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推しが入隊して一年半

推しが入隊してから一年半。「人間は歳を重ねるごとに時間の経過を早く感じるようになる」と聞いたことがある。実際2022年まではそれに納得していたのだが、打って変わってこの一年半は本当に長く感じられた。半年、一年の区切りでnoteを書いたし、せっかくなので一年半のこの区切りにも書いてみることにする。先にことわっておくが、スーパーウルトラ自分語りnoteである。

どうやら私は自覚している以上に落ち込んでいたらしい。何もかも頭では分かっているはずなのに足取りが重くて、心にぽっかりと穴が空くという表現がぴったりな毎日だった。しかもこの穴、メイドインアビスに出てくるアビスくらい深い。その穴に潜ってこのことばかり考えてしまうと気分を高めるのが大変で、まさに上昇負荷がかかったようだった。

おそらくホソクさんが入隊した時に書いた
「自分で認識している寂しさより実際に受けている精神的ダメージが大きい」という
指で書いたにしては文字がよく書けている図


さて、4月というのは多くの人にとって少なからず変化のある時期だと思う。例にもれず私もそうで、特に2023年の4月は私のこれまでの人生の中でも一番といっていいほど大きな変化があった時期であった。

それまで住んでいた場所を離れて全く馴染みのない土地に越し、知り合いもおらず、陸続きに頼れる人がいない状況で新生活を始めた。実はその時期に私の家庭状況にも大きな変化があり、心もかなり擦り減った状態で環境の変化にも適応しなければならなかった。近くに頼れる人もおらず、こんなことを言ってはなんだが遠くに住む家族のことも信じられなくて、様々な面から強く孤独を感じていた時期だったのだ。

そんな時に強い心の支えになっていたのが「on the street」だ。この曲がリリースされた時、varietyのインタビューでホソクさんが、「温もりを共有して冷たい風からの避難所となり、皆さんの新しい生活を応援したい・人生を歩む人たちに勇気と希望を届けたい・新たなスタートや長い旅路を歩む全ての人に友だちのように寄り添って欲しい曲」だとコメントしていたのを思い出す。

そもそも自分が入隊を前にしている状況で誰かを応援できることが本当にすごいと思う。ファンソングではあるものの、「ストリートは人生のメタファーだ」と話すホソクさんがファンだけでなく全ての人へ向けて曲を書いたところも好きだ。その優しさをファンとして独り占め(?)したいという気持ちもあるものの、そうやって誰にとっても希望となるホソクさんがやっぱり大好きだ。

避難所のような曲、まさにその通りだ。ホソクさんの楽曲はots以外にも避難所となる力を持っているものがあると思う。思い出されるのは、ホソクさんが2018年に発表した「Hope World」というミックステープに収録されている「P.O.P pt1」だ。この曲では「もし自分が誰かの光で力であるならP.O.P(平穏の欠片)になりたい」と綴られているが、ホソクさんを知り始めた時にこんなにファンに向き合った歌詞があるのかとかなり衝撃を受けた記憶がある。その誠実さに涙したし、普段の各方面に配慮した完璧な言動もこの想いが根底にあるからかと納得したのを覚えている。


「推しとは何か」という問いに対する明確かつ普遍的な答えはないが、私にとってのホソクさんは「どんなことがあっても思い出せば平穏や希望を取り戻せる大切なピース」だと思う。もし私がホソクさんに自分の想いを伝えられる機会があるとするなら私の絶対的なP.O.Pであることと、それに対する感謝の念を伝えたいと思っているほど私の中で大切で絶対的な考えだ。P.O.P pt1には本当に本当に本当に本当に辛い瞬間を救われてきた。誇張抜きで生きる力であり理由だった。


そしてotsもまさに心理的に少しでも逃げられる場所を与えてくれた曲だった。この曲がある限り私は自分の足で自分の道を歩けると思えるような曲。どんな日々でもこの曲があれば大丈夫、ホソクさんもみんなも私も自分の道を歩き続けているのだと強く励まされた。少しポエムらしくなってしまったが、とりあえず肩の力は抜いて斜に構えるのはやめたくなるくらい素直な曲だ。これほど優しくて芯のある曲がこの世にあることが本当に嬉しくてたまらない。色んな変化がある世の中で変わらないものがあったら心強いが、それがまさにこんな音楽だと私は信じている。




さて、最近はふとした選択をする時もホソクさんを思い浮かべるようになっただけでなく、弱気になった時に私の中のハクナムさんが「それは言い訳だ」と喝を入れてくれる毎日だ。元々好奇心が旺盛なタイプではあったが、思えば以前より色んなことに勇気を出して挑戦したり踏ん張るようになった気がする。

ホソクさんが入隊してからは韓国語をちゃんと勉強するようになった。実は小学生の頃から言語に強い関心があり、義務教育としても習う英語の他にも何か言語を習得したいと考えていた。それゆえ中国語に手を出してみたり、フランス語を勉強したこともあったが残念ながら続かなかった。好奇心は旺盛なのだが、加えて大変な飽き性なのである。

それでもこの一年半、韓国語の勉強を続けてぼちぼち理解できるようになってきた。ハングルは母音の一文字でさえも読めなかったのだが、今はウィバースの返信くらいなら翻訳をかけずに分かるようになってきた。知らない単語の意味を推測してみたり、面白い表現に出会って感嘆したりと言語習得の醍醐味を味わっているところである。やはり言語は楽しくておもしろい。時に言語の優劣を決めようとする意見も見かけるが、私は文化において優劣は存在せず、ただ差異のみが存在すると思っている。つまりどの言語にもそれぞれの良さがあってとても素敵だ。やっぱり言葉って本当にいい。


元来リスニングは苦手なのだが、おおかたの予想がつけば話している内容を推測しながら少しずつ理解できるようになった。実際に話していることと字幕との間にどれほど乖離があるのかある程度分かって、ニュアンスも以前より正確に掴めるようになったと感じる。

韓国語が全く分からなかったころ、字幕がなくなった途端に本当に全く知らない他人になってしまったようで(実際他人なのだがそれはおいといて)コミュニケーションツールとしての言語の重要性を痛感したりしていたため、そのギャップが以前より縮まったことが何より嬉しい。まさに「だんだん君の伝えたい言葉が分かってく」状態だ。次にホソクさんが配信する時はどれほど分かるようになっているだろうか。字幕なしで配信を見ても以前のようにはるか遠い存在だと感じないだろうか。もし何の変化もなかったらと思うとちょっと怖くもあるけれど、なんだかんだ楽しみだ。

これはBombで公開された黒マスクのホソクさん

そんなこんなで過ごしてきて、もう少しで長かった一年半が終わる。この一年半、想像していた何倍ものたくさんの供給があった。7人に共通して言えることだが、自分の生活がいろんな角度から制限される前だというのに色んなコンテンツを残してくれたからである。

考えてみれば定期的に大きな供給があるだけでなく、そもそも物理的な距離はそんなに変わらないし、SNSだって時々更新される。好きな漫画のキャラが数年登場しないことなんてよくあることだし、待つこと自体はそんなに苦じゃない。むしろ慣れている方だと思う。それに比べれば全然長い期間じゃない。彼を知らない層にも届いて世間を騒がせたアンバサダーとしての仕事や、ここぞというタイミングで仮面を脱いだmangの話題もあったし、アルバムだって2枚も出た。日本にも訪れた密度の高いドキュメンタリーも6話分配信された。


それでも心に穴が開いたような感覚になったのはなぜか。それを言語化するか否かかなり迷ったのだが、もうこの先は言葉にする機会もないであろう感情をここに書ききって封じ込めようと思う。どうしても少し暗くなってしまう上に、考え方の違いで気分を害してしまったら申し訳ない。その時はそっとこの記事を閉じて欲しい。





以前はその日食べたものがTMIとして語られるだけで嬉しかったのに、この期間は何を食べたかも何をしていたのかも知りたくなかった。もちろん色んな考え方や感じ方があって、献立を見たり情報を得た方が寂しくないという人もいるだろうが、私の場合はそうではなかった。
敬礼の絵文字が増えたのも「らしいな」と思いながらなんとなく悲しかったし、銃を持つ姿も軍服を着ている姿も見たくなかった。目を覚ます度に嫌なニュースが入ってませんようにと願いながら、祈るような気持ちでスマホを開くのも毎日の憂鬱さを加速させていた。
本当のことを言うと特急の戦士にもならなくていいのにと思ったし、全てにおいて「どうしてこの人が」と思い続ける日々だった。(※原因は理解しており、決して理由が知りたいわけではありません)



それでも顔が見えると嬉しくて、どんな状況でも真摯に生きるその姿勢が大好きで自分も頑張ろうと励まされたし、時には考えすぎだと自覚するぐらいに向き合い方に悩んだり、そうして考えすぎた悩みの答えともなるような言葉を偶然もらえて嬉しくて泣いたこともあった。

また、助教という役職はその立場ゆえに厳しくなることで有名だ。それなのに時々目にした噂話はどれも彼の優しさを褒めるものばかりだった。もちろん全ての情報に信憑性があるわけではないが、どんな状況でも真面目に優しく人と向き合う人であり、私がどれほどエゴを喚き散らそうと一番好きな部分は何一つ変わっていないのだと安心したりもした。

文字にしてみると改めてかなり自分勝手で、嫌気がさすほどとんでもないエゴの塊だ。アイドルとしての活動はどうしても空白ができてしまったが、もちろんホソクさんの人生が止まるわけではない。どんなことも全て他人の大切な人生を構成しているのだ。ホソクさんは優しいから「いつでも変わらないジェイホープとチョンホソクとして生きているということを伝えたい」と言ってくれたけど、もちろん私が変に思い巡らせていいようなことではないと思う。そう分かっていても抱えてしまう色んな感情に、結局どう折り合いをつけていいのか分からないまま今日まできてしまった。そう考えることすらも勝手に思われてならないが、もしかすると未来の自分が答えを出してくれるかもしれないのでとりあえず今は一応文字に残しておく。

ただ改めて感じたのは、待つ寂しさも得も言われぬ悲しみもあったけれど、好きになったことを後悔したことは一秒たりともないということだ。

これはmangに夏の海を見せたくて
友だちに連れて行ってもらったけど、
私が道を間違えたせいで着いたころには
夜になっていた時の写真



半年の区切りにも、一年の区切りでも記したが、私はこの期間に気持ちが薄れるんじゃないかと不安に思ったりもしていた。絶対に待つと強く思いながらも、どうしても飽き性の自分が信頼できない部分もあったのだ。

しかしこの心配は完全な杞憂に終わった。毎日毎日毎日毎日ホソクさんのことばっかり考えていた。私の心の中を可視化できたらみんな呆れて私から離れていっちゃうんじゃないかと思うくらいホソクさんのことばかり考えていた。

朝起きてから夜寝るまで本当にホソクさんのことばっかりだったな、と改めて思う。本を読んでも授業を受けていても「これはホソクさんについて考える土台を作る勉強になるぞ」という気持ちになるし、頭の中は常に連想ゲーム状態で、実際に自分の過去のツイートを遡りながらホソクさんのことばかり呟いていた気もする。


そしてこの期間、私の周りの人がそれぞれ過ごしているのを見ることでかなり励まされてきたと思う。もちろんみんなが同じ価値観を持っているわけではないし、時には全く異なる見解をもっていたこともあり、Twitterなんて!と嘆く日だってあったけど、それぞれの方法で待っているのを見て元気をもらったことの方が多かった。この際なので言ってしまうと見かけなくなった人も元気だったらいいな、なんて密かに思い続けたりしている。

ここまで読んでいただけたらお分かりだろうが、正直精神面でかなりホソクさんにもたれかかってしまっている。良くないと分かりながらズルズルとここまできてしまった。とにかく、これから色んなことがどうなるか分からないけど、ホソクさんが思い描いていた未来になったらいいな。推しが入隊してから(だいたい)一年半が経った今、こんなことを考えている。












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