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「固定概念」って…それ、本当にある言葉?

ネットで記事を読んでいると、たまに「固定概念」という妙な言葉が目に飛び込んでくることがあります。
「固定観念」と「既成概念」を合体させた造語らしいんですが、初めて見たときは「この日本語、正しいのかな?」と正直気になっちゃいました。
もちろん、これが気になるのは私の独断と偏見なんですけどね。でも、どうしても目に止まるんですよ。こういうの、ありません?

それに、もっと気になるのは、これが結構しっかりしたメディアやプロっぽいライターさんの記事にも出てくることなんです。
内容がどれだけ良くても、「固定概念」が出てきた瞬間、「あれ、この筆者、どうなんだろ…」って、急に違和感が湧いてしまうんですよね。
これだけでも、その記事全体が少し冷めてしまうというか…。
おそらく本人は「似たような意味だし、いいか」くらいに思ってるのかもしれませんが、こういう言葉のチョイスひとつで、その人の“教養”や“感覚”がちらっと見えてしまうんですよね。
いや、頼むから気をつけて!と、画面越しにひとりでツッコミたくなることも多いです。

こういったちょっとした言葉遣いが、見ている側からするとその人の印象を大きく左右してしまうことがあります。
たとえば、「固定概念」を当たり前のように使っていると、賢そうに見せようとしているのに、逆に「ちょっと頭悪そう…?」と疑問が湧いてきてしまうんです。
実際、私もプロのライターがこの言葉を使っているのを見かけると、「え?ほんとに大丈夫?」と思わずにはいられません。

たとえるなら、おしゃれを頑張っているのに、どこかトンチンカンな服装をしている感じでしょうか。
自分では良かれと思ってやってるんだけど、周りから見ると「それ、逆にちょっと浮いてるよ?」と心配されている感じです。
結局、言葉遣いって、気をつけていないと意図せず「おかしな感じ」に見えちゃうことがあるんですよね。

テコの原理、いやいや、それ本当にテコ使ってる?

もうひとつ、よく耳にするけれど、どうも気になってしまう表現が「テコの原理」です。
「テコの原理で持ち上げる」「テコの原理で効率よく」なんて言ってる場面を見かけると、「いや、それ本当にテコになってる?」とツッコミを入れたくなることが多々あります。
テコって物理的に支点が必要なんですよね。何かを持ち上げるのにテコの原理を使うなら、支点を置いて少ない力で効率よく持ち上げるのがポイントなわけで…。
でも、支点もなく、ただ両手で物を抱えて「テコの原理でラクに!」なんて言われると、「いやいや、それテコじゃなくてただの腕力じゃん?」って、つい笑ってしまいます。

たとえば、大きな石を持ち上げようとするときに、地面に棒を支点としてうまく配置して、少ない力で押し上げるなら、それは確かにテコの原理が働いていると言えますよね。
でも、ただ地道に力任せに持ち上げて「テコの原理で持てます!」とか言われたら、「それはテコじゃなくて根性論だよ…」と肩を落としてしまいます。

こういう場面って、いわば「知識があるように見せたかった」んでしょうが、逆に「うーん、ちょっと頭悪く見えちゃうな…」っていう残念な印象が残ってしまうんですよ。
しかも、テコの原理は物理学の理論ですから、ちゃんとした条件が揃わないと成立しないわけです。
単に「テコ」っぽい雰囲気だけで説明しようとすると、かえって「理論わかってないな」感が出てしまうというか。

もしもスポーツジムでインストラクターが「この器具をテコの原理で使って鍛えましょう!」なんて言っていたとしたら、「どこに支点が?」と冷ややかな気持ちになりそうです。
見た目には賢そうに聞こえるものの、雑に使うと、むしろ“教養が見え隠れ”する言葉という感じですね。

言葉って、その人の“頭の良さ”がにじみ出る?

ここまで気にするのは、完全に私の独断と偏見かもしれません。
言葉の細かい使い方なんて気にしなくても、文章の内容が良ければそれで十分…と思う人も多いかもしれません。
ただ、どうしても「固定概念」や「テコの原理」みたいな言葉を見てしまうと、相手の頭の中がちらっと見えてしまうというか…。
知らず知らずのうちに、その人の知性や感覚が垣間見えることって、あるんですよね。

それに、こういうズレた表現を使っていると、なんだか「ちょっとカッコよく決めたかったのかな?」って、余計なお世話ながら心配になるんですよ。
でも、よく考えたら、それってファッションと似たようなところがあるのかもしれません。
服のチョイスひとつでその人のセンスが見え隠れするように、言葉も選び方で賢くも見えるし、逆にちょっと痛々しくも見えてしまうというか…。

言葉って意外に“正しく使うこと”が求められる道具なので、雑に使えば使うほど、まるでボロボロの靴を履いているような“残念感”が出てしまうんですよね。
まぁ、気にするのはあくまで私の勝手な好みですけど、ちょっとした表現のズレひとつで、その人の印象まで変わってしまうのが言葉の面白さでもあり、怖いところかもしれません。

言葉のズレが生む“ちょっと痛いかも?”感

結局、「固定概念」や「テコの原理」みたいな言葉をなんとなくで使っていると、どうしても「あれ?この人、わかって言ってる?」って気になってしまうんですよね。言葉の選び方ひとつで、その人の“知性”や“感覚”がちらっと見えてしまうこともあります。たとえば、「一見して賢そうだけど、どこかズレている…?」と思われたくないなら、こういう言葉にはもう少し慎重でいたいものです。

もちろんこれも完全に私の偏見に過ぎないんですが、言葉って、どれだけカッコよく決めようとしても、逆に“わかってない感じ”が出てしまうこともあるんですよね。
雑に言葉を使えば、その意図しない“ズレ感”が、見せたい「賢さ」とは裏腹に“痛々しさ”を生んでしまうのかもしれません。

以上、気になるのは完全に私の勝手な偏見ということを重ねてお伝えしておきますが、どうしても気になってしまうんですよね。

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