![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/164360507/rectangle_large_type_2_fd609ee92433f3a1bbb8ef80f842ee41.png?width=1200)
母という呪縛 娘という牢獄【読書感想文】
先日、表題の「母という呪縛 娘という牢獄」という本を読んだ。
実際に起きた事件についてノンフィクションで書かれている。
![](https://assets.st-note.com/img/1733273397-0QPhsbnqUIwLlAuZKXS4FrRT.jpg)
その犯人はなんと、被害者の娘だった。
◎事件概要
娘が母の首を複数回刺し殺害した後、手足・頭を切断し、バラバラにして生ゴミとして出してしまったという、この内容だけで見ても異様と思える事件である。
娘のあかり(仮名)の殺人の動機を探っていくと、被害者である母の常軌を逸した娘への「教育」という名の「虐待」に辿り着いた。
もはや、虐待なんていう言葉では形容しがたいと思った。刑務所の囚人の方がまだマシなのか?奴隷という表現の方がしっくりくると思う。
本を読み進めていくと、「この話は作り話なのではないか?むしろ、そうであってくれ…」と願ってしまうほどの、この世の地獄と言っても過言ではない生活を送っていた母娘の実態がうかがえる。
事件を起こしたのは31歳の娘で、驚くことにこの年齢になるまで母の独断で9浪を強いられていた。そして娘が幼い時から、医学部に合格し、その後に医者になることを絶対的に強制させられていたのだ。
生まれてから31歳で母を殺すまで、娘は母親の描く人生を歩むことを強いられ、奴隷のような生活を送っていた。
9浪にいたるまでの娘の生活はまさに地獄。
べつに医師になることを望んでいない娘は、勉強のモチベーションを高く保てる訳でもない。ましてや学校、模試、受験でのテスト結果が悪いと、教育という名の虐待が待っている…
こんな日常では、平常心を保って勉強を頑張ることなんてできるわけがない。
鉄パイプで殴られる、包丁で刺される、火傷レベルの熱湯を浴びせられるなど、連日に及ぶ暴行に耐えるため、母の機嫌を損ねてはならない。という理由で幼少期から31歳になるまでの地獄の時間を生き抜いている状況だ。
9浪の末、娘は医学部に不合格。しかし、なんとか看護学科に合格することができた。
母は娘に、妥協点である「助産師になる」という「契約」と引き換えに、不本意ではあったが看護学科に入学すると許可。
しかし、大学2年生の時、大学内での助産師コースへ進むテストで娘は不合格となってしまい、大学入学から一時的に止んでいた「教育」が再開してしまう…
娘は夢だった大学生活の中で、「手術看護師になりたい」という目標ができたが、母はそれを断固として許さず、内定を辞退させてもう1浪させて助産師になることを強要するのだ。
もう1浪することで、長きにわたる地獄のような生活にまた戻ってしまうことに絶望感を覚えた娘は、この刹那に母を殺害することを決意。
本に書かれている詳細では、娘は、家でスマホを使用することを禁止させられていたが、母が娘の隠し持っていたスマホを発見してしまい、深夜3時にも関わらず自宅の庭でスマホを叩き割り、土下座での謝罪を強要。そして、その姿を撮影。
この時に、長年耐え忍んでいた心の糸が切れてしまったと。「スマートフォンと一緒に自分の心も叩き壊されたような気持ちがして、母に対する積年の思いが募り、殺害して、母から解放されたい」という気持ちになり、犯行を決断したそうだ。
母の寝こみを襲い、木の棒に包丁を括り付けた凶器で母を滅多刺しにして殺害、バラバラに解体…というのが事件の概要だ。
◎母の狂気性
この文章を書いていても、目をそむけたくなるような地獄だが、この生活を生まれてから31歳になるまで続けていたのだから、娘のあかりさん(仮名)にはなんと言葉で表していいか分からないほど、絶望があっただろうと察することができる。
その中でも、私がこの虐待生活の中でも特にドン引いてしまったことが下記である。
・探偵を雇って娘の行動を探索
娘はこの生活から抜け出すために何度か家出計画を企てている。しかし、そのたびに探偵を雇ったり、第三者になりすまし娘の情報を獲得し、家まで連れ戻しているのだ。
その時に母親は「何度逃げようが、地獄の底まで追いかける」という旨の言葉を投げかけている。
実の娘の居場所を突き止めるために、探偵を雇うという奇行。私には到底理解ができない。
・娘になりすまし、男性とのデートを阻止
娘がまだ高校生の頃、琵琶湖の花火大会にいい感じになった男と花火大会にでかけるのだが、そのことが母の耳に入ってしまう。
さらには、その男が工業高校に通っていることを知ると、母は娘の友人になりすましSNSを始める。そうして、怪しまれないようにその男と連絡を取るようになり、SNS友達になると、友人のフリをして娘に近づかないことを約束させ、娘へ向けて謝罪することを要求するのだ…
超が付くほど学歴コンプレックスがあった母は、「工業高校生の分際で娘に近づくことなど許さない」という旨の言葉を発している。
娘の友人を騙り、娘の交友関係が悪い方向に行くように仕向ける、娘の幸せを願っているのであれば、完全に愛情の注ぎ方を間違えている。
また、母から逃れるために、娘が寮がある会社に就職しようとした時も、娘になりすまし、内定辞退をして家に連れ戻すという行為も行っている。
・暴力行為
「志望校の偏差値」-「自分の偏差値」=「私的制裁の回数」
志望校の偏差値が「68」で今の偏差値が「58」だとする。
そうなると、「68-58=10」となり、鉄パイプで10回殴られる。
こんな虐待行為をされていても、何も不思議だと思っていなかった娘。これが母娘の形だ思っていた娘。
家庭環境が異常であることは、他の環境を知らないで過ごしている本人は知ることができない…
◎思い出した自分の過去
私も小学校のころ、親に中学受験を強いられ、自分の意志でないのにかかわらず、友達と遊ぶこともできずに塾に通ってた時期がある。その時は生き地獄だった。
わざと壁に頭をぶつけて怪我をして塾を休んだことを思い出した。
なんとか1校だけ合格することでき、そこに通うことになったが、もし受験に落ちたら自殺することを本気で考えていた。
何の為に中学受験をするのかもわからず、塾に通うのかも分からない私の成績は悪く、塾の試験ではカンニングをしたこともあったし、親との関係は相当悪かったと思う。暴力は振るわないが、言葉の暴力は何度も浴びせたと思う。
中学受験を強要した理由を私の母は後にこう語った。
当時、小学生時代の親友は、問題児で不良気質なところがあり(私は全くそんなことに気づかなかったが)、その"親友との交友関係を断ち切らせ、別々の中学校に通わせようと思った"から、というのが私に中学受験をさせた理由だ。
結局、その親友とは疎遠になってしまった。
親としては、子供には立派に育って欲しいという思いがあるのは理解できるし、結果として進学した中学校では、社会人になった今でもよく遊ぶ友達がいることも事実。高いお金を出して私立の学校に進学させてくれた親には今では感謝している。
しかし、どこまで親の描いたレールを歩ませるのか、子供も生物であるから当然自我がある。その両者の人生にどこまで干渉するかが、虐待の線引きなのだろう。
親の思い通りになるよう子供を洗脳することは教育だが、度が過ぎて暴力や人格否定にまで及んでしまうのは人権侵害である。
◎周りの大人は助けられなかったのか
話を戻すと、この事件の「娘を絶対に医者にする」という母の信念は、一体いつからこのような狂気的で、取り返しのつかない想いになってしまったのだろう。
娘は、担任やその他の先生などの大人に何度か助けを求めている。
そこで第三者がこの異様な母の所業に気づくことができたら、はたしてこの事件は起きなかったのだろうか。
本を読むと、明らかにSOSサインを第三者に発信しているとうかがえる描写が何度か登場する。
ここで、「なんで周りの大人たちは助けてやらないんだ!」と、思うだろう、行き過ぎた発言をすると、見て見ぬふりをした大人たち、社会にも少なからず責任があるのではないか?とも思うかもしれない。
ここでいったん冷静になり、次のような状況だったら皆ならどうするだろうか?
■友達の家族は父の意見が絶対
例えば、その家庭には厳格な門限が設定されているとする。
そして、その門限を過ぎて帰宅すると、反省文を書かないといけないというルールがある。
■パートナーの両親の仲が悪く、家庭内別居状態
妻は旦那に向けて長年精神的な嫌がらせを行っている。その父の心情は不明。
など。
身近な人の家庭環境に違和感があるからといって、赤の他人が簡単に口出しできるだろうか?
家族の関係性はその家族にしか分からないものなので、他人がアドバイスすることはおこがましく、そのアドバイスに責任を持つことは難しいのではないかと思うのだ。
また、自分が介入することで、更に状況が悪くなることもあるんではないか?という勘繰りまで発生してしまう。
どんな家族にも、大なり小なりその家族のルール、習慣があると思う。
それについて部外者が口出しするのは難しいのではないか?というわけだ。
心のどこかで「まあ、重大な事件にはならないだろう」と、根拠のない理由を自分に言い聞かせるしかないと思う。
今回の事件では、実の父ですら娘を助けることができなかった。
助けることができない事情があったのだろうから、この事件が起きてしまったのであるが、「この父はなにをしてるんだ」と、歯がゆい気持ちになる。
母は父に対しても、学歴の低さを理由に精神的攻撃を行っていた。父は、娘が11歳の時に別居しているが、娘が31歳になるまでの間、何を感じていたのか知りたい。
「父には娘への教育には絶対に干渉させない」絶対的な母の権力があったのだろうが…
だからといって、31歳に至るまで、虐待の中9浪を強いる異常事態だというのに、ここまで干渉しないのはどうなのかと。
◎死体の横でドラマ鑑賞
また娘は、母を殺害後、その遺体を放置した横で、ずっと見たかったテレビドラマを鑑賞している。
母の死体が横たわっていることに対し、「なんとも思わなかった。」「生き返るのが怖かった。」と述べている。
首を何度も刺され、時間が経てば生き返ることはない。と普通の思考回路なら考えることができると思う。
しかし、娘が積年受けていた鬼畜の所業によって、「母が生き返ってまた虐待してくるんではないか」と本気で思っていたのだ。
死体が転がっている横で、テレビを鑑賞、数日後に遺体をバラバラに。
明らかに精神が壊れてしまっている。
本書を読む限り、娘は他人への思いやりがあり、責任感が強く、心優しい性格の人間に感じた。酷い仕打ちを受けていた母に対しても、普通の母娘の関係になることを夢見て、慈愛の気持ちを持っていた…
そんな人の心を壊すほどの地獄の日々。
先天的に心疾患があったのかは分からないが、母の仕打ちにより後天的に精神障害を発症してしまっていると私は思う。
事件後、娘は中度の自閉症スペクトラムと診断されている。
娘には懲役10年の判決が言い渡された。
出所したら40代になっていると思うが、どうにかあかりさんには今後の人生を幸せに生きてほしい。
本事件は児童虐待の氷山の一角に過ぎず、世界中でこのような教育虐待が存
在しているだろうと私は思う。
◎母の想い
日常的に虐待を行っていた母であるが、あかりさんと一緒にディズニーランドに行ったり、旅行に行ったり、仲がよさそうに見える描写もある。
時には高価なプレゼントも買ってくれていたようだ。
あかりさんによると、それは勉強のモチベーションを上げるため、母があえて恩に着せていることだと言っている。
※恩に着せるとは「相手のためにわざわざコストをかけて行動したということを強調して、ありがたく思わせたり何らかの恩返しをさせたりしようとするさま」を意味する。
つまり、「私はこれだけ娘の喜ぶことをしてあげているのだから、医学部に不合格なのは恩を仇で返す行為!」と母は認識しているのだ。
娘はそんな母にうんざりしていたが、少なからず、母は二人の時間を楽しんでいたように見えた。正しい愛情を注いでいた時間もあったように思える。
母と娘は医学部合格という呪縛にいつからか囚われてしまい、後戻りのできない境地まで来てしまったのだろう。
本書は、あくまで娘から見た母の視点について書かれているため、いつから、なぜ、母にモンスターのような狂気が芽生えてしまったのか、母の心境について書かれている描写がほとんどない。
殺害された母親は、長年どんな感情を抱いていたのだろうか。死ぬ間際に何を思ったのだろうか。なぜこれまでにほど娘を自分の支配下に置きたかったのだろうか。
真相は分からない。