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ラムコーク研究会、前日譚


前置き

私はあまりお酒を飲まない。好きだが弱い。
飲む量はもちろんその頻度もかなり少ない。

居酒屋には忘年会や歓送迎会などの付き合いで行く程度。職場の風潮が個人のプライベート重視に傾いてきたところへコロナ禍もあり、そうした集まりはここ5年で2回しか記憶がない。全国チェーンの店名もよく知らないし、地元にどんなお店があってどこが人気で、といった情報もまるでない。

宅飲みもしない。8年程前までは月に何度かチューハイやサングリアを片手に料理をするキッチンドランカーだったのだが、いつの間にかやらなくなった。はっきりした理由はなかったように思う。他に楽しいことはあるし、飲まなくても平気だ。たくさんある飲み物食べ物の中で、お酒はどれくらい好きかと問われたら、きっと下から数えたほうが早い。

唯一お酒を楽しむ場がある。ライブハウスだ。もしくはライブの後に友人と飲みに行く。ライブの熱に浮かされて飲むビールやらカクテルやらは、何となくおいしく飲める。運転する日や翌日が朝早い時は、別にお酒が飲めないことにがっかりすることなく水やソフトドリンクを飲む。


事の起こり

2019年、そんな私が積極的に飲酒を再開した。
キッカケは一冊の本。
「おやすみ、東京」
吉田篤弘の長編小説だ。かつて映画化もされた「つむじ風食堂の夜」の作者といえばご存じの方もいるだろうか。

知らずに読めば短編集かと思うほど、主人公が入れ代わり立ち代わる。絶妙に人物や時間が重なり合い絡み合い、東京が舞台のひとつの物語となる。

その中の「羽根の降る夜」という章。映画の撮影所で、小道具の調達をするミツキに、倉庫番をしている前田から酒が振る舞われるシーンがある。

監督に指示された小道具がどうしても見つけられないミツキに、前田はおいしいお酒を作って差し上げたいところなんですけど、と白く煙るほど冷えたグラスを取り出してくるのだ。
銀座のラウンジでバーテンダーをしていた前田は、”その腕を見初められて映画の小道具を保管する倉庫番に引き抜かれた“という経緯を持つ。
(こういう不思議な流れがこの小説にはちょくちょく登場します)
当時よく出たのはハイボールとコークハイだと話す前田は、コークハイこそ一番手ごろで一番おいしい飲みものだと思う、と続ける。
そして、グラスと同じく凍りつく寸前まで冷やしたウイスキーの小瓶とコーラのボトルを取り出し、コークハイを作り始める。

「秘密ですよ。こいつは自分用に冷蔵庫に隠していたものなんで――」
 作り方は至ってシンプルだった。
 先に冷えたグラスに氷を適当な大きさに砕いてたっぷり入れ、マドラーで氷だけを手早くかき混ぜる。グラスに口をつけると唇が切れてしまうのではないかというほど冷たくなったのを確認し、氷を捨てて、そこへ凍りつく寸前のとろりとしたウイスキーを適量注ぎ入れる。そして、そのちょうど倍の量のコーラを注いで、さっと合わせたらーー。
「完成です」

吉田篤弘著「さよなら、東京」羽根の降る夜 p164

ミツキはお酒に強くなく、慎重にお酒と付き合ってきたタイプだった。だが、前田の話を聞き、このコークハイを飲まなければ後悔すると感じて口をつける。そこから丸々1ページと数行を使って、ミツキがこのコークハイを飲んでどんなにおいしく幸せに感じたかが綴られる。

飲む前からミツキはこのコークハイを「極上のコークハイ」と感じていた。隠していたお酒で自分のためにその道の手練れが作ってくれるという特別感が、ミツキにとってそのコークハイの極上っぷりに拍車をかけていたのだと思う。それにしたっておいしそうだった。極上のコークハイの描写に私は魅了された。飲んでみたいと思った。


ちょっとした問題

先に述べた通り、私は酒は好きだが弱い。そして実は、コーラが苦手である。コーラに限らず、甘い炭酸飲料が苦手なのだ。猛暑の頃にたまに飲みたいなと思って買っては数口でもういいや、となる。
激しく自問した。お酒に弱くコーラがおいしく飲めない私に、コークハイは本当においしく飲めるのだろうか?
どんな味がするのだろうか?
いやいや、舐めてもらっては困る。私がどれだけの好奇心の持ち主か。おいしそうだと思ったじゃないか。気になって仕方がないんでしょうに。そう、飲んでみたい、ただそれだけなのだ。
いやしかし、あれだけの描写を読んでおいて、その辺の居酒屋に行ってささっとコークハイを飲もうとは思えない。しかしもう少し敷居の高いお店などはとてもじゃないが勇気が出ない。
ではいつもどおり、ライブハウスで飲めばよいのではないか。
お酒の品揃えが良い、おいしいと評判があるとあるライブハウスで私は初めてそれを飲むことにした。

ちょっとした問題、すぐ解決。

と思いきや。

その日、私が飲んだのはラムコークだった。


ラムコーク研究会の発足

何故そんなことになったのか。もしかしてメニューにコークハイがなかったのか?と調べてみたがしっかりあった。今や記憶も曖昧で、おそらくはただ間違えたのだと思う。もしくは、ハイボールで気持ちの良い酔い方をしなかった記憶があったので、意図的に避けたのかもしれない。けれどなぜラムコークにしたのかは、全く思い出せない。

とはいえ、飲んだのだ。初めての、コーラで割ったお酒を。

おいしかった。
何よりも、コーラを美味しく飲めたということに感激していた。その時飲んだラムコークは、ホワイトラムをコーラで割ったもので、ライム果汁だったかレモン果汁だったかが最後に加えられたものだ。
なるほどラムと果汁で甘さが抑えられれば、私にとってはおいしくなるのだという発見があった。

それからというもの、ライブハウスに行く度にラムコークを飲んだ。ライブハウスによって味が全然違った。
ホワイトラムかダークラムか、どんなカップでどれくらいの比率で割るか、氷の分量はどれくらいか、果汁を入れるのか入れないのか。カップの種類も様々で、紙かプラスチックかグラスかでも飲み口が変わる。

あんまりおいしくないなぁ、と思うこともあったが、こうした違いを知ることは面白かった。

2019年、誰に告げることもなくひっそりと、ラムコーク研究会を発足したのだった。会員は私ひとり。
コークハイのことはすっかり忘れ、ラムコークに夢中だった。


研究会のそれから

2019年は上記の通り。
2020年は一度もライブハウスでお酒を飲まなかった。ライブハウスに行くこと自体がめっきりなくなっていたからだ。
夏を迎える頃、ホワイトラムの瓶とコーラを買い、自宅でラムコーク研究会の活動をした。元々は、ライブハウスごとに飲み比べる活動だったが、それがままならない為、自宅でどれだけ手ごろにおいしく作れるか試してみようと思ったのだ。
コークハイの描写のように、ラムコークも冷たければ冷たいほどおいしいようで、そのためのグラスも調べて購入した。飲む頻度を考えるとライムは割高のため、レモン果汁で代用。

やっぱりお酒に弱いので、750mlのホワイトラムを飲み終えるのに半年かかった。
おいしいラムコークを作る、というよりも、その日に飲みたい味のラムコークを如何に見極め、その日の理想の温度と割合いで作れるか、という方に目的は変わっていった。誰からの期待も責任もない試行錯誤は楽しかったし、仕事が忙しくライブの予定もなく、殺伐としていた心が少し踊った。ついでに音楽をかけながらキッチンで踊った。

それから2年3年経ち、少しずつライブハウスに足を向ける機会が増え、再びライブハウスでラムコークを飲むようになっている。


終わりに

ラムコークが美味しかったから、或いは美味しくなかったから、印象に残っているライブハウスが幾つかある。ラムもコーラもあるのにラムコークは提供していないライブハウスがあって驚いたこともあった。

私にとってお酒はあってもなくても良い。それは今も昔も変わらないことだけれど、自宅で試行錯誤したりライブハウスで飲み比べるこの活動があったほうが、私の生活は楽しい。もし今後ラムコークに飽きることがあれば、いよいよコークハイで飲み比べを始めるかもしれない。どちらにせよ、先々の楽しみは尽きないのだ。

トップに貼った画像は、日にちは違うけど初めてラムコークを飲んだライブハウスの看板です。



追記:参加している企画にまつわるKIRIN提唱のスロードリンクについて、そもそもお酒に弱く元からスローな飲酒しかしていないので、特にはっきりとは触れていません。活動も飲み方も、スロー。

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