「日本的思考」を脱却しなければならない(2023/12/24)
私は長年、「”ルール”を守っていくのが正しい」「大多数の意見に同意して波風を立てないことが正解」「周りに迷惑をかけない行動こそ大事」といった、良くも悪くも「日本的思考」の価値観にどっぷり漬かって生きてきました。
典型的な保守的と言いますか、自分だけ違うことを言って目立ちたくないとか、「集団の調和に合わせることが最優先」という考え方があり、でも悪い言い方をすれば、それは自分の頭で考えずに、自分の意見を持たずに責任逃れという見方もできます。
ここまで読まれてお気づきの方も多いかもしれませんが、私は海外旅行は20年以上前の学生時代に、卒業旅行で一度イタリアに行っただけで、ずっと国内で生活しています。そして、これまでの生活の中でも、海外出身の方と濃密に関わるような機会は少なかったわけです。なので、上記のような考え方でも特に問題なく過ごせてきたのだと思います。
私には現在、小学生の息子二人がおりますが、子供が生まれる前までは付き合う相手や属するコミュニティをある程度選んで生活することができましたが、子供が関係してくると、そうもいきません。
長男がミニバスをやっていますが、月謝を払うような民間の「習い事のスクール」ではなく、保護者や地域の大人がボランティアで運営する、いわゆる「スポ少」のような団体で活動しています。そのため、他の保護者と協力して運営を行っていかなくてはならないのですが、実に様々な価値観を持った方がいらっしゃいます。
私としては息子の成長のために、なるべくチーム活動に協力したいとは思っていますが、いかんせん、給料が発生するような「お仕事」ではなく、それぞれ「”可能な限り”協力してください」というスタンスなわけです。当たり前ですが各家庭によって割けるリソースも異なるため、負担感にバラつきが出るわけです。こちらとしても心身共に余裕があるときは構わないのですが、そうでないときもあるわけで、そのようなときに「土日に遠征で丸一日、拘束される」のは、かなり負担感が大きく、なかなか積極的に協力していただけない家庭に対しての負の気持ちも発生したりするわけです。
こういった団体にありがちかもしれませんが、入部の時点で「保護者のお手伝い(仕事)量がどの程度で、実態としてどれだけ大変か」は、詳しく聞かされないことが多く、入ってから実態を知る場合が多いと思います。それでも「子供が一生懸命やっているから今さら親の都合で辞められない」とか「自分たちが手伝わないことでほかの人に迷惑かけてはいけない(後ろ指さされたくない)」といった気持ちで、何とか頑張ってやっていく保護者の方が大半だと推察します。我が家も漏れなくその類です。
そこで、です。出だしの話に戻るのですが、「本当は自分は負担に思っているけど、他の人に迷惑がかかることを考えると、黙って協力しておいたほうが最終的には自分のため」という、「日本的思考」の人同士だけで活動しているときは調和が保たれる訳ですが、実際はそうではないわけです。国籍問わずの話ですが、日本で育った方でも「入部のときにそんな話は聞いていません。我が家は協力できるのはここまでで、これ以上はできません。」というスタンスの方もいらっしゃいます。
近年は海外出身の保護者の方も多く在籍していらっしゃいますので、そのような方々は、上述したような「日本で育った人が共有している”暗黙の了解”のような価値観や考え方」を、そもそもお持ちではないです。
なんというか、「ご協力お願いします」というワードに含まれた「行間」と言いますか、「強制表現ではないけど実質的には強制」という、日本語的ニュアンスは伝わらないわけです。個人的に名指しして「○○してください」という強制表現までしないと、やってもらえないです。なかなか全ての活動において、指名して強制していくというのは難しい面もあります。
こうなると、従来の方法での協力依頼では一部の人にしわ寄せがいくのが目に見えており、それが今の状態となっています。我が家は「しわ寄せ」を受けている側の家庭です。
調和を優先することはある程度は大切なことかもしれませんが、自分の「ここは譲れない」というラインを設定して、主張すべき時は主張しないと自分が潰れてしまうと感じたため、自分の考え方を変えていくべきタイミングだなと考えた次第で、書き留めてみました。