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日本史 ☆135

9月7日、ある遺跡発掘の発表会に行ってきた。一般市民に公開される入場無料の会だが、なかなか盛況で、先着100名の予定のはずだったが補助席を30脚ほど出していおり、最前列は関係者席として空席にしていたのも最終的に使っていたから市民の関心は意外と高いのであった。


で、たまたま時期が重なってしまったが、私は今日本史を勉強している。今年勉強する他の教科は全て終わってしまい、残ったのが日本史だった。なぜ残したのかと言えば、これはオンデマンドでなくテキスト2冊だったから後回しにしたに過ぎない。

故に、追加で10月から履修する2科目の資料が来るまで勉強するのは日本史だけである。


私は歴史探究を趣味にしている訳ではないが、まあ歴史に興味を持っている方だと思う。若い時、国内を旅して全国だいたい網羅したが、その頃は司馬遼太郎を読んでいたから、その歴史舞台に実際に足を運んで臨場感を楽しんでいた。

司馬遼太郎の人気は絶大なものがあって、その斬新な歴史の切り口に驚かされた。司馬遼太郎が書く歴史上の人物達は、ちょっと変わっていて面白かった。頭が良かったり、少し偏屈だったり、普通ではない個性があったように記憶している。

物語は、そのような、それぞれの主人公達の(龍馬や藤吉郎や義経や空海でも)若者の視点で語られるかと思えば、急に日本史全体まで、いや、世界史にまでマクロな視点で展開されて彼らの置かれていた状況も分かるのである。

司馬遼太郎以外の人の歴史小説も読んでみたが、比較すると詰まらなく感じた。感銘を受けたのは司馬以外では吉川英治くらいである。

しかし、・・・・・

歴史観ほど変わるものはないのである。

考古学の世界も最近は激変して、私が昔習って来た事はどんどん変わっているようだ。

私の記事に度々登場する養老孟司は1937年生まれだが、、子供の頃敗戦を迎えて墨で黒塗りにされた教科書を使った事をエピソードとしてよく語るが、

その2年後に生まれた計見一雄の記憶は、黒塗り教科書すらなく、1枚のわら半紙に印刷されたものを2つに切って、母親に糸で綴じてもらったのが教科書で、当時は何もなかったのだと云う。


私は今59歳だが、私が習った事、覚えた事もどんどん変わってしまった。

例えば、私がリスペクトしている永六輔などは、戦争絶対反対派であり、というか、この世代は敗戦を経験しているので永六輔に限らずそういう人が多いのだが、彼ですら昨今の日本がおかれている状況や、ウクライナを見たら何と言ったか分からない。

いや、

私は会社の同僚に在日の人がいて、彼は何故か私を気に入ってくれて、ある日「どうしても読んで貰いたい本があるんだ」と
渡されたのは、本多勝一の『殺される側の論理』であった。

それをきっかけに、本多勝一のルポを幾つか読んだのだが、読み応えのある重厚なもので、彼の著作は、私の世界を見る目を変えてしまった。

けれども、そのような歴史観はやがて「自虐史観」だと批判されてしまうのである。

南京大虐殺などは、調べれば調べるほど、どうやら本多勝一のルポは間違っていた部分があったようだ。でも、人間はそもそも間違える存在だと思うのである。デカルトだって、カントだって間違えるのだ。やってしまった間違えの、1つや2つや、3つ4つ、5つ6つ(どこまで行くんだ?)あっても仕方ないとも思える。

司馬史観を批判する人も居るし(司馬遼太郎はルポや教科書を書いた訳ではないから批判するのはどうかと思う)、これから先、私が生きている2、30年の間にもどんどん歴史観は変わって行くのだろう。


計見一雄のわら半紙の教科書ではないが、世に信頼できる歴史教科書など1冊も存在しないのかも知れない。

ネットの情報は玉石混交で怪しい俗説、紛らわしい新説が飛び交っているが、60歳を前に、1度それらを整理して、いま現在どのように落ち着いているのか、

歴史を再検証するのも、悪くはあるまい。

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