半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語㊼
「やっぱり、もう限界かな」
この職場もいろいろエピソードは尽きません
相談員さんは女性が多かったこともあり、子育て、家庭の不満、
恋バナやら、派閥やら、ランチタイムの話題には事欠きません
ドラマに出てくるような、ごくごく普通の毎日です。
ただ、普通でないのは17:30終業のチャイムが鳴った後です
就業時間になるとチャイムの音とともに私の席にガードマンさんがお迎えに来てくださいます。
裏口の段差をおろしてくださり、車までエスコートいただきます。
いつのころからかガードマンさんの間で申し送りがされていたようで
雨の日も雪の日も、退職の日まで、大勢のガードマンさんに
毎日お世話になりました。
本当にありがたく、一日の疲れが癒されて家路につくことができました
相談員の嘱託契約は毎年4月に更新されます。
2回目の更新が近づいたとき上司と面談がありました。
わざわざ2階まで車椅子を担いであげてくださったので、何かあるかなと思っていましたが、更新の条件は勤務時間とお給料が大幅に減少されることになっていました。
予算が削られたという説明です。
私は、頭の中で計算して、ここで退職して雇用保険を受給したほうが
新しい給料より高いと判断しました。
なので
「ありがとうございます、契約は更新はしません」
「さらにステップアップするために一度退職して、ハローワークの教育訓練を受講させていただきたいと思います」
「パソコンをもっと学んでからもう一度仕事を探したいので、よろしくお願いいたします」
この時54歳、ステップアップとか、ちょっと噓っぽい気がしましたが
「わかりました」
「頑張ってください」
と無事円満退職にこぎつけ、雇用保険をいただきながら、
ハローワークのe-ラーニングでビジネススキルや、MOSの資格取得、
再就職のための勉強までさせて頂きました
さて、教育訓練プログラムが終了し、いよいよ大好きな就活です
集団面接会も何度も参加しました
しかしながら「不採用」「お祈りいたします」「残念ながら」の山
若い新卒者
障害の程度が軽い人
大卒、短大卒
中途障害で専門知識のある人
が優先なのは当然です
私の出番は回ってきません
教育訓練プログラムの先生やハローワークの相談員さんから
就活の方法をいろいろ教えて頂きました。
年齢や学歴などの応募条件であきらめない
障碍者用の求人でなくても、できそうな職場だったら
とりあえず直接担当者に連絡をしてみる
何か知り合いとかの「つて」がありそうなら、どんどん利用させてもらう
たとえば、市会議員とかは市民のために働くことが仕事なのだから
連絡を取ってみる等々
「この人と仕事がしたい」と思ってもらうことが重要
「仕事は後から覚えれてもらえばいい」
年齢55歳、車椅子、養護学校の高卒、これといった専門知識なし
何社応募したことでしょう
一度数えたら100社近くになっていて、自分でも驚きました
「やっぱり、もう限界かな」
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