20241018/これから書こうと思う事(仮)Vol.7
"人間は どのくらい たくさん
ものすごく悲しい事
おぼえているのでしょう
今は忘れたい
二度と見たくない
だけどあとで思い出したい
遠く 遠くはなれて
こんな事 考えてみた"
奥田民生「人間」よりー
私は故郷を捨てた人間です。
別に実家が名家とか旧家とか、
そんなのではありませんし、
財産も(幸か不幸か)ありません。
子供の頃の思い出は皆、そこに詰まっていますし、父や親族の墓もそこにあります。
けれど、私が故郷を訪れることは二度とないでしょう。墓参りにも行きません。
「故郷は遠くにありて思うもの」と
考えているわけでもありません。
同じ県内ですしね。
かつて友達だと思っていた人たちが、今どうしているかも知りません。まだ故郷で暮らしているのか、別の場所に土地で暮らしているのか、知りません。
向こうが私のことをなにも知らない様に。
詳しくないですが、今は SNS で簡単に疎遠になった人でも連絡ついたりするのでしょうか?まぁ、ありえないでしょうが、勝手に私の近況とか調べないで欲しいです。
私はもう過去を捨てた人間ですから。
とは言うものの、「私」という人間を形作っている要素は、捨てた故郷の捨てた過去からきているのも否定できない事実です。
"今は忘れたい 二度と見たくない"
過去を全否定するつもりはありませんが、大したことがないにせよ、後ろを振り返って「過去」を見つめる気はありません。
見たくないのです。
すべての思い出がそこに繋がっているとしても。
それほどに故郷は、かつての友人たちは、私を傷つけ、修復不可能なくらい壊していきました。勿論、私にまったく非がないわけではありませんが。
時々、潰されそうなくらいの重圧と共に思います。どれくらいの罪と罰を受ければいけないのかと。辛い悲しい記憶を何度リフレインすれば、私は許されるのかと。
許されることなんてないのかもしれない。少し大げさに言うのなら、それが「生きる」と言うことかもしれない。すべての人々がそうである様に。
遠く、遠く離れた街で、今日も思い、生きていきます。今はまだ、前しか見れないけれど。決して平坦な道でも、見透しが明るくなかったとしても、いまは前に進むことしかできないから。
けれどいつか、過去を振り返り思い出したい。
故郷の人は、今も「僕」のことを覚えていてくれるのだろうか…?
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