親が宗教をやめた
親が宗教をやめた。
受け取り手の状況や思い、心情によってどんな感想や表現も尊厳を損なう可能性があるので、棄教の理由や背景の説明は省略する。
そんな配慮をしたくなるのも、
小さい頃から「教え」にしたがって、周りの人のために存在しようと生きてきたから、そんな表現をここでしたくないんだと思う。
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今回のお盆休みで両親に会った時に、世間話みたいなノリで、「やめるんだ」と話があった。
当然引き止める権利はないし、Netflixで宗教団体の裏側のドキュメンタリーをみたこともあって、宗教団体としての「その宗教」を強く信仰することはなかった。
でも、
私はお化けや怪奇現象に会ったことはないし、
お祈りが通じて奇跡が起こったこともあった。
そして何より、教えによる人格形成が私に悪影響を与えたことはなかったから、
宗教団体のことも『真偽はわからないけど悪いことはしてない団体』として信じていた。
様々な場面で神様が語られるときも、「その宗教」の神様の顔を無意識に思い浮かべていた。
なんとなく、無邪気に、「神様はいる」と思っていて、
お祈りをしてるから/両親が祈ってくれてるから、【私は守られている】という謎の自信があった。
今までの考え方だと、
親の棄教で、私はもう「守られていない」ことになっている。
でも、私の生活は変わらない。
お化けも現れてない。
私は、何を信じてたんだろう。
これから恐ろしいことが起こりそうで怖い時、
ぜったいに成功させたいことがあるとき、
今まで心の中で「その宗教」のことを考えていたとき、
何を考えたらいいんだろう。
なんだかすごく心細い。
"正しい"として教えられた宗教が、「やっぱり正しくないかも」って、急にとりあげられた。
無宗教の人たちは、最初からそれがないから、こんなことを相談できない。
たぶん人間はそういう生き物なんだと思う。そんな中で自分たちで棄てる判断をした親はすごいなと思う。
すこし、自分勝手だなとも思う。
子供だった私には、信者たちの体験談も、日々の祈りも、強烈に記憶に残っているから。
もしかしたら、
なにかきっかけがあったら、
熱心な信者として身を捧げてたかもしれないし、
そのせいで身を滅ぼしたり、後悔がある人生になってたかもしれない。
今回の親の棄教が許せなかったかもしれない。
親が思う以上に、幼少期における宗教教育は人格形成や思考のクセ、人間関係の築き方に大きく影響する。
今の私にとっては、安易に宗教系の教育施設を選択することもかなり恐ろしいことに感じている。
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素直って怖い。
信じるとか愛するとか、目の前の人が言ってることを丸っと信じることは簡単だ。
いままでそうしてきた。信じなさいと教えられたからなのか、自分の選択なのかはもうわからない。
でも、より重要な誰かや自分を守るために、
今後は信じたり愛したりする対象は絞らなきゃいけないと思う。
なんて虚しくて、哀しいことなんだろうって思ってしまう。
すべての人を信じて愛することは、もはやわたしの性格の一部だから。
どうしよう。
宗教への依存はとても怖い。身をもって知った。
次の何かを信じたいと思うけど、
同じ苦しみを味わわないためには、自分を信じるしかないのかもしれない。