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|かなり前から・批評|伏線回収と言うものにについての深い読み、それって…。
かなり前から伏線回収と言う言葉が抜け出た魂の様に巷を徘徊しています。そのまんまの題名のとあるミュージシャンの新曲も出てますし…………。
今回はこの、伏線回収の概念、これらがなぜ
発生し広まっていったのか?それの背後に何があるのか?それの意味するものとは?なぜそんな言葉が言霊の様に人々のアタマの中を伝染、流行していくのかを自分なりに解析していこうと思います。
🌟―――伏線回収―――🌟。それはアニメや映画等の物語の最初の、わずかな話が、後半になって重要な意味をになっていた、というか。
それは、それ以前のいわゆる〜推し〜に代表される、自分はリスクなど負いたくない。でも気になるので一応ツバつけとこう、それらがどう育つのか、リスクなんて負いたくない
、でも気になる。なんていういわゆる引いた姿勢。腰が引けてる、情けなさを感じるのは私だけでしょうか?
まぁ、伏線回収、推し、それらは外がない今の世で、両手で囲い込んで、推しや伏線回収
をなめ回し、ぜーんぶ私のもの、僕のもの、
と自己満足的に自己完結する、ちっちゃな人としての情けなさ、を感じて何とも思えぬ心持ちになります。
まぁ、伏線という糸をいくつか張って、実はエンディングで、なるほど、そうだったんだ
!!、そうなってたんだ!!というハッ!と
おどろく、てん末を愉しむ余裕。
でも、それって、外がなくなってしまった今の世で、外に出ようとしないヒッキー的な引きこもった若くして隠居した、若年寄の様な
老人的な、弱々しい姿勢をどうしても見すえてしまい、その衰弱した体勢が見えてしまう
。
かがみの孤城という小説だって、そのアニメ化された名作のアニメ映画だって、それは特に言えて、オオカミ様の登場、不登校児童達が、かがみの異次元世界の巨大な城に迷い込む、オオカミと七匹の子山羊が暗示されていたり。オオカミ様の真の正体が最後にあきらかにされる。そして映画の様々な謎が、例えられたものが伏線回収されていく。
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それだって、海の猟師さん達が、投網猟法で
大きな網を海に投げて、かかった魚たちを引き上げる。
または、昆虫のクモが糸の巣を張り、じーっ
と待ちの姿勢で糸に獲物がかかるのを待つ姿勢。そして昆虫が引っかかるとコソコソと襲いかかる。
それって、腰が引けた情けなさ、リスクを負わずに責任を負いもせずに、小さな幸せを得たいという、いわゆる小物の情けなさを、どうしても感じてしまいます。
そしてそういう情けない姿勢が巷をさまよい
、無責任な姿勢がこの世をさすらい、ますますこの世をチマチマ小物化堕落させていくのか!と。私は小さいながらも心配な心持ちになります。
伏線回収という名の、言霊・コトダマ(人の言葉にタマシイがやどり現実にそうなっていく
)
そして細かいですが、未だに使われている、凶々しい言霊。いわゆる、癒やし。と同様に
この世を腐らせ、堕落させていくもの、と、
危機意識を感じてしまいます。
まるで私は昔の映画、キューブリックのホラー映画|シャイニング|、ドイツ映画|ブリキの太鼓|の子どもの主人公の様に手で両耳をふさぎ、ウキャー!と絶叫、叫びたくもなります
。
いわく、もう! やめてくれ、と。
言葉で世の中を腐らせるな、と、!
日本って言霊の幸わう国なのだけれども………
余談………映画|かがみの孤城|って、ボク的には
すこし良かったかな……………………?