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『自分を信じる』日本大学での4年間



肌の焼けるような夏が終わり

涼風の心地良い秋口になると
僕には思い返す年があります。


2020年


大学4年生となり、上からの重しが外れ
仲間と日本一を目指して走り抜ける
はずだった1年です。





高校を卒業し

念願だった日本大学に入学

もちろんハンド部へ入部しました。


期待に胸を膨らませるとは
ああいうことを言うのだと思います。

自分の未来に対し高揚していました。


しかし僕を待っていたのは
信じられないほど厳しいルールと
半端ではない上下関係


狭い部屋で同期全員と暮らす寮生活

自分のプライベートは皆無でした。





毎日早朝に起床して寮の掃除をし
日付が変わる時間まで先輩の身の回りの世話をするという生活

いままでとはレベルの全く違う
ハンドボールの練習。

全くついて行けず、ショックでした。


1年生の間は
毎日をただ生きることで精一杯だった
そんな記憶があります。

僕と服部の1年生時代


ありがたいことに1年生の夏に
U19世界選手権のメンバーに選出していただきました。



しかしこれには自分自身も驚きでした。


他のメンバーたちから『誰コイツ?』状態で、
居心地が悪いどころの騒ぎではなかったことも
懐かしいです。


所先生、本当にありがとうございました。



U19といえばハッキリと覚えている思い出があり、それは遠征先のジョージアの宿舎で
ラップバトルをする流れになったことです

そしてなぜか参戦することになりました

誰もボクを知らず、馴染めてない上
モチロン出来るはずのないラップをする
という羽目になったのです


♫〜
トイカイト〜なんでJAPANにいるのか
    みんなに問いたいよ〜 ♫


トイカイトと問いたいよ で良い韻ですね


……まあとにかく、このように大ディスをかまされるほど下手くそだったのに日本代表に行ってしまっていたのです。



実力に釣り合わぬ日本代表だったため、周囲からの目や声に苦しみました。


寮でJAPANの移動着を着たまま、先輩の部屋掃除をして、引くほどの暴言を吐かれたのも懐かしいです。


1年生は上級生の奴隷であれという風潮で
気に食わなかったんだと思います。



あまりにも性根が悪い人たちが多くて
自分の中での『なりたくない人物像』が形成された時期でもありました。


ある意味ではみんなが僕にとっては先生で、
様々なことを教わりました。



何度も何度もここから逃げ出して
地元へ帰りたいと思いました。



たくさんの人に送り出してもらい
地元の全ての人の期待を背負った気でいたので

『帰っても僕に居場所はないだろう』

という思いが常に頭の中にあり



それが僕にとっては
良い抑止力になっていたのです。

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