清潔感とルッキズムの境目/見た目で得したことある?
お元気ですか。ツギハギです。
自分のルックスで得をした経験はありますか?
実は私の友達がね。いつも怒ってるんですよ。
何にってさ、ルッキズムに。
「ルッキズムはクソ!😡」
ここ最近そいつと飲みに行くたび、いつの間にか話は「さやっち騒動」に及び彼氏(スポーツマン)叩きを経てルッキズムへの怒りに収束するんです。
さやっち騒動
もはや古典落語みたいでね。顔真っ赤にして机叩いて「ブサイクに救いはない!ルッキズムはクソ!」
ここまでがセット。かわいいなあと思いつつ「そんなことないよ」と嗜めるんです。
彼がどこまでをルッキズムと称してるかは分かりませんが、外見がその人の評価を左右する現実は確かに存在しますよね。
清潔感(減点)と美しさ(加点)の違い
友達は清潔感と美醜をやや混同していたかもしれません。
車に例えてみましょう。ベンツだろうが軽トラだろうが、最低限の整備(車検)がなされていないと公道を走れませんよね。
ただ、車検をクリアしたことと、その車の価値はあまり関係がありません。
人に置き換えると、車検は「清潔感(一番低いハードル)」をクリアするための身嗜みにすぎません。
身嗜みで減点部分を潰すことでやっと社会のスタートラインに立つのだと思います。
「自分はブサイクだから」というのは、身嗜みを疎かにする理由にはならなかったりするんです。気持ちは分かりますけどね。
また、この時点ではベンツも軽トラも同じ価値だといえるでしょう。
ベンツが軽トラより価値があるとされるのは、ボディの剛性だったり、エンジンの性能だったり、乗り心地だったり、果てにはブランドやデザインだったり。
ここらへんは人間でいう美醜と同じかもしれません。車のルッキズム(加点部分)だ。
人間でいえば顔の造形が整っていたり、化粧で見栄えのある造形を作ったり、スタイルがよかったり。造形美醜の基準は時代や文化圏によりけりですが、加点部分はこんなところでしょうか。
中性的な時の私をちやほやする人達
少し見方を変えて、身嗜みを整えた二人の人物がいたとして、加点部分の違いにより扱われ方が異なることは、批判の対象になり得るルッキズムだと思います。
私は、自分のルックス(加点部分)で得をしたことがあります。
まどろっこしく書くと、加点0(減点ナシ、加点ナシ)と加点アリ(減点ナシ、加点アリ)の状態を行ったり来たりすることで、前述の「身嗜みを整えた二人の人物が加点部分の違いで異なる扱いを受けた」を疑似的に体験しました。
生まれつき、とても強いくせ毛なんです。
2000年代ってもじゃもじゃ頭はぶっちゃけ人権無かったじゃないですか。随分とからかわれてね。
他の身嗜みにいくら気を遣っても髪型のせいで「清潔感」をクリアできず、社会のスタートラインに立てない気分でした。
中学生の頃、お金を貯めて縮毛矯正をかけました。1万円くらいだったかな。当時の自分にとって途方もなく大きな買い物でした。
でもね。次の日から周囲の対応が一変したんです。
(私の容姿は「優」でも「良」でもありません。「可」です)
とにかく色白で皮膚が薄く、粘膜(唇)が真っ赤だったこと。まだ骨格が発達しておらず滑らかな顔をしていたことから、髪をまっすぐ降ろした私はまるで女の子のようでした。
まあ、要はちやほやされたんですね。
クラスメイト達だけでなく大人も私に対する態度を変えました。
特に一番驚いたのは当時通っていた道場の師範でした。生意気だった私は師範から好かれていませんでしたが、その日は珍しく声をかけてきたかと思えば私の頬を両手で包み「かわいい。惚れちゃった」と。目をずっと合わせながら。
子どもながらに生々しい性欲を感じました。生意気な私を組み伏せる想像でもしていたのでしょうか。
そういえば、当時道場に通っていた子が別の師範から性的虐待を受けた話を聞いたっけ。
「顔の造形が変わってないのに、髪型が変わるだけでこうも扱いが変わるのは異常だ」
そう思ってました。だって、そうでしょう?色の白さも顔のつくりも、今までずっと世間にオープンしていたものだ。
今まで誰も注目してこなかったくせに「髪が長くてサラサラ」という女性的な記号が加わっただけで、その他の点も一斉に女性的記号に置き換わる。
メガネを取ったら美少女現象は本当にあるんだな、って。
再び返される手のひら
縮毛矯正は1万円。精々かけられたとしても年に1度。それでも髪は伸びてくる。
すごく怖かったです。
「この髪型が維持されなければ、誰も自分をちやほやしなくなる」って。
でも結局、丸刈りにしました。せっかく得た「容姿の加点」を全部無かったことにした。
予想は的中し、私を容姿でちやほやする者はいなくなりました。
「また髪伸ばして矯正かけたらいいのに」という声はよく聞いたので「髪型次第で容姿が良くなるやつ」程度のレガシーは残ったのかもしれませんが。
そして肌で感じました。どう足掻いたって、加点部分(美しさ)の違いにより扱われ方は異なる。
私は経済的な理由で「容姿の加点」を手放しましたが、当然金さえあれば続けていた訳です。
そう、「美しさ」は金で(も)買える。
そして「美しさ」が損なわれると、世間の関心は呆気なく失せる。
そりゃ皆必死になって美を維持するでしょう。金も惜しみなく注ぎ込んで。
私はもともと素顔を世に晒していたので、取ってつけた美(直毛)を手放すのに踏ん切りがつきました。
でも。
化粧や美容医療など、「それらが無い状態の自分を想像できない」ような状態になると、美しさから降りることには想像も絶する苦痛が伴うでしょうね。
努力、技術、資本次第で軽トラはベンツになれるしなりたがる。だけどベンツが軽トラに戻りたがるとは思えない。
ルッキズムはクソかもね/
ルッキズムは資本主義かもね
容姿の加点次第で扱いが変わることをルッキズムと呼ぶなら、私はルッキズムの影響をモロに受けた当事者だ。
当事者意見としてルッキズムをどう思うか問われると、冒頭の友達とやや同意見で「まあクソかもねえ」と思います。
ただ、加点部分を金銭でどうにかできたり、または「金銭以外でどうにかする市場(痩身、化粧技術など)」が成熟している以上、ルッキズムを排除することもまあ難しいでしょう。
排除しない以上、ルッキズムで割を食う者もいなくならない。男女問わず。
彼らが本当に割を食ってるのか、減点部分を潰す作業(清潔感)を怠っているだけなのかは別として、せめて自分は彼らの拠り所でありたいと思います。
私の前では安心して「ルッキズムはクソ!😭」と言っていい。レモンサワーのグラスをテーブルに打ち付けながら。
「そうだよなクソだよな!」って一緒に言うから。
ルッキズムの話じゃなくてもいい。あなたのコンプレックスを安心して打ち明けてもらえるような存在であり続けたい。
(再掲)
しつこいようですが私は容姿が良い訳ではありません。
別の友達と繁華街を歩いていたところ「イケメンのお兄さんお店寄ってって!」と寒空の中健気に呼び込みしてる子に声をかけられ
「ごめんね次の店決まってるんだ」と返したところ
「いやそっちじゃないし(笑)隣のお兄さんのことだよ(笑)」と言われました。
ルッキズムはクソ!!!
良いお年を。