好きな本の新刊が出たことについて語るつもりが話が逸れまくる
らく魔女懐かしい
らくだい魔女に新刊が出てる⁈
この事実を知ったのは数週間前なのですが、留学中でしっかり受け止めきれてなかった。これは…私の人生の中でとても見過ごせない出来事です。あんなに新刊を待ってた小学生の自分に新刊を輸送してあげたい。
「らくだい魔女はプリンセス」シリーズを知らない人のために一応説明しておくと、銀の国のお姫様だけど魔法がダメダメな主人公、フウカちゃんが色々な冒険をするファンタジー小説です。主に小学生くらいの子を対象にしている、いわゆる「学校の図書館にあってみんな読んでた本」と言ったら分かりやすいかもしれません。
授業中はすぐに魔法の世界の空想に浸っていた小学生の私には本当にドンピシャの本で、このシリーズがどれだけ私の日常をワクワクさせてくれたかを思い出すといてもたってもいられないような気持ちになります。
小学生の頃の読書ってなんであんなに楽しかったんだろう。本当にあり得ないくらいワクワクする経験でした。文字通り、現実を忘れるくらい夢中になって読んでた気がする。今たとえ読書をしてもあの頃ほどのめり込めないのは、いい意味でも悪い意味でも色々な分別がついてしまったからだなあなんて思ったりします。身に付いてしまった能力って消せないので、本当に大切な体験だったんだと改めて感じます。
他にも「妖怪ナビルナ」「魔界屋リリー」「黒魔女さんが通る」「若おかみは小学生」あたりは私のお気に入りなのですが、語りだすときりがないので話を戻します。
ふと、らく魔女の新刊が出たことを思い出し、よみがえってきた大きすぎる感情。。
これはしばらく放置していたnoteに綴るしかない!!!(今手元に本がなく、当時の記憶を頼りにキャラクターや物語設定を語るので間違っているところがあるかも)(※ちょっとだけネタバレ注意?)
新刊が出るまで10年⁈
今回の新刊発売の何がこんなにも自分的注目トピックなのかというと、一つ前の17巻、「らくだい魔女と闇の魔宮」が発売されたのが2013年10月。約10年前なんです。
当時、小学校の図書館にはらく魔女が15巻までしかなく、待ちきれなかった私は16巻、17巻を本屋で自分で買って持っていました。今検索して16巻、17巻の表紙を見たんだけど何これ、、、感情が揺さぶられる。本当に好きだったんだなあ。
特に17巻。確かフウカたちが過去にタイムスリップする話だったはずで17巻の本の内容が一文字も余らず全部好きだったな~。タイムスリップって面白いんですよね。若いころのフウカのママが出てきたり、謎に包まれたフウカのパパについて少し明らかになったり。
そういえば、このワクワクを共有したくて当時、夜寝る前に2歳下の妹に読み聞かせしたことを思い出しました。絶対に読み聞かせするような厚さの本じゃないし、喉がカラカラになったけど、「ね?面白いでしょ?」っていう気持ちが強すぎて見事最後まで朗読した記憶があります。妹もおそらく気に入っていました。
しかし17巻発売後、突然止んだ新刊の更新。ついに私が小学校を卒業しても新刊は出ませんでした。
小学校を卒業後、私はぱたりと本を読む頻度が減りました。部活に塾にテストに追われ、誰もが小学生のころとは違う生活リズムになる時期。それでも、らくだい魔女のことは気にしていました。本屋に行けばたまに子ども本コーナーを覗いて新刊がないかチェックしたり、ネットで調べたり。
ふと思い出してはらく魔女のその後を確認するたび、最後にらく魔女を読んだときから、どんどん自分をとりまく環境や自分の感覚、価値観が変わっていくのを感じました。
でも、読書体験の記憶とその時の感情は時間を越えて何度もよみがえってきて。らく魔女含む、小学生の時に読んだファンタジー小説を通してだけ、私はあの頃の私に戻れるんです。
好きなものを好きって思うとき、そこに自分が見つかる
今よりも「感じたままに」行動して「つくろわない」自分でいた小学生の自分と比べると、現在大学生の自分はもちろん、より自分をコントロールする術を持っています。当然と言えば当然ですが、それは人間として成長している証拠で、たくさんの経験を通して私はきっと小学生の頃よりも自分を抑えて周りを優先したり、社会に求められているような協調性が身に付いていたりする人間になったはずです。簡単に言えば大人になったということですよね。もちろんそれはきっと素晴らしいことです。
でもたまに、自分の考えが純粋に自分から発生したものなのかわからなくなることがあります。社会の一般的な価値観、周りの目、他者へのあこがれや損得、前よりもいろんなものが私の意見を「つくる」ようになったからです。
例えば私が、「それでもいいんじゃないかなあ」って思っていた考え方がインターネットで批判を浴びているのを見て、私はすぐに「自分は間違ってたんだ。これは悪いことだ。」と思いなおしたとします。すると、もともと自分が感じていたファーストインプレッションを忘れてしまい、矯正した方を自分の意見と思い込みます。もちろん、道徳や常識を学ぶことは大切です。でも、時折それが自分に介入しすぎて、直感やセンスといった、個人の個性といえるようなところにまで入りこんでくる時があります。
一方、幼いときに読んだ小説を通して当時生じた感情や意見は、笑っちゃうくらい絶対的に自分から生まれた、自分純度100パーセントのものだなって思ったんです。どんなに自分が分からなくなっても、「らく魔女」含む好きな本のことを思えばそこに自分がいる。
らく魔女の新刊のことを知って、「うわあ好きだったならく魔女!」と思うのと同時に、こんな思いがあふれてきました。
どんなところが好きだったっけ
色々思い出して話が飛ぶんですが、私はフウカのママが好きでした。とても美人で銀の国の王女らしい銀色の髪、冷静沈着で言葉遣いも少し男性っぽさがある。「レイア」という名前も好き。周りから尊敬され高嶺の花のようなお母さん。でも、娘思いな一面もしっかりあって。容姿や性格が小学生の私のツボにドンピシャでした。
フウカママから連想されるのは、圧倒的な「伝統の踏襲」や「正統」といった印象。これがフウカのイレギュラー性、銀の国のプリンセスなのに金髪である、という特徴を際立てているように感じます。
フウカが金髪であることが、なんだかんだ私がらく魔女を好きな一番の理由かもしれない。そこには秘密の香りしかしないからです。この物語において金髪は忌み嫌われる色。ママが銀髪なので、秘密を握るのは父親の存在。しかし、フウカパパはフウカが生まれる前に亡くなっています。でも、フウカのピンチには色々な姿や手段でフウカを助けてくれるんですよね。17巻の過去に行く回でも、顔を見ることはできなかったけど後ろからフウカに話しかけて会話をするシーンがあったはず。会話をすることはできるのに、顔を合わせたり姿を見ることはできない切なさがすごく印象的でした。
他にも、幼馴染のチトセ、かりんを中心とする魅力的なキャラクターやフウカの明るく優しい性格など見どころはたくさんです。
読み返したくなってきた、!!
改めて感じる本だけの良さ
ところで、本のいいところって自分の独占場なことなんじゃないかなって思いました。テレビとかユーチューブ、映画などなどって人と共有することが比較的容易ですよね。テレビ、映画なら(小学生ならなおさら)人と見ることが多いし、ユーチューブはコメント欄で意見が共有できますよね。
特にユーチューブは何分何秒のここ、いいよね!みたいに、タイムスタンプで場面場面での感想の共有が特段容易だと思います。
でも、本って感想の共有が難しくないですか?そもそも本は基本的に一人で読み進めるし、本の感想を共有するには何というか、しっかりと時間が必要です。これこそが、本の良さなんじゃないかなってふと思ったりしました。少なくとも私には、本で読んだ内容は自分だけの体験、自分だけの秘密として心の奥に入り込むような感じがしたからです。
当時の感覚で言うと、こんなに不思議な世界を提供してくれて魅力的なのに、皆は知らないような、私だけに現れた世界。
読書体験には、他人の意見が介入しにくい。だから自分だけの世界、自分だけの意見が生まれて、いつまでも記憶に残る宝物のように感じられるのかな。
おわりに
言いたいことがいっぱい出てきたけど消化する方法がなかったのでnoteがあって助かりました。新刊、見つけ次第買います。