15.名古屋半吉大作戦
8月18日
夜中に何度も起きて寝起きが悪かった。筋緊張で起きると肘も膝も浮いており、汗をかくほど力が入っていた。
片麻痺になって以来、寝方難民だった。
普通の仰向けと、麻痺側が上になる横向きの2パターンしか無かった。
寝方にバリエーションが無いのは意外とストレスで、SNSで同じ病気の人に寝方を聞いて回った。
ポジション次第で麻痺側が下のパターンもありとのことだったので、この日から色々な寝方を試した。
ただ筋緊張は特に変わりなく、夜中起きることは多かった。
そこで一つ実験をしてみた。僕の意思とは関係なく麻痺側の手足が力が入り上がっている。そこで目が覚めた瞬間、もっと力を入れてみる。そうすると自分の意思で半身が力む。そこで力を抜く。
これは体験した人にしかわからないかもしれない。
寝ている無意識の状態だと、麻痺側の肉体の主導権は僕に無い。だから勝手に強張っている。だから起きた時点で更に力を入れて主導権を上書きする。その上で力を抜くことができれば、麻痺側に対して自分の所有権を示すことができるのでは、と考えた。
学術的にどうなのかは知らないが、僕の体なのでひとまず退院までやってみることにした。
8月20日
子供の保育参観があり、そこで8月生まれの誕生日会があるということで、幼稚園に行った。
この幼稚園は僕が小さい頃通っていた幼稚園で、当時の園長先生が今の理事長だ。
僕は名字も名前もどちらも変わっていて、入園前の面接で一瞬でバレたらしい。僕はお泊まり保育から逃げるほどのスコーフィールディだった。
理事長夫妻もベテラン先生も、かわいさの跡形もない僕をよくちゃんと覚えている。
そして園室が4階で、子供用の手すりだったので手すり無しで登った。帰りは壁をつたいながら降りた。なんとか降りれたが、膝がきゅっと伸びてしまうのは課題だ。
班長、反張膝はんちょうひざというらしい。膝が伸びてしまい、膝関節を動かせず歩きにくくなる。
逆に体重を掛けると膝が折れる、膝折れという現象もあり、膝周りはバランスが難しい。膝折れはかなり初期に克服したが、班長は階段だとたまに顔を出していた。
太ももの裏、大腿四頭筋の筋力不足らしいので担当PTにいじめてもらおう。そして自主トレでいじめるしかない。
この数ヶ月で筋肉や関節、専門用語に詳しくなった。
総指伸筋そうししんきん
手根伸筋しゅこんしんきん
などかっこいい名前シリーズや
腸腰筋ちょうようきん
棘上筋きょくじょうきん
など役割がかっこいいシリーズなど、あるあるも作れそうだ。
詳しくなったら、自己紹介には自分の好きな筋肉と骨を元気に発表したい。ちなみに僕は伸筋という響きが必殺技みたいで好きだ。
セラピストの人たちにキャッキャ言って欲しいだけで筋肉の名前を書いたタトゥーを入れたいくらいだ。
8月21日
IN BODYと呼ばれる機械で、全身の筋肉量を測定してもらった。5月17日入院以来の測定だった。
上半身は何と減っていた。確かに機能訓練は死ぬほどやってきたが、筋トレは全くしていない。これから鍛える必要がある。
下半身に関しては衝撃だった。水分量の関係で誤差は出るとはいえ、140%は戸愚呂弟みたいな数字だ。厄日だ。
またこの日、電気刺激器具が届いた。僕は入院以来、毎日必ず電気刺激を受けていた。属性は間違いなくかみなりが付与されたに違いない。
マイ電気が来たとなれば、病室で作業療法やりたい放題だ。電気治療は痙縮の予防にもなるため、入院している内に担当OTさんに使用法を習っておく。
夜にはzoomで僕の会社の特定技能外国人の面接をした。退院後いきなり仕事復帰すると脳疲労がすごそうなので、外泊も含め少しずつ復帰を進める。
3ヶ月以上病院にいると、店でゆっくり靴や服を見て買うことなければ、ふらっと美味しそうな個人店に入る、孤独のグルメごっこもできない。
禁酒禁煙禁漁禁兵禁足だ。気を抜くとAmazonでボディソープや豆腐のギフトを買ってしまう。NIKEやZOZOで目一杯カートに詰め込んで、買わない生活を繰り返している。
ゴールデンウィークに運ばれてお盆を超えて病院にいるので、退院しようものなら自分自身何を買うかわからない。変な物を買おうとする沖縄風東海人を見たらこちらまで。
8月23日
主治医の先生にぬるっと、どうですか?と言われて退院が決まった。9月20日、約120日の入院を経て家に帰ることになる。なんと1ヶ月を切っている。
本来の期限は10月17日で、1ヶ月程度早い退院となる。全体的にまだリハビリできる伸び代はあると思うが、外泊も積極的にさせてもらって、日常生活としては問題ない。
僕としてはギリギリまで入院したかった。というのも、保険制度のシステムにある。
法律では入院から通常150日、高次脳障害がある場合180日は健康保険適用期間として定められている。その間は1日9単位リハビリを受けることができる。1単位20分なので、1日180分が保険適用となる。
上記の保険適用期間もしくは、主治医が必要と認める範囲においては外来といって通うリハビリが可能となる。ただ1ヶ月13単位までが保険適用でそれ以外は10割負担か、病院によってはリハビリできないようだ。
1日9単位から1月13単位。なぜ素数なのかは知らないが、約20分の1に減ってしまう。
通常このタイミングで、介護保険なる保険を使って、デイケアや通所リハビリなどに切り替えていく。ただし、介護保険は40歳以上が対象となる。なのでデイケアや通所リハビリは適用外だ。さらに介護保険であれば手すりなどの家の改築費なども補償される。
10月17日まで入院していれば、このまま1日9単位受けられる。退院した場合は月13単位。これでは足りないため自費リハと呼ばれるリハビリに通う予定だ。
自費リハとは読んで字の如く、自費で行うリハビリで、保険から全く補助がない。わかりやすく言えば、お金がかかる。
自費リハもたくさんあるので一概には言えないが、概ね1時間12,000-18,000円くらいが相場だ。今の病院のリハビリも保険適用でなければ近い金額かかるだろう。
つまり今と同じは無理にしても、半分復職しながら半分リハビリを想定して.
90分18,000円を週4回なら72,000円/週となる。半分の週2回でも36,000円/週と、なかなか費用負担は大きい。
どの自費リハも体験期間があるので、片っ端から行ってみて自分に合う場所を見つけたい。
ここからはリハビリについてぼんやり思ってきたことについて書いていく。日記のまとめとしてはここで終わりだ。
脳のリハビリとしてまとめてみる。ぼんやりした話しなので、悪しからず。
僕は今まで、運動をちゃんとしてこなかった。今になって直そうとしてる猫背やガニ股も、気にしたことなどなかった。
この病気の後遺症に対するリハビリを通して、それらの改善に取り組みつつ、症状自体も少しずつ回復してきた。
これからも僕はまだまだ自分の体は回復していくものだと思っている。ただその時々の自分の体に必要な運動や筋肉やストレッチが何か、今はわからないことが多い。これに関してはもっと勉強する必要がある。
セラピストの皆さんがプロなのは百も承知だが、365日24時間体制で使い、メンテナンスの責任を負うのは僕だ。
だからプロの技術を少しでも盗んで、自分の体に必要なリハビリを自分で選択し、評価できるのが理想だと考えている。
それにはまだまだ知識も経験もないので、授業料を払って学習しようと思う。それができるようになれば、リハビリにお金を払わず、自分で自分の体と付き合っていける。
僕の勝手な理論だが、回復期リハビリは義務教育だと思っている。
脳卒中や脊損や交通事故など、多様な生徒が入ってくる。先生も熱血の人もいれば、研究者みたいな人もいる。その先生達が時間事に入れ替わりで授業をする。費用は教育をみんなが受けられるように、国が補助してくれる。
ただ義務教育だけあって、歩けなくても気にしない人、どうしても手を動かしたい人、職場に戻りたい人、事情も全く違う。
義務教育のリハビリにおいて共通の目標は生活を送れること。介助があっても自立でも、だ。
義務教育が終われば、就職する人もいれば、家に帰ってゆっくり暮らす人もいる。
家で自分で勉強する人もいるが、塾に通う人もいる。
ここでいう塾が自費リハだと考えている。
より回復したい、つまりもっと勉強したい。だがやり方がわからないという人が塾に通う。もちろん義務教育と比べて学費は上がる。
そして塾はカリキュラムが個人毎に組まれ、複数の先生が付くことも少ない。
ちなみに義務教育からの退院が決まった僕はさしずめ、最上級生みたいなものだ。年齢は一番下だが、この病棟で一番在籍は長いはずだ。
少し前まで僕は自分の置かれた状況を飲み込めず毎日悩んでいた。
しかし同じ場所にいる先輩や、ネットを通じて知り合った卒業生に話を聞いてもらい、順に悩みを解決することができた。これは児童会のようなものだと考えている。
この先社会に戻って障害のない人と過ごしていくにしても、何かこのコミュニティに貢献したいと思いが強い。
今回僕が脳出血になっただけで、他にも無数があり、無数の障害がある。できるだけそれらを勉強した上で、僕の立場から貢献できることを見つける。
さらにそれを実行できれば、この病気になったのも必要な工程だと捉え、更に先に進めると思う。
漠然とやりたいことと、明確にやると決めていることはそれぞれあるが、長くなるので今回はここまで。続く。
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