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夢を見ていない

現在朝の4時30分頃です。
おはようございますには、ちょっと早いですね。

何故こんな時間に起きているのかと言うと、新聞配達のバイトを始めたからです。

と言うのは大ウソです(学生の頃ホントにやってましたが)。あ、怒らないで…。

つまらない冗談ですみません。起きているのはなんとなく目が覚めてしまったからです。時々そんなことがあります。

二度寝するには、時間があまりありませんし、何かをするにも早過ぎます。こんな時間に音楽聴いていたら、家族の顰蹙を買いますし、本を読むほど頭は目覚めていません。

さて、どうしようかと思っている間に、本当の朝がやってくるわけなんですが、せっかくなのでブログ書くことにしました。何かはできるでしょう。

それで、タイトルに戻るわけですが、ふと思ったのです。

最近、夢をみていないな、と。

「夢」と言うのは、道で1億円拾って、凄い美人と恋に落ちて…と言う方の夢ではなくて(最低だな、この男)、眠っている時に見る夢の方です。

読書を趣味としているせいか、関係ないのかは分かりませんが、結構いろんな夢を見てきたと思います。とは言うものの、目覚めた途端に忘れてしまうのでアレなんですが…。

三島由紀夫の「豊穣の海」に出てくる松枝清顕のように夢日記でもつけられたら、割と面白いモノが出来上がると思うので、勿体無いなあと思うのですが、仕方ないですね。

夢についてのメカニズムというか仕組みは、現代の科学でも未だ解明されていないのでしょうね。無理はないですが、やはり不思議なモノです。

今日はテストの日なのに、テスト勉強一切していない!っていう夢を見たことのある人は結構いらっしゃると思うのですが、どうでしょう?
私は未だに見ます。まぁ実際テスト勉強なんて、ほとんどやらなかったですけど。

それは、さておき心理的なモノがやはり夢を誘発(?)することはあると思うのですよね。具体的に思いつかないですが、デートのまえの晩に(自主規制)な夢を見るとか。

懐かしい人、会いたい人、今はもう会うことはできない人、などを夢見ることもありますよね。こういうのは、とても嬉しいです。人生の小さな幸せです。

とにかく、結構いろんな夢を見てきました。でも最近ふと思うのです。夢を見ていないなあ、と。

まぁ、物忘れが(歳のせいで)ひどくなって、忘れる程度が深まっただけかもしれませんが
やっぱり何も見ていないのか、覚えていません。

夢だから仕方ないとは思いますが、なにか大事なこと。今はもう忘れてしまったモノ、無くしてしまったモノ。大切な思い出。謝らなければいけない失態、その他諸々…。

そんなもう無くしてしまった、忘れてしまった。かつて自分の中にあった神聖不可侵な領域。それが「夢」というカタチになって現れていたのだとしたら、もう夢を見なくなってしまったというのは、とても悲しいことです。

人間、純粋な、イノセントなまま生きていくことも成長することもできません。生きていること自体が「死」という避けられない病に向かっているように、汚れなくして大人にはなれないのです。

けれど、それでも人には誰にも踏み入れさせない、純粋な、ピュアな、大切な世界があるはずです。例え無くすのが避けられないとしても。

そんな夢を最近見なくなった。失った?と思うことはとても悲しいです。それが生きるという事でもです。

なくしていく事ばかりが、人生ではないですから、引き換えにではないにせよ、代わりになにか受け取っているのかもしれません。それが「良きもの」であることを願います。

最近、夢を見なくなりました。そんなことを今朝は考えてみました。

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