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天空の舟 ☆114

私は古代中国の歴史が好きなのだが、

中国という国は秦の始皇帝が統一するが、広大過ぎて統治するのが難しいのか、すぐに分裂したり、まとまったり戦乱を繰り返す。

何だかとても生きにくい世界のようにも思える。中国の歴史が綴られている『史記』は、妙な話だが一昔前はその信憑性を疑われていた。中国人は表現が大袈裟だからいろいろなエピソードは有名でも、伝説程度の感覚だったらしい。

しかし、後に史跡などがだんだんと発掘されて、『史記』の記述がどうやら正確であった事が判明してきたのである。

ねえ、面白いと思いませんか?江戸以前の日本人が『古事記』を読めなかった話と通じるものがある。

宮城谷昌光は殷の時代などを上手く料理してくれる小説家で、私ももちろん大ファンだが、たしか『天空の舟』であったか、伊尹(いいん)という名宰相の生涯が描かれていた。

伊尹は料理人から宰相にまでなった人だが、名もない庶民として流浪した時期もあり、戦乱で負傷した人々を看護したりしているのである。

伊尹が本当に看護や介護をしたかどうか知らないが、人間の集団があれば盗賊や娼婦が必ず発生するように、産婆や看護、介護する人も存在したと想像するのは頷ける。だから、当たり前だが、古代から介護問題はあったのだ、いかな厳しい古代中国といえども。

話は翔ぶが、私はいま一人暮らしを満喫している。ここ何日かnoteを休んでしまったが、仕事が本当に忙しく、勉強も忙しくなって、noteまで手が回らなかっただけである。気楽な「おひとり様」生活だ。

でも、一人暮らしは楽しいけれども、ある程度の集団生活も悪くないのではないかと思う。

何故なら、人間はもともと群れで生活していただろうと思うからだ。例えば狩猟生活をしていたとしても、個人で狩りをするのと集団とでは、集団の方が有利だし、安全だし、子育てや介護の事を考えても個人の頑張りでは限界というか、ムリだったんじゃないかと思う。

太古だから、10代の女の子が子供を産んだって、いきなり赤ん坊は育てられないだろう?ノウハウを教えてくれる経験者がそばに居なければ無理なのだ。

だから、人はもともと集団で暮らすように出来ているのかも知れない。ただ、集団にもいろいろあって、

霊長類学の話になるが、専制主義的集団のサルと、平等主義的集団のサルがいるらしい。

専制主義的集団は例えばニホンザルで、これにはボス猿が居て、以下1位2位とハッキリとした順番が決まっていて群れの中で争い事がよく起こる。

平等主義的集団はタイに棲息するベニガオサルで、こちらは明確なボスや序列がなく、平和的で争い事は滅多に起きない。平等主義的集団で有名なのはボノボだろうか?

学説によると、最初は平等主義的集団だったものが、環境の変化に伴い、餌が少なくなったりして、強いリーダーによる統率力が必要になったのではないかと言われているようだ。

古代中国は、環境が厳しく、モロ専制主義的な世界で、功利に聡くなければ生きて行けなかったのではないだろうか?

それに比べれば、日本は平等主義的だったろうと想像するのである。

これは私の想像に過ぎないので真に受けないでほしいが、そのような柔らかい集団があるなら、そこで暮らすのは一人暮らしよりも楽で居られるかも知れないと思うのだが。

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