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9月8日(日)のブログ
世間からドロップアウトしてから、随分経ちましたが、やはり日曜日の夜というのは憂鬱です。もう、月曜日になっても会社に、仕事に行かなくてもいい(まぁ、勝手に行かなくなったのですが)のに、やはり気が重いです。
いつ来るかわからない、母の叱責が怖い(実に怖い)というのもありますが、やはり月曜日、1週間の始まりから自分が弾き出されているというのを、とことん実感させられるというのは辛いものです。とは言え、会社に戻るつもりもないのですが…。
私は高校を「登校拒否」になり(何故「不登校」って言葉に変わったのですかね?)、中退しました。毎日、夜になると朝が来るのが嫌で嫌で、そして怖くて仕方がありませんでした。
カーテンの隙間から差し込む日の光に、「今日一日」親の叱責や、学校からの(熱意のない)将来に対する忠告に耐えなければいけない事実に、精神的に未熟だった学生時代の私は心底、打ちのめされ、ウンザリしていました。
しかし、田舎の、世間知らずの、本の知識しかない「頭でっかち」の、「嫌なガキ」だった私はどうすることもできず、かと言って聞き流すこともできず、「もう閉ざされてしまったかもしれない未来」に本当に死にたい気分でした。
まぁ、今こうして生きているのですから、「口先だけの」最低の人間ですね。本当に自分自身に幻滅します…。
そして、学生時代から30年近く経過しても、相変わらず外の社会を拒絶して、ベットに蹲り、親の叱責が1秒でも早く終わるのを待っている自分に、また心底幻滅します。
学校をドロップアウトしてから、再起するまで時間はかかりましたが、私なりに必死で勉強し、様々な人(愉快な人、不愉快な人)と関わり、叱責、恫喝、etc…、色々ありましたが、頑張って働いてきました。
自分で言うのもなんですが、本当に必死で頑張ってきたのです。
しかし、結果はこの通りです。30年かけても何も変わっていない。もう取り戻せない私の人生の30年です。「無駄」だったのかな?一度、ドロップアウトした時点で、私の人生って終わっていたのかな?そう思うと、とても悲しく、虚しいです。
SMAP の「夜空ノムコウ」の歌詞にあるみたいに"あれから 僕たちは 何かを 信じてこれたのかなぁ""すべてが 思うほど 上手くは いかないみたいだ"なのでしょうか?
夜も更けてきました。明日がやってきます。怖いです。本当に怖い。自宅で今後について、ゆっくり考えることもできず、今後どうやって、どこで働けばいいのか、働けるのか、まったく当てのない現実と直面せざるを得ないのが、とても怖いです。
でも、死ぬこともできない以上、知らぬ振りもできません。私の人生ですから…。
"あれから 僕たちは 何かを 信じてこれたかなぁ"
「あれから」、私は何かを「信じて」生きてきたのか、その実感もないのが、とても悲しく、辛いです。
「生きる」とはそう言うことかもしれませんが、私には厳しすぎる「現実」です…。