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自分に隠しているジブンの気持ち
1週間前、ひとのことアカデミーの講座を受けたときのこと。
講師から、
「ジブンが自分に隠している気持ちは何?」
との問い。
隠しているくらいだから、すぐには出てこない。
気づくことを恐れているわたしと、そんなことにエネルギー使うの無駄じゃん!とジブンと向き合いたいわたし。
書物占いを手立てにして、ジブンと向き合うことにした。
「これまでのことを振り返り、陥っているパターンを見出して!」とのメッセージ。
自分に隠しているジブンの気持ちを知ったときにわたしは毎度パニックになる。
例えば、結婚していて子どもが2歳前くらいの頃。
当時のわたしは今以上に、ジブンの気持ちに鈍感に生きていた。それは意図的だった。辛い感情を感じることを避けていたのだ。
「喧嘩をしなければ持ち堪えられる。」
という信念を大切にしていた。
そんなわたしが、自分も相手も大切にするためのコミュニケーションスキルを学ぶ講座を受けた日、何の問題もなく幸せに生きているはずだったわたしの身体の内側がガタガタと揺れて、涙が止まらなかった。
何がなんだかわからず、その後どのくらい経ってからだろうか。ノートにとにかく自分の内側にあるものを吐き出し続けていたら、ポロッと出てきたのは、「今いる家の居心地が悪い。」というものだった。
必死に蓋をして感じないようにしていたその気持ちに気づいた瞬間、安堵というよりも衝撃の方が大きかったのかもしれない。
足が家に向かず、胸は苦しく、落ち着かなかった。
すぐに「どうにかしなきゃ!」と騒ぎ出すわたしがいて、さらに落ち着かない。
もちろん、元旦那をはじめ家族に話し、そのときは家をリフォームするということになった。
この時だけではない。
そのとき感じている気持ちを早く手放したくて、じっくり感じることを避け、状況を変えることに躍起になる。
これが隠している気持ちに気づいたときのわたしのパターンだ。
今回は隠している気持ちを感じることよりも、そのパターンに嵌ることを恐れていると感じた。
パニックになって、また状況を変えたがる自分を避けていたというのがしっくりくる。
そうだとわかると一旦落ち着いた。
「今のわたしは過去のわたしより少しは成長してるよ。」というわたしが出てきて、「どうにかしなきゃ!」じゃなくて、「さて、どうしよう?」ってゆっくり感じて考えて、選択肢を増やせばいいと思えた。
そして、再び自分に隠しているジブンの思考や気持ちをあれやこれやと文字に起こしてみた。
出てきたのは、「寂しい、かなぁ?」って感じでピタッとこない。
ピタッと来たときのあの感覚がなくて、「どんなことに対して寂しいの?」「どんなとき?」といろいろ自分の話を聴いたけど、どれもピンとこない。
そして、今朝ふと、「心細い。」というのが出てきて、やっとしっくりきた。それは静かで、安堵感があった。
何が心細いのかって?
大きなことで言えば、自分の暮らしを立てること、立て続けていくことだと浮かんだのだけど、しっくりはこない。
これまでのわたしはそうだったな、と思うと過去のわたしに寄り添い、「どうにかこうにかよくやった。」と労う機会になった。
この心細いわたしというのは、幼少期からずっといる子で、わたしのこと無視しないでって訴え続けていたのだと思う。
過去、心細くてもどう助けを求めていいかわからなかったり、そもそも頼れる大人が傍にいない環境で過ごしていることも多かったりした経験があり、「心細いと言ったところでどうにもならんやろ。」と思い込んでいるわたしがいて、どうやらそのわたしも引っさげて生きているようだ。
わたしは、困っている自分の状況に対しても鈍感だ。
「あぁこれ、心細さを感じないようにしてるから起こってることなんだ!」と思ったら、いろいろと合点がいく場面があって、これまた自分のことを知ってほっとした。
心細いと感じるわたしがいるから、困っていることに気づいて助けを求めることができる。
なんなら、今はそんなわたしを観て、居てもたってもいられない人たちがいて、すでに助けられている。
心強いと感じる場面が多々ある。
心細いと心強い。
どちらもわたしの大切な気持ちだ。