変です。でもそんな一般論に今なんの「価値」があるでしょう?
生きているんですよ
生きていくんですよ
このひどく厳しい世界で
だったひとりで
だからなに振りかまっていられません。現在進行形で人生、日常は進んでいきます。その過程で辛く険しい(時に間違った)道を選んでしまうのは仕方のないだと思います。
だから、
ここがどこなのか どうでもいいこと
なのかもしれません。「ここ」は辛く厳しく、大変なところです。もっと明るく優しい世界だってある筈なのに、私はそこにはいられません。近づくことさえできませんでした。
でも、「どうでもいいこと」です。「ここ」がどんなところだって。生きてるんだから。
さて、また夜が明けて朝が来ます。1日が始まります。大変ですけれど、頑張りましょう。
「ここがどこなのか どうでもいいことさ
どうやって来たのか 忘れられるかな」
人は生きていく中で多くの罪と罰を経験します。その過程で自分も他人も、ひどく傷つけてしまいます。
「やってしまったことは仕方ない」のは少し乱暴ですが、それをある種の慰めとして受け取ることはできると思います。
人間は「過去」をエネルギーに「現在」を生き、「未来」を目指し生きていきます。
だから、
「どうやって来たのか 忘れられるかな」
そう思って生きていきましょう。「あ〜、ここまでどうやって来たんだっけ?」「忘れちゃったな」
そんな軽いノリで♪。
大丈夫だから。