まんず

@mnz1189 2024.5脳出血で倒れました。その後半身麻痺に。 リハビリの様子な…

まんず

@mnz1189 2024.5脳出血で倒れました。その後半身麻痺に。 リハビリの様子などを書き記していきます。

最近の記事

19. 半吉の脳出血闘病記(完)

9月19日 食事前、違うチームのセラピストさんがわざわざ病室まで来てくれて握手してくれた。 いつも頑張ってましたね。お疲れ様でした。 シンプルな言葉が本当に響いた。この人はいつも病棟内を歩いてる僕に、声をかけてくれた。たまに歩き方が変わったことや、装具が変わったことも気付いてくれた。 自分の存在を認識して気にかけてくれることが、こんなに気を楽にさせることを知らなかった。 ありがとうございました。 山口百恵の引退コンサートみたいに感謝を口ずさんで、一人になって泣きかけ

    • 18.半吉の脳出血闘病記

      9日11日 作業、言語、理学のリハビリ。 作業療法では、机の上に置いてある綿棒を掴んで小さな穴に入れる作業を行った。そして靴紐が結べるようになったことを担当OTさんに自慢した。担当さん的には当たり前じゃんといった反応だった。かまってちゃんみたいで寂しい気持ちになった。 言語療法では、時間制限のある中での言語訓練を行った。 具体的には30分以内に ①た から始まる言葉100個 ②野菜の名前30個 ③言葉を2つ繋げたアナグラム10問 を同時に行うというものだった。 退院後友達

      • 17.消えない魔球を半吉の代わりに

        9月3日 作業療法で神経衰弱をした。カードをめくる行為自体難しく、覚えるのも脳に負荷がかかって中々ハードなリハビリだった。 続く別の作業療法では、遂に手指の分離運動に挑戦した。 例えば文字を書く時に、親指人差し指中指は鉛筆を握り、薬指と小指は紙を押さえるというように、指がそれぞれ別の運動をすることがある。これを分離運動という。 今まで僕の手指は、一斉に閉じる、開くといった運動しかできなかった。というかしてこなかった。今回、OTさんに言われて動かしてみたところ、親指、人差

        • 16.その時半吉はただのマーク

          8月24日 SNSで知り合った片麻痺の同年代の人と電話で話した。症状や状況は違うが、同年代ならではの話やあるあるは楽しい。脳フェスも楽しみだ。 脳出血を機に知り合った人達を、家族や友達に説明するとき、呼称としてそのままだと長い。 片麻痺でもなんか伝わりにくい。障害の〜だとなんか違う気がする。 脳友にしよう。絶妙な抜け感だ。きっと流行らない。 8月25日 パラケインを携えて、以前渡りきれなかった信号にリベンジしに行った。 結果は成功だった。行きはパラケイン装備、帰りは

        19. 半吉の脳出血闘病記(完)

          15.名古屋半吉大作戦

          8月18日 夜中に何度も起きて寝起きが悪かった。筋緊張で起きると肘も膝も浮いており、汗をかくほど力が入っていた。 片麻痺になって以来、寝方難民だった。 普通の仰向けと、麻痺側が上になる横向きの2パターンしか無かった。 寝方にバリエーションが無いのは意外とストレスで、SNSで同じ病気の人に寝方を聞いて回った。 ポジション次第で麻痺側が下のパターンもありとのことだったので、この日から色々な寝方を試した。 ただ筋緊張は特に変わりなく、夜中起きることは多かった。 そこで一

          15.名古屋半吉大作戦

          14.おおるないと半吉せっしょん

          8月9日 発症以来視界がぼやけていたので、外出してメガネを作った。 妻とららぽーとで昼ごはんを食べて幸せだった。 メガネ屋さんのサイトで、カメラで顔を写してメガネの似合い度を判定する機能があったが、0%のメガネがあった。 販売店としてどうなんだろう。僕がそのメガネを持って行ったらちゃんと止めてくれるのだろうか。 結果100%のメガネにしました。 8月10日 作業療法でピノを作った。 当然本物じゃないが、硬めの粘土で割と精巧にできていたと思う。OTさんがマドラーを持って

          14.おおるないと半吉せっしょん

          13. CAN'T ESCAPE THE 半吉

          8月3日 この日は外泊日。 インスタを見てずーみーさんがたまにバイトしてる喫茶店で、イベントをやる事を知っていた。 こりゃもう行くしかないっしょ。ということで当日朝突然連絡を取り、妻にお願いをして、名古屋市伏見駅地下街のカフェドリームにお邪魔した。 伏見駅近くのパーキングに車を停めて、階段で地下へ。病後はじめて地下鉄に入るが、所々手すりがなく、踊り場の少ない直線の階段にスリルを感じた。 今までは難なく通ってきた道でも、段差や手すり、勾配でこんな風に通りづらいと思う場所が

          13. CAN'T ESCAPE THE 半吉

          12.半吉無双Ⅱ猛将伝

          7月20日 世界はサカサマさんのYouTubeで紹介されていた杖に興味を持ち、調べていくと僕の住んでる愛知県で作っていることがわかった。 片麻痺のインフルエンサー百武桃香さんがモデルを務める杖で、PTの方が開発に携わっており性能がとても高いらしい。 歩行動画や体型や病状などの情報から、どの杖が合うかを判断してくれるシステムだ。 推進力を増すためのタイプと、左右の揺れを少なくしてバランスを良くするためのタイプがある。 お値段は保険適用外で約15万円。高額だがサブスクで利

          12.半吉無双Ⅱ猛将伝

          11.半吉無双II

          7月17日 リュックに水を入れたペットボトル10キロ分を入れて、院内の歩行自主トレを開始。イメージは子供をおんぶする感じ。 我が家には子供が二人おり、まだまだ遊び盛りの幼稚園児だ。公園やアスレチックに連れて行くことも多かったので、これからもしばらくはだっこやおんぶはできるようにしたい。 片麻痺でも子供と遊びたい。 重りを背負うと確かに重いが重心が低いところに移って下半身の安定感が増す気がする。だが上半身は左右に大きく揺れてバランスが悪い。イメージは地震の時のビルの揺れ方に

          11.半吉無双II

          10.半吉色グラフィティー

          7月6日 外泊当日。 朝から両親も姉も紅も虎之助も僕の家に集合してくれていた。妻と連絡を取り、微熱になっている事を確認した。大丈夫そうだ。 9時から作業療法、10時から理学療法のリハビリを終えてから、車の乗り降りを確認して、外泊手続きを行なった。 前の家庭訪問の時とは違い、一泊家で過ごせる。そう思うとなんだか嬉しくてユージュアルサスペクツのラストシーンのカイザーソゼみたいに歩いて車に乗った。 たった一泊二日なのに、山ほど荷物を持っていった。車で10分ほどで家に着いた。

          10.半吉色グラフィティー

          9.半吉、ずーみーさん降臨

          7月4日 遂に待ちに待った外泊が2日後に控えていた。 妻がその日のご飯は何でもリクエストに応えてくれるそうで、生姜焼きと唐揚げのどちらかを選べず夜も寝れなかった。何なら明日までどちらとも決めずに、どちらも作って欲しいとすら思っていた。 STさんが外泊時の課題をまとめるシートを作ってくれたので、それぞれのセラピストさんと課題を話し合った。 コロナがまた流行っているタイミングで、入院から短期間での外泊が認められたのは、主治医の先生はもちろん、セラピストさんや看護師さんが尽力し

          9.半吉、ずーみーさん降臨

          0.全吉のお話し

          脳出血の後遺症で片麻痺になるまでのお話し。 僕という人間について。 1989年 姉二人を持つ長男として生まれた。 平成生まれとは信じがたい古い名前を付けられた。我ながらとても気に入っている。 末っ子長男だったこともあり、甘やかしてもらったんだと思う。 名古屋生まれ名古屋育ちの生粋の名古屋人だが、両親とも沖縄出身なため血統は100%シークワサーである。 幼稚園の時にはお泊まり保育を脱走したり、アザラシになりたがったり、好きに過ごした。 口に脊髄を生やしたような子で、一

          0.全吉のお話し

          8.半吉イズノットデッド

          「脳卒中 なった人」と検索すると、 脳卒中になった人の寿命はどれくらいですか? 脳卒中で死ぬ人 割合 など、当時は見たくない内容が並んでいた。 動画を探してみよう。 確かアイドルがライブ中脳卒中になってその後、みたいな動画だったと思う。発症した瞬間の映像が出てきて怖かった。その後セラピストとして働く様子が紹介されていて、確か指の麻痺が残っていたと思う。 関連動画を見ていく中で、ある動画を見つけた。 タイトルは、 「脳卒中で入院中の皆様へメッセージを贈ります。 片麻痺Yo

          8.半吉イズノットデッド

          7.オッケー半吉、今後の人生は?

          何度か看護師さんのチェックを受けて合格し、病院内を車椅子で自由に動き回れることなった僕は、精神的にも少し自由になった。 入院以来同じテーブルで食事している3人の先輩達は、僕と同じ脳卒中だった。大体僕の父親と同じくらいだったが、この人達に病院での困り事を相談して、いろいろと教えてもらった。 仲良く話していたが、後遺症のせいか名前を覚えたのは一番入院歴の長い患者さんが退院する直前、5月末頃だった。 この患者さんは僕が入院した時点で杖で病院内を自由に歩いて、麻痺側の手も普通に

          7.オッケー半吉、今後の人生は?

          6.半吉、ポエマー化する

          5月18日 この日からリハビリが本格始動した。言語療法、歩きを中心とした理学療法、手指を中心しとした作業療法を行ってもらう。 この時点で、腕、手指は無反応。足は膝がくがく、車椅子。手すりを持ってギリギリ一人で立てるくらいだった。言葉は話せるが、吃りがきつい。言いたい事はあるが、それを表す言葉が思い出せない。話すのに時間がかかる状態だった。 この日は土曜日だったが、平日と同じようにリハビリがあった。しばらくすると曜日の間隔は消え去っていった。 この日は土曜日だったので、や

          6.半吉、ポエマー化する

          5.半吉、新天地へ

          こうして僕は5月17日から回復期病院に入院した。回復期とは、脳卒中において発症より二週間から六ヶ月までの期間を指す。読んで字の如くとても回復する期で、麻痺した神経さえも回復する無双状態と言われている。言われてはない。 そんな黄金期に集中してリハビリするために回復期リハビリ病院がある。僕が通っているこの病院では、土日祝もなく一日3時間のセラピストさんのマンツーマンのリハビリを行うことができる。多分正月もクリスマスも何もない。 3時間のリハ以外にも、食事や着替え、歩行、風呂な

          5.半吉、新天地へ