18.半吉の脳出血闘病記
9日11日
作業、言語、理学のリハビリ。
作業療法では、机の上に置いてある綿棒を掴んで小さな穴に入れる作業を行った。そして靴紐が結べるようになったことを担当OTさんに自慢した。担当さん的には当たり前じゃんといった反応だった。かまってちゃんみたいで寂しい気持ちになった。
言語療法では、時間制限のある中での言語訓練を行った。
具体的には30分以内に
①た から始まる言葉100個
②野菜の名前30個
③言葉を2つ繋げたアナグラム10問
を同時に行うというものだった。
退院後友達に会ったらやってもらいたい。これに関しては健常者でも難しいと思う。
脳疾患で言語や記憶に障害はあるものの、健常者とも張り合えるところはどんどん主張していきたい。これは僕は強い。
理学療法では久しぶりに外歩きに出た。杖無しで歩いても問題なさそうだが、後は繁華街や満員電車が心配だ。
4ヶ月ぶりに歩いた道を歩いた。知らない店ができていたり、新しい家が建っていたり、時間の経過を感じる。GWから入院しているということを思い出した。
病棟に戻ってから、セラピストのリーダーさんに今後やりたいこと、特に自助具について相談をした。病院の上層部の方に根回ししてくれるそうなので、手放しで喜んだ。
このリーダーさんは僕と同い年で、ゆとり世代真っ只中だ。普段は冗談に付き合ってくれて楽しい人だが、先生の回診の時などは情報を無駄なく伝えていたり、いわゆるできる側の人間だ。
思えば僕は、住宅営業時代の店長や、高校の部活の先輩、大学のサークルの先輩など、至る場所でできる側の人間に囲まれて、そのおかげでうまく生きてこられた。今回の闘病生活の中でも、たくさんのできる側の人達と知り合った。
ありがとうございます、できる側の人達。僕の人生はあなた達に支えられてできています。これからもお願いします、できる側の人達。
この日最近入院してきた患者さんと話した。
40代前半で脳出血。僕が前に教えてもらったように、病院での過ごし方や、見守りのルール、病気のことなどを話した。
高次脳障害や視野の障害の有無はわからないが、手足の麻痺がほぼ無いのが羨ましく思えた。
9月12日
この日は言語療法が終わってから、外出をして新事務所の土地契約を行った。
契約の時間がずれたので、髪を切りに行った。なぜか長期入院は丸坊主と決め込んで、髪を刈り続けたが、退院も近いのでそろそろ準備しないと間に合わない。
病院に戻った後、担当PTさんの計らいでリハビリチームの皆さんと写真を撮らせてもらった。シフトの関係で、なんと2DAYSで開催されるらしい。
1人のOTさんは休みなのに、お子さんを連れて写真に写りに来てくれた。
この病院に入院してから、たくさん泣いた。おそらく今までの人生での合計よりも泣いたと思う。紆余曲折あり結果的に立ち直った僕は、もう泣くことは無いと思ってたが、危なかった。
僕の人生の危機に一緒に立ち向かってくれたヒーローが集合している。劇場版だ。しかも2DAYSで。
ハウジングセンターのイベントで仮面ライダーと写真を撮る子供のような気持ちだった。
ポーズはもちろん、キツネだ。
僕の麻痺手は中指と薬指を伸ばすのが難しいので、リハビリ中もよくこのポーズをしている。
集合写真を撮って感極まった僕は、筋緊張が起こり右半身はガッチガチだった。
以後僕と会う人は、僕が緊張しているかどうかは右手を見ればすぐにわかる。右手が上がっていればいる程緊張している、ということだ。
病室に帰り感情に浸りながら写真を見た。
ヒーローたちはいつもマスクをしていたが、この瞬間だけマスクを外していた。
4ヶ月も一緒に過ごしてきたが、顔の半分を初めて見た。なんとも言えない不思議な感覚に陥った。
何度かセラピストさんにマスクの下が予想通り、と言われた事があった。その時僕は、これ以外に無いだろうにと思っていたが。そういうことか。
この日また別の歳の近い患者さんと話す機会があった。
この方も40代前半で脳出血。この方は僕が入院した頃と同じくらいの麻痺の状況だった。千葉県から愛知県に旅行に来て、脳出血で倒れてそのまま入院しているらしい。
その際にメガネもスマホも落として、どちらも無いまま入院生活を過ごしているらしい。スマホもあって地元で家族の面会もできる状態で、ここまで落ち込んでいた自分のメンタルの弱さに嫌気がさした。
むしろこの患者さんがすごいと思ったほうが良いかもしれない。
9月13日
この日は作業2つと理学のリハビリ。
1つ目の作業療法では手首の運動を徹底的に練習した。
理学療法では担当PTさんにストレッチを中心に体をほぐしてもらった。4ヶ月も見てもらってるだけあって、もはや足首を触っただけで僕の体の調子がわかるようだ。僕のパーソナルトレーナーになって欲しい。
2つ目の作業療法では、箸とペンの練習をした。すっかり利き手交換は終わっているが、いつかできるならもう一度右手でご飯を食べたい。また、自分のサインくらいは右手でできるようにしたいので、これは中長期目標に入れておく。
リハビリ終了後、再び集合写真を撮った。
この日のポーズは担当STさんの決めポーズだった。
またこの日も研究協力をした。毎回小さなブロックを1分間でいくつ運べるかを測るのだが、その個数が明らかに増えてきた。
加えて指の開き具合も前より広くなっている。足首も今までにはない上がり方を見せている。
退院前のこのタイミングで、もう一段階回復してきている気がする。
そのあとは昨日話した患者さんと千葉ロッテ対西武戦を見ながら雑談をした。熱烈なロッテファンらしい。もうすぐ退院だが、少しでもこの人の力になれたらと思う。
9月14日
この日は作業、言語、理学のリハビリ。
作業療法では歩く時の麻痺腕の振りについてリハビリした。麻痺側の足は意識しなくても動くようにはなっているが、腕は意識しないと動かない。
歩いている足に合わせて腕を動かすのは本当に難しい。
この日は部屋の片付けをした。
4ヶ月も住んでいればiPhoneも自宅だと認めるほど、ホームになっている。
いつも元気をもらっている子供の絵も外して、片付けを進めた。
古くなった部屋着やタオルを捨てて、しみじみしながら過ごした。
9月15日
最後の外泊日。
荷物を持ち帰ったり自宅の部屋を片付けたり、新事務所の件で手続きをした。
9月16日
作業療法と言語療法を行なった。
作業療法では、少し前に初めて挑戦したSTEFをもう一度やってみた。
結果は得点が少し上がっており、やはり退院目前のタイミングで回復してきている、と思う。
とはいえスコアとしては右手の半分も動いていない計算なので、今後も定期的に測っていきたい。
研究協力をしたが、こちらも更に検査結果が良くなってきた。
9月17日
作業、言語、理学のリハビリ。
言語療法では、5月入院当初に行った記憶検査を再度行った。合言葉のように言葉を対にして覚える検査だが、当時は2問やっただけで心が折れ、途中で止めてもらって0点だった。
今回は1問時間内に出てこなかったが、9割正解できた。戻ってきている。全吉には届かないが、7.5吉くらいにはなれているはずだ。
理学では担当PTさんに体の調子を見てもらった。何やら足首がいつもより柔らかくなってるらしい。こちらも良い兆しだ。
その後は家でやる自主トレの確認をしてもらった。それぞれの分野の自主トレを足すと1時間近くかかりそうなので、毎朝早起きが必要になりそうだ。
夜は担当セラピストさんに宛てた手紙を書いた。左手で長い文章を書くのもかなり慣れてきた。今後は名前のサインを右手で練習していく。
9月18日
作業2つと理学のリハビリ。
担当OTさんと入院中最後のリハビリだった。
特に湿っぽいことはなく、今まで通り指の開きや手首の運動訓練を行なった。明日あさって休みで今日で最後だと思っていたが、退院当日見送りに来てくれるらしい。ありがたい。
理学療法では股関節の筋トレを行なった。入院当初からそうだが、大きな筋肉の動きは比較的得意だが、股関節やお尻の細かい筋肉は本当に苦手だ。
麻痺側はもちろん、健側の膝や足が壊れないように、これからも定期的にメンテナンスを行なっていく。
クリエイターさんと今後の発信や動画作成の打ち合わせをした。
9月19日
リハビリ最終日。
作業、理学、言語のリハビリ。
作業療法ではOTさんと今日で終わりですね、なんて話していた。最初の頃は1時間ずっとひたすら電気刺激して、物を掴むことなんてできなかった。
今日は電気無しで物を掴んで、それを繰り返しできている。それだけでも大きな進歩だ。
理学療法は担当PTさんと最後のリハビリ。
よく覚えてないくらい下らない話をした。おしゃべりしながらストレッチをしてもらって、最後にお礼の手紙を渡した。
言語療法も担当STさんと最後のリハビリ。
三重県の人からしたら四日市以北はほぼ名古屋など、ほとんど雑談ばかりして最後に手紙を渡して終わった。
外来リハビリの日程も段取りしてもらった。
こんなにしみじみしているが、5日後には外来リハビリで担当さんたちにも会うことができる。
今大層なお別れをしてしまっては来週気まずいのでほどほどにしておく。
いつも通りLeo Goの自主リハを行って入院でのリハビリは完了した。
妻にお願いしていた菓子折りをリハビリの皆さんと看護師の皆様に渡して感謝を伝え、今に至る。
2024年9月19日17時34分、食堂横のいつも座っている畳のベンチでこの文章を書いている。
4ヶ月眺め続けた窓からの景色。
あとは夕食を食べて寝て、明日朝食を食べたら退院だ。
退院までの出来事と、皆様への感謝、今思うことはまた日記に書くが、ひとまずは一区切りとしておく。
この病気になって良かったなんて1ミリも思わないが、今はすっきりした気持ちでいる。
少なくともこの4ヶ月については、自分の弱さと向き合いながら、後悔の余地などないほどに、自分の障害と向き合えたと思う。
今日は思いっきり自分を誉めたい。
続く
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