なぜドーキンス先生は、40年間も怒られ続けているのか?~『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス
2020/4/12 執筆
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「21世紀のマキャベリ」
以前、私が愛読するブログ『無限の地平はみな底辺』において『利己的な遺伝子』が紹介されていた事がある。
上記記事において、作者のドーキンスは、以下のように紹介されていた。
「21世紀のマキャベリ」、キリスト教勢力がそう捉えている男である。
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作者:リチャード・ドーキンス
発売日: 2018/02/15
メディア: 単行本
それ以来、ずっとこの『利己的な遺伝子』が気になっていた。
そして、この度、ようやく読み終わった。(マジで長かった……)
「いや~。確かにこれは教会から怒られるわ……深刻な怒られが発生するわ……中世ならば確実に火炙り不可避」
これが、読み終わった後の私の最初の感想だった。
私が読んだ40周年記念版には、「第2版の前書き」や「30周年記念に寄せて」「40周年記念版へのあとがき」が掲載されているのだが、いずれの項も、発生した怒られに対する弁明に結構なページを割いている。
これは、ドーキンス先生がこの本を出版して40年経ったにも関わらず、ずっと怒られ続けている事を意味する。
40年の間、ずっとこの本は炎上し続けているのだ。
どんな炎上案件であっても、40年間も炎上し続けるとか、明らかに異常である。なぜ、ドーキンス先生は、40年間も怒られ続けているのか?
今日はそれについて書いてみたい。
その内容を考察する前に、少々乱暴だが、本書の内容を以下に要約してみた。
【乱暴な要約】
私達人間を含めたすべての生物は、自己複製機能を持った遺伝子が生存するために作り上げた「機械」である。
一見利他的に見える行動も全て自己複製を目的とする形を変えた利己的な行動である。
複製にかかるコストは安ければ安いほどよいため、よって誠実な個体が多数を占める集団においては、親子や配偶者の関係においても、いかに相手を死なせず、かつ反撃を受けない程度に相手を搾取する個体が最も大きな利益を得る。
この場合の利益とは、自分の遺伝子を持った子供を多く持つことができるという事を意味する。
人間の文化における自己複製子は「ミーム」と呼ぶ
旋律や観念、キャッチフレーズ、衣服のファッション、壺の作りかた、あるいはアーチの建造法など脳から脳へと渡り歩く情報はいずれもミームの例である。
最も強力に進化したミームは神であり、宗教である。
うん。要約の段階で、すでに世界中の宗教家をブチ切れさせる要素に満ちている。中世ならば確実に悪魔として狩られることは間違いない。
特にキリスト教会が問題視した内容は、以下の2点だと考える。
生存戦略戦略上では、サイコパスの生き方こそが最適解であると肯定している。
神や宗教をミーム(=脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報)として定義している。
以下、順に記載する。
理由その1~生存戦略戦略上では、サイコパスの生き方こそが最適解であると肯定している。
本書においては『誠実な個体が多数を占める集団においては、親子や配偶者の関係においても、いかに相手を死なせず、かつ反撃を受けない程度に相手を搾取する個体が最も大きな利益を得る』ことが、様々な生物をエビデンスとして、何度も繰り返し示される。
要は、一般的な人間の価値観に照らすと、生存戦略上では、サイコパスの生き方こそが最適解であると様々な生物をエビデンスとして示されているように見える。
私が好きな漫画に『3月のライオン』がある。
その10巻と11巻に誠二郎というキャラクターが出てくる。メインヒロインの3姉妹の父親である。普通ならば、こういったヒロインの父親というポジションは、主人公を導くメンター的立場か、もしくは能力・人格に優れたラスボスという形になる事が多いものだが、彼は一味違う。あまりにも違いすぎて出てきたときの衝撃は凄かった。
甘麻井戸誠二郎 (あまいどせいじろう)とは【ピクシブ百科事典】
3姉妹の母親を捨てて不倫に走り、さらに子供ができた後に病気になった不倫相手を捨てて、別の女性と浮気しようとしているという、なかなかサイコパスなキャラクターである。
ただ恐らく、誠二郎氏が本書『利己的な遺伝子』を読んだら、「やはり、僕の生き方は間違っていなかったのだ……」と確信を深めるであろう。
確かに誠二郎氏は家族を搾取し続けることにより、コストをかけずに自分の遺伝子の複製に成功し続けている。
※人としての倫理的な部分に目を瞑れば、基本的に誠実な人間しか生息していない羽海野チカワールドにいて、本書が定義する生物的な勝者は間違いなく誠二郎氏である。
洋の東西を問わず、あらゆる宗教はサイコパスの生き方を悪と定義し、断罪する。サイコパスが社会の主流になれば、社会不安が増大するからである。サイコパスほど組織内で出世しやすいにも関わらずである。
本文中でも言及されているが、ドーキンス先生本人としては、道徳的にサイコパスを肯定するつもりはなかったのだと思う。ただ普通に本書を読むと、サイコパスの生き方こそが、生存戦略上は最適解であるように読み取れる。
教会としては、これは徹底的に弾劾せざるを得ない。ただ、信者が誠実に生きるのが馬鹿らしくなるようなコンテンツを徹底的に弾劾する事は、宗教指導者の使命の一つであるから、これ自体は驚くに値しない。
しかし、ドーキンス先生は現代に生きる無神論者であるため、ガリレオのように宗教裁判で間違いを認めさせる事ができないだけである。
理由その2~神や宗教をミーム(=脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報)として定義している。
多分、キリスト教会が本書に対して、一番ブチ切れている理由が、これだと思う。
ドーキンス先生が中世に生まれなかった事は本当に幸運である。中世に生まれていたら、確実に火炙りは不可避だったであろう。
あらゆる宗教組織は、大なり小なり「神へのアクセスに従量課金する」事によって成り立っている。もちろんキリスト教もその例外ではない。告解や礼拝、免罪符の販売に至るまでそれは変わらない。
当然ながら信者がアクセスを望む神とは、神聖で権威に満ちた存在でなくてはならない。特に一神教はそうである。神が神聖でなければ、誰が神へのアクセスに課金するというのか?
そのような神や宗教を本書ではミーム(=脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報)として定義している。
罰当たりな事に、唯一絶対なる”神”を単なる感染力の強い”情報”であると貶めているのである。
さらに嫌らしい事に、このミームに関する記載は本書の最終項の一つ手前に出てくる。様々な生物の事例をエビデンスにして自説を説得力を持って記載した後に、満を持して”神”を殺しにかかってくるのだ、このドーキンスという男は。
当然の事ながら、神=ミーム(複製可能な情報)であるという情報も、これ自体が強力なミームとして読者の脳に複製されていく。
これを読んだときのキリスト教会関係者の衝撃とドーキンス先生に対する殺意と憎悪は、想像に難くない。本書は、まさしく神と自分たちが属する教会という宗教を生物学というエビデンスを持参して殺しに来る本である。
いや、本当にドーキンス先生、よく生きてると思う。
キリスト教会が暗殺者を雇えるのであれば、恐らくドーキンス先生は暗殺リストの上位に確実に食い込んでいるはずである。中世であれば、マキャベリの「君主論」以上に禁書筆頭となる本であると推察する。
もしドーキンス先生がもう少し長生きすれば、2026年には50周年記念版が出るはずである。恐らく50周年記念のあとがきでも、発生した怒られに対する弁明にかなりのページが割かれると思われる。
未来永劫、本書『利己的な遺伝子』は炎上し続ける本である。