夜長
いつかの恋人への私信と自戒😌
大学生の終わりに出会って、2年近く付き合った恋人と別れた。2つ歳下の恋人とは飛行機込みで片道3時間の遠距離だったけれど、インターネットの世界ではそんな現実の距離など軽々と超えて恋に落ちた。 趣味でやっていたゲームの憧れの人だった。その人に憧れて練習したりもしたし、その人と仲の良い友達に嫉妬したりもした。嫉妬の対象だった友達に繋げてもらい、初めて二人で話をした。 既に深夜零時を越えていた。私は一人暮らしだったけれど、恋人は実家暮らしだったために囁くような声で話した。二人だけの
死にたいと 零すわたしの傍らで 生きててほしいと君が言うから 心から愛した人の言葉なら 届いたかもなとひとり呟く 死にたいって気持ちをね、言葉にするのってすごく勇気がいることで それを言葉に出した途端に涙が溢れてきちゃうような 表面張力で保っていた感情がすべて氾濫するような 自分の心が制御できなくなるような そんな絶望に呑み込まれるんだよね ありのままのわたしを受け入れて欲しいと思う反面 わたし自身ですら受け入れられないものを 他人にすべて受容させようだなんて酷く傲慢だ
三年後 一緒にいようと いったのに ダブルベッドの 右が寂しい ・ 左手の マニキュアうまく 塗れなくて はみ出た分が わたしの心 ・ あの人が 好きだと言った 曲をまた 流して泣いて 夜が更けてく ・ 短歌ってむずかしい〜〜〜〜!!
一年前?当時の恋人がMrs. GREEN APPLEを好きで、 「Soranji」が主題歌であるこの映画を観に行っていた。 戦争がテーマのこの映画、わたしも気になってはいたけど、 大きい音や戦争というセンシティブなテーマにしり込みをしてしまって、結局映画館に観に行くことは叶わなかった。 恋人と別れて早半年、 Amazonプライムビデオにてこの映画が配信されることになり、これは好機と重い腰を上げて観ることにした。 元々気になっていた映画だし、元彼がどうとかは関係ないし、わたし
現実世界が生きづらくて わたしはインターネットの海に潜った たくさんの情報と、写真と、こころの澱と、 人々の暮らしがそこにはあった 誰にも干渉されず 誰にも攻撃されないそこは心地よくて わたしは海の中を気の向くままに泳ぎまわった 人々の生活が見える写真から人となりを夢想し 心の内をさらけ出すような呟きに心をかたむけた 目標に向かって努力する人の眩さに目が眩んだ 現実に打ちのめされる人を思うと胸が痛んだ 道端の花一輪に心を砕く人がいることを知った わたしの他にも月の色ひ
好きな人ができたよ できたっていうか、以前付き合っていた人のことを 「あーわたし、この人のことが好きなんだなぁ」って 再確認しただけなんだけど。 その人とは2年前に出会って、1年半付き合って、半年前にお別れして、というそんな関係で、 半年ぶりに連絡を取ったら変わらない気さくさと人懐っこさ、でもどこか大人びた空気感があって、 「あーわたし、この人のことが好きなんだなぁ」って思ってしまった。 その人は多分、わたしと別れてからやりたいことをやって、どんどん前に進んでいる感じがし
映画「メアリと魔女の花」を観た。 深夜3時、手持ち無沙汰にNetflixを漁っていたところ新着としてラインナップされていた。 恋人との通話中、話しながら観れるライトな映画を求めていた。連日の仕事で心身ともに疲れ果てていて、ぼーっと眺めて楽しく過ごせるような映画なら尚良し。 そんな気持ちで見始めた映画はお花が沢山出てきて、動物たちもいっぱいいて、ロボットも魔法も龍の巣(ラピュタじゃん!って二人で笑った)も出てきて、ジブリ作品を複数観ている人はプラスで楽しめる要素が沢山あった
昨年の冬、2月に告げられた人事異動で引越しをした。 前の家は一年と経たずに引き払うことになった。東南向きの大きい窓が一つある1Kのアパートだった。 トイレとお風呂場が廊下を挟んだ向かいにあって、脱衣所が広くて、浴室乾燥機があって、引き戸を開ければキッチンとリビングが繋がるような間取りだった。 キッチンも六畳と広めで、シンクの向かいにダイニングテーブルを置いてご飯を食べた。 このテーブル、白い家具が多い部屋に合わせて恋人と選んだ思い出がある。正方形で、脚がパイプになっていて、
24歳、独り身。 彼氏なし。貯金はある。積立NISAもiDeCoもふるさと納税もやってる。 友達はいる。多くはないけど。 漠然と不安がある。 明日もきっと仕事に行く。朝起きて、ご飯を食べて、車に乗って出勤する。 子供たちに勉強を教えている。数学と理科が多いが英語も国語も教える。「なんでも知っている大人」として校舎に立っている。 「将来の夢って何?」 生徒によく聞く言葉だ。 「将来なりたいものはある?」 自分で聞いていて、当時の自分は何を答えただろうかと思案する。お花屋さん