自転車との出会い【自転車と歩んだ4000日】
ある日事件は起こった。
健康診断結果が返ってきたのだ。御堂彰の頭をよぎったのは、
「ヤバいヤバイヤバイヤバイヤバイ」
語彙力を失った「ヤバい」の3文字。血糖値、中性脂肪値、LDLコレステロール値が正常域を突き抜けていた。
御歳30歳。いや、あと2ヶ月で31歳。いやいや、1歳変わったところでまだ若い。
死んだな…。そんな一言が頭をかすめていく。直ちに命に別状はない。しかし確実に体を蝕む数値がそこには羅列されていた。
「運動するか〜」
半泣きで呟いた彼に、同僚が声をかけた。
「自転車始めようぜ!そして目標はビワイチだ」
い・や・だ!
自転車は嫌いだ…。
御堂彰は自転車、特にロードバイクが大嫌いだった(このときにロードバイクという言葉は知らない)。
その昔、車を停めていた状態で、横からロードバイクが突っ込んできた。ホイールが曲がったと怒られた。御堂の運が悪いのは、エンジンのかかった車の運転席で携帯電話をチェックしていた事だ。その自転車乗りはそれをダシに、「警察を読んだら五万飛ぶぞ!二万で手を打ってやろう」
しぶしぶ二万円差し出した。職場の前で揉めたくなかったのだ。
今ならわかる。あの程度の衝撃でホイールは曲がらない。もっとエグい事故をしても問題なく使えている。そして…ホイールの歪みは二万円なんてチンケな金額では直らない…。
御堂は自転車が嫌いになった。
しかし!そんな事を言える状態か?震災鬱バリバリの精神を支えてくれる人が出来た。その人が僕を好きと言ってくれている。検査値を見て、本気で心配してくれている。
生きろと…言ってくれている。
その日の帰り、御堂彰は職場近くのスーパーセンターにいた。そのスポーツコーナーで自転車を眺めていた。
乗るならサスペンション欲しいな…。あ、ついてるのがある。ブリヂストンだ。
ん?4万8000円?高すぎないか?
御堂彰は自転車が嫌いだったのだ。その半年後、彼はその同じ口でいけしゃあしゃあと語るようになる。
「自転車買うなら、最低10万円は出したほうが良いですよ」
それは乗った人にしかわからない金銭感覚の崩壊だった。
ちなみにこの10万円は高いのか?金額的にはもちろん高い。しかし、パーツの性能や、その後のパーツ換装など、次から次に望むようになるステップアップを思えば…結果安いのだ。
それも知らない。サスペンションが一ヶ月かからずに邪魔だと感じることになることも知らない。
御堂彰は自転車が嫌いだったのだ。
こうして御堂彰は自転車を買った。
初めての愛車はオルディナE3。ブリヂストンサイクルの、サスペンション付きクロスバイク。真っ白な車体とフロントフォークのサスペンションが特徴で、その重さたったの14kg。
重い…なんてことも、この時は知らない。
しつこいようだが、御堂彰は自転車が嫌いだったのだ。
数日後納車の日を迎えた。
高くそびえたサドルは「危ないな」と、店を出てすぐに足が着く高さまで下げた。
サドルは足が伸び切らない程度に高く。足の重みでロスなくペダルを回すために…。
そんな事も知らないまま、御堂は自転車に跨り、そして漕ぎ出した。
自動車免許を取って数カ月後に、シティーサイクルで数km走り、筋肉痛になった。その後7年間放置されたシティーサイクルは、家の表でサビまみれになっている。
そんな彼が不安半分でペダルに体重を乗せ、サドルに腰を下ろし、ハンドルを握りしめる。
そして………。
風になった。
驚くほど静かにその瞬間がやってきた。1枚ずつギアを重くして、快感を感じる速度まで一気に加速する。
「うそ?速い!」
ヘルメットのない頭を打ち付ける風。嘘みたいに足が軽い。
あの筋肉痛以来、運動なんてまったくしなかった。一番の快感?そんなの部屋に籠もって1日ゲームをすることに決まってる。そんなインドア派御堂が、風の中に溶けていく。
気がつけば彼は自宅の前にたどり着いていた。
7年前と比べれば、20代から三十路の壁を越えている。すでに老化への廊下を歩んでいる。あの時よりも、もっと体は錆びついているはずだった。
そう…このあと数年かけて、御堂は何度も何度も実感することになる。機材の壁を。
これが初めて御堂彰が我が身で味わった「機材ドーピング」だった。
走り終えた感想は単純だった。
「気持ちいい〜」
頭の中に「一万年と二千年前から愛してる」と歌が流れる。自転車と体がひとつに溶け合い、別の生き物になったような気分だった。
人馬一体。
足の動きに連動して上がる速度。体が風を切る。
息は弾んでいるが、息切れは起こしていない。軽いランニングでも切れまくっていた呼吸が…だ。
「あれ?思ったより楽しいな」
運動習慣をつけるため、通勤を自転車に変えよう。そう思っただけの、そんな軽い気持ちだった。
しかし思った以上に楽しい。
家に入り、即通販サイトを開く。ライトやメーターなどの足りない部品をかき集めていく。
そして御堂はここで初めて考えた。
「どうせやるなら、目標が欲しいな」
目標は単純だった。
「死なない」
でもそれだけじゃ、目に見えたアウトプットを得られない。
結局同僚の言ったビワイチ、すなわち琵琶湖一周が当面の目標となった。
あともう一つ。自転車が嫌いになってから知り合った人に聞いていた、あのレース。
自分には縁のない話だと思っていたが、なぜか覚えていた。
「鈴鹿8時間エンデューロ」
自転車で挑む8時間耐久レースである。
あれには、出てみたいな〜。
この時の気持ちが、御堂の人生を驚くほどに左右することになる。下手をすれば本当に生き死にが分かれた瞬間だったかも知れない。
それはまたのお話。
とにかくこうして御堂彰は自転車と出会った。
最初の目標は、琵琶湖一周と鈴鹿エンデューロへの参加。
それは就職して以来、忘れていた…いや捨てざるを得なかったもの。
仕事以外での、自分自身のなりたい姿。人生の目標となった。
御堂は、あれから4000日以上の人生を、今も生きている。
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