倫敦塔 ☆128
ここ2週間くらいは、ずっと勉強ばかりしていて、やっと受験も終わったので、ひと息ついているところだ。
いつも行く温泉で休んでいたが、昨日は8月12日(月)で、既に料金はお盆値段になっている上に、どんどん客が入って来て通常の2~3倍の混みようであった。
この2週間はYouTubeもDMM・TVもほとんど見ていなかったが、今日は大学にログインしないで楽しい動画など見てまったり過ごしていた。
noteの記事も書こうとしたのだが、何だか勉強していた事と関連する内容になってしまって面白くない。
ソーシャルワーク自体は面白いのだが、世の中そればかりでもあるまい。2週間ずっと自分を洗脳し続けたようなものだから、少し毒気を抜かなくては。
「山田五郎のオトナの教養講座」でロンドン塔の幽霊を話題にしていた。漱石の『倫敦塔』を軸にして、所どころ拾い読みしていたが、夏らしく怪談噺仕立てにしたかったのだろう。でも、あんまり怖くはならなかった。
ロンドン塔の事を、漱石は「血塔」と書いたりして殊更おどろおどろしさを強調しているが、実際にここではたくさんの人が幽閉され、処刑されているので幽霊譚も多くあるらしい。
漱石は2年留学していたが、貧乏生活を余儀なくされて華やかな思い出などなく、もっぱら苦痛で暗い日々を過ごしていた印象で、「漱石発狂す」などと文部省に報告されてしまうくらい参っていたらしい。
ロンドン塔へ物見に出掛けたのは、そんなに悪化する前の事だったろうが、それでなくとも陰惨な雰囲気のロンドン塔は、漱石の目には不気味に映ったのではないかと思う。
漱石がロンドン塔を訪れたのは1901年。その前年に6代目三遊亭圓生が生まれている。
YouTubeで「太田上田」もよく見ているが、最近稲川淳二が出演していて怪談噺を披露していた、さすがの力量である。
稲川淳二はトークのスピードが早く、トーンも明るくて軽いのに、ディテールがよく語られているから怖さが滲み伝わってくる。年齢による衰えを全く感じなかった。
けれど怪談噺と言えば、私は6代目三遊亭圓生なのである。『真景累ヶ淵』『乳房榎』『牡丹灯籠』『死神』作者は江戸、明治に活躍した名人三遊亭圓朝だ。
『真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)』は1859年(安政6年)の作であるという。この頃世界では医学が発達し、その知識は日本にも伝わって「神経」という新しい言葉、概念が流行していた。因みにフロイトはこの年まだ3歳なのである。
『真景累ヶ淵』の真景とは神経の事なのだ。流行り言葉を巧みに使って名作を創り上げてしまう圓朝という人の才能の一端が知れよう。
怪談噺なので恐ろしい殺人事件も起こるのだが、それは因果や悪霊的な仕業によるというのが、それまでの怪談噺の解釈だったのが、
神経をやられてオカシクなってしまっての兇行であるとしたところが一層怖さを増しているのである。怨霊より生きた人間の方が怖い。
ロンドン塔で漱石は幻想の中にトリップしてしまうが、これは創作的な演出だとしても、時には本当に幽霊も見たかも知れない。
一方の稲川淳二は、はたくさんの霊体験を重ねており、霊を見ることはもはや珍しくもないのだが、
漱石や稲川淳二の体験とて、単に神経が見せた幻影であると解釈する事も出来なくはない、それはただの夢であると。
漱石はロンドンですっかりノイローゼになってしまった。
そう、昔はノイローゼという診断をよく耳にしたものだが、これも医学の進歩、変遷によりあんまり使われなくなってしまった。
1980年のDSM-IIIにおいて、不安神経症が一般性不安障害とパニック障害に分割されて、細かいカテゴリーに分けられしまったし、
不安や鬱病などと診断する方が適正なのでノイローゼとは言わなくなってしまったようだ。
これとても現在、現時点での解釈だから、将来ノイローゼという言葉が復活する事もあるかも知れないし、
普通に霊の存在が語られる時代が再び来ないとも限らない。
霊的体験、1度くらいはしてみたいものである。