好きな人が彼氏になった✌️✌️✌️ このセリフ、ずーっと言いたかったし今まさに誰がどう見ても言っていい状態なのに、不服。 どう不服なのかというと、 「私のことほんとはすきじゃないのでは?」って思っちゃうから。 なんでいまの私たちの関係を、付き合ってるって言えるのか、私にはわからないから。 好きな人と付き合えるって事実自体に、もっと喜ばなきゃいけないのかも。 でも無理!私だけが変じゃないはず。 親愛なる恋の戦友のみなさん、ちょっと読んでください。 ①待ち合わせの時に大
親が宗教をやめた。 受け取り手の状況や思い、心情によってどんな感想や表現も尊厳を損なう可能性があるので、棄教の理由や背景の説明は省略する。 そんな配慮をしたくなるのも、 小さい頃から「教え」にしたがって、周りの人のために存在しようと生きてきたから、そんな表現をここでしたくないんだと思う。 *** 今回のお盆休みで両親に会った時に、世間話みたいなノリで、「やめるんだ」と話があった。 当然引き止める権利はないし、Netflixで宗教団体の裏側のドキュメンタリーをみたことも
好きな人がいます。 noteかく前は、「好き」よりも利己的な、純度の低い感情だなと感じてて、でも夏だし、好きな人がいるって思いたくて、「好き」ってことにしてた。 書きながら、やっぱり好きな人なんだなって思った。純度も、低い感情の中に高い感情がちゃんとあると思う。いい恋だ。 恋愛偏差値が低い自分、みじめで健気で、弱者だなあって意味でとてもかわいい。 (笑)をつけたくなるような「かわいい(笑)」。 noteに書いたらいろいろ整理されて忘れられると思ってたのにな。大好きになっち
とにかく好きだった。 いまおもえば、誰かを好きという感情に依存してたんだと思う。 ニックネームは馬。馬面ではないけど、訳あって馬。 たまにしか会えないし、会っても雑で乱暴。 私のことなんか1ミリも好きじゃないのに、毎日毎日思い続けた人。義務みたいに。 これが単純接触効果なんだと思う。 わたしはそういうのにしこたま弱い。 まんまと沼った。自分で仕向けたようなもので、馬が私を沼らせたわけじゃない。 2018年の冬。 馬にとっての帰省先であり、私にとっての地元の街で出会った。