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13. CAN'T ESCAPE THE 半吉

8月3日
この日は外泊日。
インスタを見てずーみーさんがたまにバイトしてる喫茶店で、イベントをやる事を知っていた。

こりゃもう行くしかないっしょ。ということで当日朝突然連絡を取り、妻にお願いをして、名古屋市伏見駅地下街のカフェドリームにお邪魔した。

伏見駅近くのパーキングに車を停めて、階段で地下へ。病後はじめて地下鉄に入るが、所々手すりがなく、踊り場の少ない直線の階段にスリルを感じた。

今までは難なく通ってきた道でも、段差や手すり、勾配でこんな風に通りづらいと思う場所がこれから出てくるんでだろう。

階段を降りると、レトロな雰囲気の長屋風飲み屋街が広がっていた。時間は昼過ぎだったが、酒を飲んでる人も多く、昔だったら大好物な場所だったろう。

いました。本物です。

ずーみーさんと会えた感動はひとしおだが、とりあえずめちゃくちゃ身長が高いのに面食らっていた。

動画を見て僕ぐらい顔濃いなーと思っていたので、当然同じくらいの身長だと思っていた。

まさか入院中に会う事になるとは思っていなかった。直接感謝を伝えられて良かった。

短い間ではあったが、同じく当事者の方2人と合わせて4人でお話しすることができた。困りごとや病院での出来事を話した。

本当にこの病気は、人によって症状も後遺症も、回復も違う。だが同じ病気で苦しんだのは一緒だ。それだけで結構気持ちが楽になったりする。

ずーみーさん達と写真を撮って、また会う約束をした。

8月10日に上の子の6歳の誕生日があったので、トイザらスに行っておもちゃを選んで、一緒にご飯を食べた。普通に楽しんだり、家族と過ごすってこういうことだなとしみじみ感じた。

この子達はまだ小さく、僕が健康だった頃の事はあまり覚えてないかもしれない。

病気になる前、僕は日祝以外は不定休で、家にいないことが多かった。朝は子供が寝てる時間に出て、付き合いで飲みに行くこともあった。

普段ほとんどワンオペで家の事をやってくれている妻は、休める時間がないため、僕が連休の時には車で公園や動物園に行くことがあった。

今回の病気で僕は右半身麻痺となった。その影響で前のように運転することはできない。運転するには、下記のような段階を踏む必要がある。

①運転シミュレータ等の検査に合格する
②主治医に許可を出してもらう
③免許センターに問い合わせ
④免許センターで適正検査を受ける

僕の場合は①のシミュレータが病院にないため、別の場所で検査を行う必要がある。また②の許可については、退院から半年程度様子を見るらしい。

更に実際に車に乗ろうと思ったら、片手でハンドルやウインカーを操作し、左足でブレーキやアクセルを踏む必要がある。これは業者に頼んで改造できる。

かなり大掛かりな改造に聞こえるが、4.50万円くらいでできるらしい。ただ免許を取れるかどうかわからないうちからは、改造に取りかかれないので、実際の運転までにはかなりの時間がかかりそうだ。

仕事でも運転は必要なので、最短で段取りしていくつもりだ。

8月4日
自宅で掃除機や洗い物をやってみた。思ったよりできそうだ。重い物を運んだり高い所を掃除したりできない分、少しでも家事の手伝いをできるようにしていきたい。

また一応装具を付けて今あるスニーカーを履いてみたが、無理だった。サポーターならギリギリ履けそうなので、なんとかそちらに慣れていきたい。

スタメン達

また購入して以来あまり弾いていないベースと三線も、今の時点では考えられないので、クローゼットにしまっておいた。何年か経って弾けたら嬉しい。

病院に帰った深夜、火災報知器が鳴った。僕は起きてたのですぐ食堂に出て行ったが、他の患者さんはいなかった。後からぽつぽつと数人出てきた。誤報だったから良かった。

いい機会なので、家に帰る時には防災用品の場所の中身のチェックと、歩いて避難場所までの道を歩いてみよう。

8月7日
概ね発症から3か月ということで、中庭で歩行や手指の動画を撮影した。この1週間ほどでそれぞれもう一段階回復したように思う。

足はサポーターで十分歩けるようになった。麻痺足の片足立ちも、全くできなかったが少しできる。

手は基本パーの状態で自然に指が開くようになってきた。緊張が強くなってきているのが怖いが、ひとまず順調だ。

言語能力においても、普通の受け答えなら速度や内容含めて対応できていた。

残り2か月、退院までの具体的な目標も考えた。
①手首を健側と同じように曲げる
②退院してからも続けられるルーティンを作る
③でんぐり返し、スキップをする
④本来の自分の考え方を再構築する
⑤退院後にやりたい事を考える
⑥病院で出会った人に感謝を伝える方法を考える

①手首を健側と同じように曲げる
手首をだらんと、おばけのポーズみたいにして欲しい。そして目の前にある何かを掴んでみて欲しい。おばけポーズだととても不自然な状態だ。

物を掴む時は手首は大抵上がっている。僕はおばけポーズの形で力が入りやすいので、手首が上がりにくい。これが上がれば、右手の操作度は飛躍的に向上する。

②退院してからも続けられるルーティンを作る
退院後は仕事も始まるので、今のようなリハビリ時間は取れない可能性が高い。しかし痙縮や今後の回復も考えれば、家でもできるだけ運動量を落としたくない。

なので事前にメニューを組んでおいて、そのメニューをこなせばある程度体が動かせるようにしたい。またそのルーティンのやり方が間違っていないかセラピストさんに確認してもらう必要がある。

③でんぐり返し、スキップをする
これらに必要性は全くない。だが真剣に取り組むことで、リハビリを楽しくできる。気がする。
これに関しては、いつか笑い話でしたいな、と漠然と考えていた。

④本来の自分の考え方を再構築する
普通の受け答えは完璧に近い形でできるようになった。だが、病前の僕は自分で言うのも何だが、ある程度面白かった。そして皮肉っぽい冗談を好んで言っていた。どんな時でもギャグセンのある一言を探していた。

なので自分らしい話し方、考え方を再構築して、寝る前にクスリと笑えるような一言を言えるようになりたい。

⑤退院後にやりたい事を考える
今まではリハビリをどう行うか、をずっと考えてきたが、退院後の生活の方が遥かに長い。

病気になってしまったのは今更どうにもならないが、タダで起きるのはもったいない。何かこの病気に罹ったからこそできることを考えたい。

⑥病院で出会った人に感謝を伝える方法を考える
セラピストさんや看護師さんらに、退院の時までに感謝を伝える方法を考えようと思う。

この頃は悩みや不安などもはや無く、これからの人生をどう楽しむか。周りをどう楽しませるか。しか考えてなかった。

障害受容という言葉がある。
「障害の受容とはあきらめでもなく居直りでもなく、障害に対する価値観の転換であり障害をもつことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないことの認識と体得を通じて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転ずることである」と説明されている。

最初はとにかく受容できなかった。片麻痺になった自分を恥ずかしく思っていたし、普通の生活はできないと考えていた。

だが同じ境遇の人は、病院の中にもいるし、SNSを通して覗いた世界にはもっと多くの同志がいる。

片麻痺でも社長だったり、バンドマンだったり、クリエイターだったり。
歌舞伎町の女王みたいな元社長の筋トレフリークの万バスさんだったり。

面白い世界が広がっていた。

僕は利き手だった右手と右足が麻痺している。いわゆる半身麻痺だが、僕の尊厳や自信、今まで積み上げたものが半分になったわけではない。

むしろ新しい価値観を、新しいコミュニティを得た。片麻痺というジャンルは狭い世界だが深い。

そういう意味では、この辺りでぬるっと障害受容ができたのかも知れない。続く。

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