Adam Christopher『Star Wars: Shadow of the Sith』(スター・ウォーズ 小説感想①)
あらすじ
『Shadow of the Sith』って何ぞ
2022年6月、本国にて刊行された『Star Wars: Shadow of the Sith』はあらすじにもある通り、「スター・ウォーズ」続三部作に於いては結局明かされず終いであったベストゥーンのオーチによるレイの両親殺害の真相を扱った重要作です。
続三部作の主人公レイの"秘密"を巡っては、『最後のジェダイ』では特別な出自のないただの捨て子であると語られ、『フォースの覚醒』以降あれやこれやと想像を巡らせていたファンの斜め上をいく解答が示され、続く完結編『スカイウォーカーの夜明け』では実はレイ=パルパティーンの孫であったという、これまた(色んな意味で)驚愕のひっくり返しが行われ、再び度肝を抜かれることとなりました。
とはいえ、じゃあそのレイをジャクーに置き去りにした張本人たる両親についてはこれまで殆ど設定らしい設定が語られず、かろうじて父親がパルパティーン復活のための実験体(ストランドキャスト)であると説明されるに留まるばかりでした。
この間、レイの謎に関わるもうひとりのキーマン、"シスの暗殺者"ベストゥーンのオーチは『EP5』と『EP6』の間を描くコミック「Darth Vader(2020)」誌でネコチャン風の仮面を付けて登場し、「スター・ウォーズ」界のねずみ男ともいえる小狡いキャラクターで一部から熱烈に愛されるキャラクター性を確立したりと(かくいう私もオーチのファンです)、彼が小説でも八面六臂の活躍を見せるかという点でも非常に気になるトピックへと成長を遂げました。
が、事実上の続三部作の種明かしともいえるこれほど大きな案件に焦点を当てているにも関わらず、例によって例の如く日本での小説出版は未定。スピンオフ読者には冬の時代が続きます。
ランドーニス・バルサザール・カルリジアン
レイとその両親の過去を語ると同時に、本作のもうひとりの主人公ともいえるのが、ご存じランド・カルリジアンです。ナンバリング本編ではかつて娘をファースト・オーダーに誘拐された旨がさらりと語られていましたが、今回ランドは行方知れずとなった娘のことを引きずり怠惰な生活を送る中で、ふとしたきっかけからとある一家の幼い娘が狙われていることを知り、最初は自分の娘に繋がる手掛かりになるのではと考え――やがては物語が進むにつれレイとその両親を自身に重ね、何としてでもこの計画を阻止しようと奔走します。
そんなランドと行動を共にするのが新たにジェダイ・テンプルを興しベン・ソロ始め多くのヤングリングを鍛えているルークになります。暗躍するシス・エターナルと胎動するエクセゴルの闇が見せるビジョンに執拗に悩まされノイローゼに陥り、続三部作ルークにも見られたやや厭世的で他人を遠ざけたがる気が既にちらほらと見え隠れしているルークですが、ロア・サン・テッカと訪れた遺跡の発掘現場で古のシスの脅威を目の当たりにし、事件に巻き込まれてゆくことになるのです。
「スター・ウォーズ」続三部作は挫折からの再起をテーマのひとつにしている部分がありますが、本書は正に絶望に打ちひしがれていたランドが再び前を向き歩き始めるまでの物語であり、無常感はありつつも未来を見据えて新たな一歩を踏み出す〆にはじんわりと沁み入るものがあり、またそこでとあるネタを織り込んで感動の補強材料に用いてみせるのが抜群に上手いなぁと思わせます。
挫折を経験しているのは主人公サイドだけではありません。「Darth Vader(2020)」誌ではいくら醜態を晒しても悪びれず、銀河史の中核に食い込んできたオーチもいまやすっかりうらぶれ、かつての恨みと唯一の安寧を果たすべくエクセゴルへの道標に執着する様は悪党ながらに同情を禁じ得ず、その締め括りはランドのそれとはまったく真逆の印象を与えることでしょう。
超越するフォース
自分が続三部作で評価している点のひとつに、フォース表現の可能性を拡げたことがあります。そもそもフォースとは何なのか、何ができるのか、どこまでのことが可能なのか――。アニメ『反乱者たち』等を通してフォースは時間も空間も超えるものとして描かれるようになったカノンのフォース観は、カイロ・レンとレイのフォース・ダイアド(フォースの中の一対)、レイVSパルパティーンの共にあれといった外連味ある画をばんばん見せてくれましたが、本作でもその続三部らしさは健在です。
ビジョンと現実の境が曖昧となり、次の瞬間にはまるでその場から移動して遥か彼方のエクセゴルに存在しているかのようなリアルな感覚。自ら血を求め持ち主をも操る強力なシスの短剣、古の怨念が影として宿る仮面にカイバー・クリスタルで動かされるドロイドまで、ともすれば既存の「スター・ウォーズ」らしからぬガジェットの数々は多少やりすぎな感もありますが、シリーズ随一にファンタジックな『スカイウォーカーの夜明け』を補完する作品としてはこのくらいやってくれた方がいっそ清々しいというもの。「スター・ウォーズ」は剣と魔法のファンタジーでもありますから。
一方で、死したシスの"影"がマスクや遺物にとり憑き、触れた者を取り込んで狂わせていく姿は映画本編を思えばなかなに意味深で、カイロがヴェイダー卿のマスクにやたらと語りかけていたのも、ルークがベンを手にかけようとしたのも、そうした暗黒面に知らず知らずのうちに心を蝕まれていたからと考えれば合点がいきます。
アコライツ・オブ・ザ・ビヨンド
そんな暗黒面の遺物を蒐集するシス信奉者集団、アコライツ・オブ・ザ・ビヨンドも今作でクローズアップされている要素のひとつです。『フォースの覚醒』公開に向けて書籍群で盛り上げていくことを目的とした「ジャーニー・トゥ・フォースの覚醒」の1作、小説『アフターマス』で登場したこのカルト集団は(諸々の事情から作者が「SW」を離れたこともあり)近年の作品では久しく放置されていましたが、今回満を持しての再登場と相成りました。
カノン最初期の2015年に原書が発売された作品で登場した彼女たちが、「スカイウォーカーサーガ」を締め括る『スカイウォーカーの夜明け』の前日譚的側面の強い本作で一旦の"決着"を見せる因果も興味深いところですが、2022年のいまになって特に感じるのは、このアコライツ・オブ・ザ・ビヨンドとシスの遺物との関係が非常に陰謀論に近しく見えることです。
自らは特別な力を持っていないが、確かな"力"を信奉するアコライツ・オブ・ザ・ビヨンドというカルトに属することで選民意識を得、自分が間違っているとわかっていても、意に沿わないことを行わされても背くことができない。度重なる説得にも応じず、破滅への道を選んでしまう。本作の主要登場人物の1人であるコマットは過去にルークに助けられアコライツ・オブ・ザ・ビヨンドを足抜けした人物で、彼女から旧知の仲間を救わんと向けられる外部の視点や言葉がよりその印象を強めます。
昨今、コロナ禍を経て日本でも陰謀論が身近な話題として挙がるようになり、インターネットやSNS、或いは報道や実際の事件でも耳にするようになりました。海を越えたアメリカではトランプ支持者による連邦議会襲撃事件なんてものまで起こっています。「スター・ウォーズ」は現実を映す鏡である、とはよく言われたものですが(事実、「クローン大戦ノベル」の頃はよくイラク戦争等が引き合いに出されていたり、最近では『ハイ・リパブリック ジェダイの光』がコロナ禍を彷彿させるとも)、トランプ政権以前の作品にて蒔かれた種がいまの時代になってこうした形をとって、目の前に結実するのは「SW」のナマモノたる面白さを体現しているといえるでしょう。
親と子
さて、お待ちかね。皆が知りたいレイ一家について。レイの父親はデイサン、母親はミラミアといいます。デイサンはパルパティーンの遺伝子を持つ実験体でエクセゴルで育ち、ミラミアはとある農業惑星で育った普通の女性です。ユニークなのが出自こそ特殊ですが、デイサンは極めて普通の人であり、威勢の良さや技能的にはむしろミラミアの方が断然勝っている点です。ミラミアについても何か含みのありそうな描き方だったため、本当に"普通の人"なのかはいまいち判断し難いのですが……。
さて措き。そんな一家がシスの暗殺者から容易に逃げられるハズもなく、最終的にはオーチによって殺されてしまうのは映画本編で既に知るところです。『最後のジェダイ』でカイロはレイに対し、何でもない両親が酒代のために売っ払っただけの普通の子供(意訳)だったと嘘を吐いていましたが、結果的には理由こそ違えど当たらずしも遠からずといった趣で、まぁシスの追っ手に対抗する術すら持たないという意味では"普通の人"に違いありません。大して事情も知らなかったろうレイが納得してしまうのも無理からぬ話で、レイもまた特別な子供である反面、親から見ればどんなに特別でも"普通の子"なんですよね。ただ幸せに育って欲しいだけの愛するわが子。特別であると同時に、普通でもある。トレボロウ案でいうところの「何者でもない人なんていない」のと同じくらい、「何者かである親/子なんていない」のです。
目で見て触れられる親子の物語として"実"を伴ったことで、ようやくこの辺りの――『最後のジェダイ』と『スカイウォーカーの夜明け』におけるレイの扱いの違いを呑み込めたように思います。
他方、最もイメージが変わったのはアンカー・プラットでしょう。『フォースの覚醒』では気難しく、融通の利かない人物として描かれていた彼を、その姿勢故にミラミアが信を置き、戻らない両親の事情について話すことなくここから大きくなるまでレイの近くに居続けていたことを考えれば、情がないハズもなく。『オビ=ワン・ケノービ』を観たわれわれにとっては、アンカー・プラットがルークにとってのオーウェンおじさんのような存在だったのではないかと想像するに難くありません。そして、そんな彼ならばのっぴきならないトラブルを抱えて結局戻らなかったレイの両親を、「世界名作劇場」よろしく「酒代のために売っ払われちまったんだよ」と説明しても何ら不思議ではないのではないでしょうか。
続三部作は面白くなったのか?
端的に答えれば、イエスです。本書を読む前と後とでは『フォースの覚醒』『最後のジェダイ』『スカイウォーカーの夜明け』で見える景色がまるで変わってきます。しかしながら、それは決して本作に限ったことではなく、スピンオフ全般にいえることでもあります。『アフターマス』『ブラッドライン』『レジスタンスの復活』どのスピンオフも映画本編の楽しさを2倍、3倍に高めてくれることでしょう。
「スター・ウォーズ」は終わらないコンテンツです。ひとつ謎が回収されたかと思いきや、また新たな謎が散らされます。現に、本書だけ見てもレイの両親やジャクーに置いてきぼりにされた事情こそ明らかになりましたが、デイサンの作成された過程やスノーク関連、そもそものファースト・オーダーの結成エピソードすら未だ判然としていない状態です。とはいえスノークについては『マンダロリアン』や『バッド・バッチ』で拾ってきそうな気配があったり、本国で進行中のコミックではレン騎士団やタス・リーチ、キーラといった面々が『EP6』直前に大暴れしていたりとスピンオフによってどんどん世界が拡張されています。逆に本作にも、映画からゲーム、コミックまで多くのキャラクターが出張しています。
繰り返しの物語である「スター・ウォーズ」は、同様の構図、人物を重ね掛けることによって――続三部作で"ダイアド"という概念が提唱されたことで作品同士の関係性をより括りやすくなりました――単体では完結せず、重層的な物語を紡ぎ出します。これからまた何作も跨いで新たな"事実"が詳らかになっていくことでしょう。その度に映画を観て、そこに映る物語に別の意味を見出せるハズです。
そんなわけなのでここまで読んで頂いた皆さん、いまからでも邦訳済みのスピンオフ小説やコミックにチャレンジしてみては如何でしょう?
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