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わがまま われのあるがまま

自分解放
自己肯定感を上げる
良く最近聞く言葉。
そして、私もそんなセミナーを受けたりして、自己投資をしてきた。結果は、受けたからこそ知り得たことがあり、人の言葉に感情が左右されていたが、その影響もだんだんと受けなくなった。

私は以前、「人に合わせる」ことが得意だった。
今考えると、その方が楽だったからだ。
自分で決断しなくてよくて、人に流されていれば、仲間はずれされることもない。程よく集団の中に居られる。

でも、時々、本音の自分が出てきて、合わせるのがしんどくなった
それは、ちょっとずつ、社会人になってから、顔を出すようになる。
社会人として当たり前ではあるが
会社勤めであれば、時間厳守
出勤時間の決まり
会社の方針に合わせる
親になれば、子どもの見本
食事、洗濯、掃除ちゃんとした妻
子どものスケジュールに合わせる
自分の思い通りには、動けない。

それは当たり前。
だって、雇われているんだから。
だって、親なんだから。
だって、大人なんだから。
わがままなんて言っちゃダメだ。
足並みを揃えて、でしゃばったりしない

本音の自分が、押さえつけていたフタを破って出てきた。
なんで、私ばっかり我慢しているんだ!!
自分らしく生きたい。
私って、だれ?なに?
誰か、正解くれないだろうか。
こんな状態で、自己探索の旅が始まった

本当の自分はどんな人間なのか。その探求から始まり、基となる自分を見つけることもできた。
これで、自分は楽しく生きれると思った。
でも、現実はそう簡単にはいかなかった。

基となる自分は、幼児のあどけなさや素直さがある
けれども、それを人生の折り返しの大人になった自分が出すと、ただの「わがまま」なのだ。
自分以外の人を無視した暴走で、迷惑がかかる。
なんとも馴染めない、自分が存在し、その違和感に息苦しくなる。
そして、また前の合わせる自分へと戻っていく。

核となる自分を持ったまま、現実社会を生きるには、
自分というものを自分が理解し、
世間とマネージングをし、
他人にわかる言葉で表せる
これが必須となる

今の私はこの段階だ。
「われのあるがまま」を他人に伝える
その言葉を拾い集め、パズルしている

この46年、たくさんの鎧で、自分を着飾ってきた。
それを取っ払って、基の自分を出すのは、ちょっと気恥ずかしくもある。
でも、着飾らない自分でいられるときはとても軽やかだ。
それを常に、暴走せず出せ、生きていく道を私は歩む。

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