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愛するということ ~中編~
午後は頭の働きが鈍くなってくるものですね。ぼーっとしてしまいます。
どうやら食後や夕方は、創造的な仕事には向いていない時間のようです。
頭を使う仕事は午前中、脳死でできる作業的な仕事は午後に回した方が賢明かもしれません。
さて、前編に引き続き、中編・後編も一気にやっていきましょう。
以降で扱うテーマは、
「愛の使いこなし方」
です。そのために愛を理論化・モデル化した、
「植木鉢・ジョウロ理論」
をご紹介します。一緒に吟味し、活用し、生活に役立てて行けたらと思います。
復習となりますが、もう一度愛の定義を振り返りましょう。
「愛するということは、相手の存在を無条件で肯定し、与えること」
でした。無条件という部分がミソでしたね。
では、どうやったら無条件で肯定できるのでしょう?
どうやったら与えることができるのでしょう?
以降では、そういった愛の使いこなし方に焦点を当てて、
実践的な愛する技術について論議していきましょう。
では参ります。
(1) 植木鉢・ジョウロ理論
愛は、以下の1〜5のように理論化・モデル化することができます。
1. 人の心は植木鉢。自尊心は植木鉢に咲いている一輪の花。
2. 愛は水。心の植木鉢には水が必要。
3. 人は皆、ジョウロを持っている。ジョウロからは無限に水を放水することができる。
4. ジョウロで他者の植木鉢に水を注いであげると、注いだ分と同じ量の水が、自分の植木鉢にも自動的に注がれる。
5. 他者から一定量の水を注いでもらえると過信し、植木鉢をその相手に差し出したにも関わらず、相手が水を注いでくれなかった場合、注いでくれるであろうと過信していた水の量と同等の量の水が、自分の植木鉢から蒸発し、無くなってしまう。
以上です。
とても何を言っているのかチンプンカンプンなので、順番に紐解いていきましょう。
では参ります。
1. 人の心は植木鉢。自尊心は植木鉢に咲いている一輪の花
ここでは、人の心を植木鉢に例えています。あなたの心である植木鉢にも、あなたの自尊心(自己肯定感)という一輪の花が咲いています。その一輪の花が凛と咲いていると、自尊心が高い状態です。枯れてしまっていると、自尊心が低い状態となります。
2. 愛は水。心の植木鉢には水が必要。
ここでは、愛を水に例えています。あなたの心にある植木鉢には、水のうるおい加減という概念が存在します。愛である水が少ないと、咲いている自尊心である花もしぼみます。水がたくさんあればあるほど、咲いている花も凛と輝きます。
3. 人は皆、ジョウロを持っている。ジョウロからは無限に水を放出することができる。
ここでは愛の発生源をジョウロで例えています。あなたの持っているジョウロからは、愛である水を無限に注いであげることができます。
4. ジョウロで他者の植木鉢に水を注いであげると、注いだ分と同じ量の水が、自分の植木鉢にも自動的にそそがれる。
これは愛の返報性の原理を例えています。
愛犬のペットを撫でた時、自分の子供を抱きしめた時、ご老人に優しい行いをした時、困っている人を助けた時、好きな人と触れ合った時、
あなたの心は暖かく満たされると思います。これが愛の返報性の原理です。
他者の心の植木鉢に、あなたのジョウロで水を注いであげると、それと同じ量が自分の心の植木鉢にも自動的に注がれるのです。
5. 他者から一定量の水を注いでもらえると過信し、植木鉢をその相手に差し出したにも関わらず、相手が水を注いでくれなかった場合、注いでくれるであろうと過信していた水の量と同等の量の水が、自分の植木鉢から蒸発し、無くなってしまう。
これは愛されると過信していた状態で愛されなかった時に発生する心のショック・傷つきを例えたものです。恋愛においては、「失恋」という言葉をよく使いますが、例に挙げた状態はまさに「失愛」です。愛を失うのです。
愛してくれると過信していた母親に見捨てられた時、愛してくれると過信していた恋人に見捨てられた時、愛してくれると過信していた友人に見捨てられた時、
人は愛を失います。
失う愛の量は、注いでくれると過信していた愛の大きさと同等の量となります。
以上が愛の理論・モデルである、
「植木鉢・ジョウロ理論」
です。
後編へ続きます。
中野