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芭蕉さんが詠んだ「変な句」に心はペンギン状態

白菊よ白菊よ恥長髪よ長髪よ    松尾芭蕉


 よくペンギンは好奇心の強い生き物で、変わったものを見つけると、自らの危険を顧みず対象に近づいていってしまうと言われている。
 そんなペンギンたちの立ち振る舞いに共感する私の前に、不思議な句が出現した。それが松尾芭蕉の「白菊よ白菊恥長髪よ長髪よ」という句。目にしたことのない芭蕉さんの句である上、読み方も定かではない。
 触れない方がいいのかもしれないなどと日和見になりながらも、いったいどういう意味だとか、そもそも芭蕉さんはどういうつもりで詠んだ句だろうとかとか、好奇心は一杯。そうして、好奇心に負けた形で取り上げてみることにしたのだが、さてさて。
 この句、まず言えるのが提携でないこと。「しらぎくよしらぎくよ はじちやうはつよ ちやうはつよ」と読むと十音、八音、六音となる。定型を逸脱してまで「白菊」と「長髪」を重ねる必要があるか、疑問に感じるが「よ」で調子を整える方を重視したのかもしれない。
 しかし芭蕉さんにとっては、敢えて白菊を重ねる意味があったのだと思う。中七、下五で繰り返す長髪との対比を強調したかったのだと推測した。
「恥長髪」は、こうした熟語があったわけではなく、「恥」は恥であり、それに「長髪」加えられている。長髪の意味は現代の意味と異なり、月代(さかやき)に毛が伸びている様子を表している。芭蕉の時代の成人男子の髪の基本は月代といって額から頭部の中頃までを剃り上げ、髷にゆったものだった。その月代は頻繁に手入れをしないと、毛が生えてきて見苦しいものとなる。その状態を長髪と呼んだのである。
 この句を破調としてまで芭蕉さんの言いたかったことは、清楚で美しい白菊の花に対比して、月代を長髪にした自らの在りようだった。もちろん、これはものの例えで、芭蕉さんの身仕舞いはきちんとしていたことだろう。
 白菊を二度、長髪を二度繰り返し、諧謔を装いながら厳しい自己批判をしているように思える。
 
 この句に談林調の取るに足りない句とする意見もある。しかし、俳句は詠まれて作者の手を離れると、作品と向き合う読み手の読解力と解釈に委ねられる。私は予断を交えず芭蕉さんの句として、この句に触れ、このような異質な句を芭蕉さんが詠んだことを愉快に思っている。(黒川俊郎丸亀丸)



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