ヒトとして生を受けた人
羽生君は荒波をも乗り切り見事『 RE_PRAY 』TOURを完走しました。
私は合間を縫ってはCSで放送された各地の『 RE_PRAY 』映像を観返しています。単純に大好きなツアーだった事、各地でのMCが聴き応えがあって何度でも聴きたい事、ファンとの心の距離がどんどん狭まって来ている過程が垣間見れて嬉しい事等々。
改めてまとめの感想を綴りたいなあと思いつつ。
脳内に浮かんだ事を徒然と今宵は綴っておくことにします。
たまアリの『 RE_PRAY 』初日を再生していて思うのです。
この初日をライビュ始め世界配信にまで及ぶ状況に設定させた英断を。
この頃の、彼の私生活を思います。
プロフィギュアスケーターとしての活動に私生活は無関係? 否!
目に見えない、見せない処で大いに影響がありましたね。
闇堕ちが続々と出現したのがこの頃。たまアリには闇堕ちした輩もいたと言います。
羽生君はかつてホプレガでゾーンに入った時「人々の悪意も全部分かる」(意訳)と言っていました。そんな人があの会場で何を感じ取ったかを思うと私は涙が…。あくまでも私の想像です。
この時のMCではどこか距離を感じる話し方なのですよ。言葉に力がないというと語弊があるのですが、本音を語っているのは間違いないけれど、諦めというか自信に欠けるというか言いたくても言えなかった、そしてファンの私が聴きたかった「応援してください」の言葉。これを羽生君は首を振って呑み込んでしまった。あの姿を見て辛かったのは私だけではなかったと思ってます。
そこから佐賀・横浜を経て追加公演の地元宮城での真実千穐楽❣
照明Staffさんに「ピカピカして! いつもの」って砕けた言い回しに私はヒッソリ涙を袖で拭いておりました。ここまでの心の変遷を思うと…。
私は『 nottestellata 』に関してここでは余り触れてはいないのですが、避けてる訳では全くないのです。何となく月日が過ぎているだけで思う事はたーくさんありますのでね…奇声以外でね👈
ダラダラ書いてしまっていますが、振り返り見ていて思ったのです。
羽生君の喜怒哀楽の豊かさを。
私達の前では自分自身におこな表情やくったくない笑顔、困ったような苦笑い、言葉にできない想いを出せずに心を圧し殺して見せた表情等々は記憶に新しいです。他にもモデル顔負けでモデル以上のモデルとしてカメラマンの前で見せた表情、同映像での魅力に富んだ様々な表現者としての姿。
どれ一つとして魅了されないものはありません。
素の彼とはまるで違う一つ一つが愛おしいです。
そしてハッとしました。
羽生結弦は喜怒哀楽のある〈人間〉なのだという事を。
何をいまさら。当たり前だろう。
そう当たり前だし、ちゃんと理解も自覚もしています。
でもやっぱりどこか人ならざるナニかをも孕んだひと故に、そうではない処を“人”である羽生結弦より前面に受け止めてしまっている自分がいるのです。
羽生君の中には沢山の喜怒哀楽がある。
でも〈職業・羽生結弦〉として表に出ている間は決して見せないもの達でもある。
プライベートの羽生結弦がどのような感情で過ごしているのか。それはご家族でなければ知り得ない事です。
ヒントはあるのですよね。
どこに?
それは氷上に。
羽生君が感情を素直に出せる場所は氷上しかないと何度か口にしている通りです。
羽生君が何かを演じている時でもその時々の感情がその演技に顕れます。
それを汲み取れるかどうかは人によるでしょうし、それらを改めて羽生君が言及する事もないでしょう。余程でなければ。だから私達が受け止めるものが真実正しいかどうかは分かりません。けれども、それらは全てが正しいのかもしれません。何故ならそれら全てを羽生君は容認しているからです。
一人一人が生まれ育った環境や思考によっても受け止め方が違う。その人々の数だけある感想を羽生君は喜んで受け止められるからです。
私が感心したのは余り触れて来なかった『 nottestellata2024 』での大地真央さんとのコラボした『Carmina Brana』です。
あの中で羽生君が演じたのは〈無垢〉な青年の〈幸せ/喜び〉〈苦悩/悲しみ〉〈恐怖〉でした。
実際に感じる事が無ければ見えないものを見事に演じた。
技術が無ければ伝える事が出来ない。
確かにそうでしょう。そして技術だけでも伝わらない事もあります。
技術に経験が加わって人々の心を打つと思っています。
感情豊かな羽生君が氷上で表現して見せる喜怒哀楽の豊かさ。
これからより一層広く深さを増すそれらを私はとてもとても楽しみにしています。
(けれどどうかどうかプライベートでは幸せを、同世代の彼彼女達が掴んだ幸せを羽生君にもと、日々祈り願っています)