途中の式
途中の式はめんどくさい
「思考・判断・表現」
でいうと「表現」を特化したものだから
「ねばならない」ということでもない。
「テストで書いてもどうせ読めへんやろ」
「最後が合ってたらええやん」
という生徒の負け惜しみ(酸っぱいブドウ)の声を後頭部に浴びながらも顔を挙げて言いたい!
「自分の思考を可視化するんや」
「勉強するのはめんどくさいを越えた先にある。見当たらへんのはまだ越えてないからや」
「途中の式を書く」
それを読むのは、私かもしれない。あなた自身かもしれない。一番可能性の高いのは、テスト前のあなた自身だ。定期テストまで日数があります。入試までも時間があります。
テスト前に「どうするんやったかな」と思ったとき、途中の式が書いてあると「そうだった!」となるでしょう。未来の自分への手紙だと思える。
そんな話をしたからか、ノートに
「テスト前の私へ ガンバレ」
って、書いていた生徒がいてた。カワイイ♥️
36×24
これも途中の式もかくの?
途中の式というか、筆算したのは残しておくべきやね。
最後で間違っているのに気づいたとき、どうする?全部間違い?
「どこで、何を間違えた」
となると、
① 計算ミスか表記ミスか、
② 以前習ったことのミスか
③ 今学習すべきことができていないか
分析して、自分を見直さなあかんよね。
例1
36×24
=(30+6)×(30-6)
=30^2-6^2
=800+100-36
=800+74
=874
って書いてあったら
どこで間違えたか分かるし、自分の癖も分かるし、次の対策も考えられるよね。
例2
答、836
って書いているだけでは、何をどう間違えたのか分からない。間違えたことだけしか分からない。
❌864
って、書きなおしても、次に繋がらないよね。
だからといって、ダラダラと全部キチンと書くのも疲れる。
頭の速さに手が追いつかないこともある。
では、どうするのか?
「いい具合」に不必要なときは書かない。
それなら「不必要」なときはどんなときか。
それは、「慣れ」が教えてくれる。
「え〜? そんなん なしや」
という生徒の声にも負けない。
オーバーフローがあってこそ いい感じが掴める。行き過ぎた行動でああここにボーダーラインがあるんやな、と感じる。
ここが「漢字ドリル」のような一見ムダとも思える浪費からの学習がある。
オーバーフローした後で、「あ、コレなくてもいけるやん」と悟る。悟るまでがんばれ。
自分を知る → 相手に伝える
なくても伝わる。
「テストでも書くの?」
全て記入式のテストを作ったこともある。授業中の分は大丈夫。だが、50分かけて解答したプリントを受け持ち生徒数見るのは大変!毎回2枚になる。すると、テスト監督の先生にも手間がかかる。回収する生徒にも手間がかかる。
ということで、大問題1つの中に小問が8つあるとすると、そのうち1つか2つを「途中の式を書きなさい」にする。
その2問だけは
「思考・判断・表現」の「表現」に重きを置きます。残りは「思考・判断」のみを採点します。
と、テスト前に宣言しておく。
あとで、泣きごとを言いに来る生徒もたまにいてるが、「テストは私があなたを推し量る道具です。何を量るかは、前に述べています」
場面にあった表現をすることを身につけてもらうことにする。
テストで何をしているのかも学んでもらおう!
授業でも「途中の式を書く練習」
36×24
=(30+6)×(30-6)
=30^2-6^2
=864
は、途中の式が書けている、とはいえない。
分数など、
(3a+5)/5 -(2a-7)/3
= (a-40)/15
も、これでは意味をなさない。
一行一行、「自分は今何の作業をしているのか」を確認する。メタ認知能力を高めながら書く。「相手に伝える」にはまず「自分を知る」ことから始めなければならない。
書きなぐることが「表現」とはいえない。
「表現」の練習。
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