鳥かご(ショート・フィクション)
◆イントロ
厭な夢を見た。
今しがた見た夢を反芻しながら、何がその夢を見させたのか考えている。
気がつくと自分の枕元に外国人の女兵士が窓の外を見つめながら立っていた。何か叫ぶとバズーカ砲のようなもので、狙いを定めている。
ここから攻撃をすれば、反撃を受けることは容易に想像できる。
私は咄嗟に身構えようとするが、体が動かない。ここは既に戦場になったという既知感が襲いかかってくる。もう逃げられないのだ。これまで何度も見た夢の中で、ついに銃殺される最後の瞬間の、あの切羽詰まった感じが蘇ってきた。もうだめだ。やはりだめなのか。・・・
「何だ夢か」と思いながらも、あのリアリティーはどこから来るのかと反芻が続く。もしかしたら、自分の前世は処刑された兵士なのか。それとも単に最近の戦争に関するニュースが潜在意識に働きかけた妄想なのか。
ある体験が実際に起こった事実である、と断言できるのは記憶のリアリティーが支えているからだとすれば、あれば・・・
◆Aメロ
そんなことを考えながら、ベッドから身を起こし朝のルーティンをこなしてゆく。目玉焼きの火加減を見ながらコーヒーを入れる。冷凍庫から出したパンをトースターに入れ、「2枚分」にスイッチを合わせる。
ここまでは、いつもと変わらない朝の日常だった。
テレビのリモコンを手に取りスイッチを入れる。天気予報が流れ、今日も一日中危険な暑さだ、などと同じことをのたまっている。一体この暑さはいつまで続くのだろう、と思った時、「おや、どうして?」、
今週の天気予報に昨日の予報が出ている。
へへへ、こりゃ放送事故だ。途中で気がついて謝罪アナウンスが流れるのかね、などと思っていたがそのまま終わってしまった。腑に落ちないまま7時のニュースが始まった。
「あれ、このニュース、見た覚えがある。」そんな気がして別のチャネルに切り替えてみるが、録画のバラエティーではリアルタイム情報は分からず、もう一度ニュースに切変える。
やはり昨日のニュースのようだ。一体どうなっているのだろう。
そうだ、スマホだ!スマホのカレンダーを確認して、あれ?今日は何日だっけ、オレ1日間違えているのか? いや、そんなことは無い。
確かに昨日は午前、午後2回のリモート会議をこなし、夕方は飲み会に出かけたのだ。今日はその翌日だから間違える訳はない。
一体どうしたんだろう? 全てのものが昨日を示しているのだ。SNSの投稿を見るが、新しい投稿が増えていないぞ。どれもこれも昨日見た状態で先に進んでいない。
私の頭はパニックになりかけていた。
どうすればはっきりするのか?。
そうだ誰かに電話してみよう。まずは仕事の相棒A氏へかける。
「・・・おかけになった電話番号は現在使われておりません・・・」
えっ! そんなバカな。他の電話番号も一緒で・・・掛ける電話全てが
繋がつながらないなんて、いったい何が起こったのか。
◆Bメロ
とりあえず外へ出て、誰かと会話するしかない。衝動的にマンションの部屋を後にした。「やけに静かだ」 朝とは言え、外の喧騒が何もなく、聞こえてくるのは鳥のさえずりのみなのだ。
「気持ち悪い。」そう感じながらエレベータに乗り込む。
なんだこの張り紙は? 「汝の存在を知れ」
白いA3用紙に墨で書かれた書道文字がエレベータの奥面に貼ってあるのだ。大きな不安が胸をよぎった。何かおかしなことが起こっている。
とりあえず誰かに会わなくては、の一心で1階で止まるとエレベータから飛び出した。そうだ、マンションの管理人がいるはずだ。あの張り紙についても何か知っているに違いない。
そう思い、管理室の受付窓口に走るが、閉まっている。くそ!まだ出勤前か。「よし、コンビニだ。」近くのコンビニへ向かうが、あたりはシーンと静まりかえり、車が一台も走っていないのが不気味だ。
「開いている!コンビニやってるぞ!」駐車場には車もあり、その時は普通に営業しているようにも見えた。「開いてて良かった」とはこの場のセリフだ。しかし、人気がない。中には入ると、人がいないことを除けば、普通に営業しているようだ。
「すみません!誰かいませんか」 応答が無い。恐る恐るバックヤードに侵入し、祈るような気持ちで声をかけたが誰もいる様子がない。ここまで来ると悪夢としか思えない。照明や冷蔵設備は何の問題もなく動いている。
冷静になれ、と自分に言い聞かせて、何か飲むことにする。そうだエネルギードリンクだ。棚から一本取るとセルフレジに通す。ここで万引きではまずい、そんな意識だけは残っているから、オレも日本人だ、などと余計なことを思いながら一気に飲み干す。
◆サビ
これは本当に起こっている事なのか。この界隈からは自分以外の人間が消えてしまったのか。それともこの世界から人間が消えてしまったのか。
突然の恐怖と絶望感が襲ってきた。そんなことはありえない、どこかに人がいるはずだ。と、考えが及んだ所で、衝動的にコンビニを飛び出し、最寄り駅の方向に走りだした。
私のマンションからコンビニを経て駅まではバス通りの一本道で約1kmの下り坂である。まったく人気のない静けさに包まれた通りを一目散に駆け下りていく。どこかに人の気配が無いか目を配りながら、まだ冷静さを残している自分を意識している。
自分の意識がある限り、この世界は存在している。と思ったときだった。
この下り道と交差している大通りに車が通ったのだ。
「大丈夫だ。世界は存在している」
大通りには普段と変わらず車が走っている。そして「ああ、人がいる!」
思わずくずれそうになり、涙があふれた。俺は知らなかった、なんという生命の奇跡、人がいることのなんという安堵感。よろよろと立ち上がり駅のほうへ向かって行った。
だが、何か変だ。
駅へ向かってというより大通りに向かって歩いているだが、一向に距離が縮まらないのだ。確かに前に進んでいる気はするが、見える景色は近づいてこないのだ。まるで書割りの前で足踏みをしているような感覚なのだ。しかも、車は決してこちらには向かって来ず、ビルの間を横に通り過ぎるのみなのだ。朝ドラであればここで、「はて!」となる場面が頭に浮かぶ。後ろを振り返れば、下ってきた道がそのまま残っている。
とっさに帰れなくなる恐怖に見舞われる。
「オレは認知症の俳諧老人なのか?」 との観念が頭を横切るが、とりあえず振り出しに戻ろう、そう思い、来た道を戻り始める。喧騒の無い静けさの中に小鳥の声だけが響き渡る。何もかもが静止している、下りて来た時と同じだ。コンビニの所まで戻ってきたが、1ミリも動いた気配がない。やはり止まっているのだ。
マンションが見えて来た時だった。
鳥の群れが木立から現れ、マンションを超えて飛び去った。彼らは自由だ、いつもと変わらず大空を飛び回っている。
心に日常の平静心が戻ってくる。動きの無いマンションの建物を呆然と見ている自分がいる。「あれは大きな鳥かご?」 自由に飛び回る小鳥たちに比べてなんて不自由な人間たちの営みなのか、毎日鳥かごに戻り、その日常に安堵する人間たち。
◆Aメロ~エンディング
管理室に人がいることを期待するのは、絶望を味わうことを意味すると自分に言い聞かせて、管理室を横目で通り過ぎる。エントランスをキーで開け、エレベータに向かう。人気がないのは変わらないが、設備は何の異常もなく動作しているのが不気味だ。
エレベータは1階で待機しており、すぐにドアが開く。
「汝の存在を知れ」の張り紙が目に入る。誰かが俺を見ている、オレがうろたえるのを見ているやつがいる。
急に腹立たしくなり、張り紙を引き剝がす。何となく罪の意識がもたげ、次に張り紙が貼られるとしたら「恥を知れ」なのか、などとどうでもいいことが頭に浮かぶが何も起きず、自分の部屋のある階に着いてドアが開く。
エレベータの場所から自分の部屋まで6部屋程進むことになる。いつもは、誰がどんな生活を送っているのかなんて事には無関心で、そっと通り抜けるが、今日は違う。そうだ、全部の部屋のチャイムを鳴らしながら進もう。
もし、誰かできてきたら?「これって、ピンポンダッシュ」ってやつか。
もし、見つかったら、やはり認知症老人と見られてしまうに違いないが、それも良しとしよう。
しかし、どの部屋からも反応は無く、自分の部屋に至る。いつもの習慣で無意識に施錠をしたのだろう。ポケットからキーを取り出し、開ける。いつものようにそのキーをキーハンガーに掛ける。もうキーは必要ないのかもしれないが。
全てがそのままである。何も変わらない日常の風景が甦る。ここに居れば何も問題ないのかも知れない。リモコンを取りテレビのスイッチをいれる。
自民党総裁選の予想解説が流れている。きっと昨日の番組なのだろうが、今の自分にはどうでもよいことだ。オレは存在しているのだ。 The END
~作者あとがき~
ずっと頭にあった観念をフィクションという形で文章にしてみたら、止まらなくなり一気に4000文字ほどの文章が出来上がった。
現実とは、自己存在とは何なのか。日記を書き忘れて記憶のない3日前の出来事と今朝の鮮明な夢のリアリティとどちらが現実と言えるのか。
現実体験と思っていることは単に意識の連続性が支えているだけの幻影なのではないのか。そんな不安定な自己に対して他者は本当に存在するのか。
現役から退き、社会との関係が希薄になる老人には、学生時代に哲学書を片手に悶々と過ごした時の気分が再び甦って来る様である。
書いている間、頭に流れていたのはチェット・ベイカーのトランペットで曲名は「黒と白のポートレート」。もし、読み返すご好意を頂けるなら、聞きながら読んでいただくと気分も共有できるかと思います。
https://youtu.be/mnVQvZSpDPc
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?