正倉院に残る蕨手刀と、阿波鴨島出土の蕨手刀は同時代のⅢ型鋒両刃造りである。
阿波説を裏付けるか
西日本で出土される蕨手刀は数少ない。
正倉院伝世刀の蕨手刀と近い造りのものが阿波鴨島(西宮古墳近く)から出土している。
鴨島出土品には鉄板の墓誌板が添えられていた。
阿波鴨島に持統天皇の藤原宮があったという説を裏付ける一つの根拠になると思いませんか。
鴨島町誌 より
徳島県の歴史 (県史シリーズ ; 36) より
福井好行 著 山川出版社, 1973
徳島の遺跡散歩 より
西宮古墳、敷島神社の紹介動画(GPW)
装飾大刀の変遷
蕨手刀は7世紀ごろの大刀である。
当時まで、奈良・河内や地方の豪族が争って古墳を巨大化していたため、大化の改新で薄葬令が発布された。身分に応じて墳墓の規模などを制限した勅令が出された。
その後墳陵は小型簡素化され、前方後円墳の造営がなくなり、古墳時代は事実上終わりを告げる。
ちなみに阿波でいちばん大きな古墳は、5世紀中頃の渋野丸山古墳(前方後円墳、全長約90m、大仙陵古墳と似た造り)
東北の鉄文化 蕨手刀 高橋信雄
https://www.jstage.jst.go.jp/article/materia1994/34/10/34_10_1144/_pdf
ポイント:
Ⅲ型のように、柄長に較べ刃長が短いものが古い。
Ⅲ型には、正倉院(伝世)や、徳島県吉野川市鴨島町敷地西ノ宮出土 蕨手刀(東京国立博物館展示)などがある。
大化の改新・白鳳時代を経て、西日本は統治が進んでいたが、諏訪・東北以北の方はまだ勢力圏に入ってなかったため、蕨手刀のような当時の刀剣が多く必要とされたのではないか?
また、蕨手刀は根元に紐を通すための丸穴が開いており、馬上で使う刀剣として重宝されたのではないか。
蕨手刀 : 日本刀の始源に関する一考察 石井昌国
石井昌国 著 雄山閣出版, 1966