【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第65話-梅雨が来た〜理美と裕
修学旅行から帰って以来、貴志は元気がない。瑞穂への態度が軟化しているのは、貴志が心を開き始めたと言うよりも…。
無愛想、毒舌、冷酷無比の仮面を維持するだけの集中力がなくなっている気がする。
今までは不信や憎しみ、そして後悔が彼を支えていた。しかし修学旅行を境に貴志から感じるのは、虚無と寂しさ。理美は貴志を目で追うたびに逡巡していた。
実力テストの結果は上々だった。公立高校では一番の進学校である弥生高校も、努力を怠らなければ十分合格圏内となった。
個別指導で誤回答の原因と対策をおさらいし、受験に向けてのコンサルをしてもらう。
だけど貴志たちとの勉強会を蹴ってまで、わざわざ今日個別指導を入れてもらった理由は他にあった。
裕と隼人は学校近くの商業施設にあるフードコートで勉強している。理美は遅ればせながらそこに合流した。
「高島さん、早かったね」
高島理美を見つけるなり裕が両手を大きく振って声をかけてきた。座席を引いて理美を招いてくれる。
こういう所作は昔の貴志くんみたいなんだよね。やってることは同じなのに、どうして山村裕は女子にもてないのか。
それを理美が考えるのは酷な話だろう。自分だって貴志ばっかり見ていて、裕の事はまったく意識していなかったのだから。
「ごめん。今、すっごい失礼な事考えてた」
裕の顔を見ながら放つ一言。
「え?なんでそこで止めるの?その時点で失礼の対象がオレなんだって言ってるようなもんだけど?」
裕は理美の気持ちを知っている。どうせ貴志とオレを比べたんだろう。
そう思う裕とは対照的に、理美の頭の中は…。
山村くんってもてない要素がないんだよね。明るいし、優しいし、意外と紳士だし、顔面偏差値も結構高いし…。
理美、意外って何だ?
「山村くんが報われない恋ばかりしてるのが不思議だなあって考えてたんだよ」
理美、それを本人に対してストレートに言うのは残酷だよ。ほら、裕が机に突っ伏して泣いている。
「高島…最近言葉のスパイス強めだぞ」
隼人は呆れたように笑うと、熱々のフライドポテトを理美に差し出した。
「でも実際そうだよね。今日だってわざわざ瑞穂ちゃんと貴志くんを二人にしようって言われて、ここで集まってるわけだし。
わざわざ報われないように行動してるように見えるよ」
理美は隼人に手で礼をしながらフライドポテトをつまむと、コーヒー買ってくるねと席を立った。
「確かに高島の言う通りだな。お前、福原のこと、まだ好きなんだろ?」
隼人もそれは気になっているらしい。
友達として側にいる。それは会えないよりも辛いときだってあるはずだ。貴志が福原瑞穂に好意を向けているのならともかく、今の時点ではその気配はない。
なのに裕は満足気に笑っている。
「オレなりの誓いだからな」
それは貴志との協定と、瑞穂を応援すると言った自分自身の言葉。瑞穂の笑った顔が見たいから、裕は瑞穂の背中を押した。
「そう…その誓いがどんなものなのかを聞きたかったんだよ」
理美がトレイにフライドポテトとコーヒーを乗せて戻って来る。スレンダーな体型に反してポテトはLサイズだ。
瑞穂には「摂った栄養が全て胸と脳みそに回ってる」と恨めしそうに言われている。
ちょこんと腰掛けると、理美はコーヒーを一口飲んだ。すぐに不味そうに顔を歪める。
「やっぱりコーヒーは貴志くんが淹れたのを飲みたいね。
今から押しかけちゃう?」
悪戯な笑みを浮かべながら、理美は裕に提案してみる。きっと山村は「ダメだ」と返すだろう。
首を横に振った裕を見て、理美は静かに納得した。やはり二人を邪魔したくないらしい。
「ずっと気になってた事を聞いても良い?
山村くんって、坂木さんのこと好きだったんじゃない?」
まっすぐに裕を見つめる理美。しかしその手は止まることなくポテトを貪っている。
「随分な昔話を蒸し返してくるね」
裕は明言することなく否定もしなかった。それが坂木紗霧への想いを雄弁に語っている。
やっぱり…。坂木さんも、瑞穂ちゃんもそうだけど、山村くんが好きになる人は貴志くんを好きになっている。
それなのにどうして山村裕は北村貴志とずっと仲良くしていられるのだろう。
どうして?私は坂木さんへの嫉妬で頭の中がいっぱいだったのに。憎いとすら感じていたのに。
理美は貴志と裕の間に結ばれた「協定」を知らなかった。ただ二人の間にある「誓い」らしきものを空気で感じているだけだ。
裕がどうして瑞穂の背中を押すために、自分の恋を諦めるような素振りを見せるのか…。それを理美は知りたいと思っていた。
「瑞穂にはちゃんと告白して振られてるよ」
しげしげと自分の顔を見つめてくる理美に、裕は苦笑いを浮かべながら言った。
裕が瑞穂に告白したことは知っている。修学旅行1日目の夜、一晩中瑞穂が泣きながら話してくれたから。
あの時は理美自身も貴志に打ち明けたい気持ちを抱えていたから余裕がなかった。気持ちの落ち着いた今、裕の行動に違和感を感じる。
告白のタイミングが、どう考えてもおかしいのだ。
もう少し早ければ、瑞穂は貴志への気持ちに気付くことなく、裕の告白を受け入れていただろう。
もう少し遅ければ、貴志に振り向いてもらえない瑞穂を支えて、逆に好意をもぎ取る事が出来たかも知れない。
振られたから何?瑞穂ちゃんは山村くんを好意的に感じてる。まだチャンスは残っているはずなのに…。
理美は知っている。今の貴志は恋ができる精神状態ではない。
例え誰かを好きになったとしても、女子に触れることに潜在的な恐怖を抱えてしまった貴志は、相手の手を握ることすらできない。
恋人になれば当然求める最低限のふれあいすら出来ない。それが相手を傷つける事もある。貴志は、それを良しとして女子と付き合ったりできる人ではない。
それに貴志はまだ坂木紗霧を強く想っているはずだった。
「貴志くんは誰とも付き合わない」
貴志の坂木紗霧への気持ちを聞いた以上、理美が出せる結論はそれだけだった。
「それでも瑞穂が貴志を好きだって言ってるなら、オレはそれを尊重してやりたいんだ」
裕の目には迷いがない。ただその奥に得も言われぬ寂しさが見え隠れしている。
「相手の幸せを一番に考える。
オレと貴志は二人とも坂木さんが好きだった。あの頃に誓ったんだ」
瑞穂が貴志を好きだという以上、瑞穂にとっての幸せを第一に考える。
それが裕にとっての相手を想うという事。
「ごめんね…だったら、大切なこと忘れてないかな?」
貴志くんの坂木さんを想う気持ちはどうなの?彼が瑞穂ちゃんに好意を向けることなんてあるの?
だったら、瑞穂ちゃんはとても辛い恋をしている事になる。
それで彼女が傷つくことは本当に良いの?
「坂木さんのことならもう良いんだ」
裕の目が悲しそうに光る。潤んだ瞳が涙を湛えて揺れている。
「貴志は坂木さんに、さようならの一言を送信しちゃってるんだよ」
修学旅行で運命的なニアミスをした。それでも再会を果たすことが出来なかった貴志と紗霧。
紗霧はあの「別れ」から1年半が過ぎても貴志を想ってくれていた。だからこそ貴志は彼女の気持ちを自分に縛り続けないよう、自身も紗霧を忘れる決意をしたのだ。
そしてその気持ちをそのまましたためたメッセージを送信した。
「そんな…」
理美は絶句している。理美が紗霧への気持ちを懺悔した、あの夜の貴志の表情が脳裏に蘇る。
紗霧を想い、紗霧を傷つける全てのものに激しい憎悪を抱き、そして紗霧のいない孤独の中歯を食いしばって黙って耐え忍んでいる。
そんな貴志くんが坂木さんへの気持ちを忘れることなんて…。
「忘れるって言って、忘れられるなら苦労はないよな~。それができるならオレだってもう少し楽なんだけどね」
いつも周りを明るくさせている裕の太陽のような笑顔は翳っている。今まで山村裕はどれほどの孤独感や寂寞の想いを笑顔の奥に隠してきたのだろう。
「だけどこれは瑞穂にとっては追い風なんだ」
虚ろな笑みを浮かべて、裕はコーラを口に含んだ。
ぬるくなって炭酸の抜けたコーラは、まるで清涼感がなく、後味の悪い甘さが喉に張り付いていく。
裕は自分の気持ちごとその後味を飲み込んだ。