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087. 利益を期待しない学習――生涯学習先進国

寺子屋を語るときに、対比としてよく各藩の教育機関として藩校が話題になります。藩校は寺子屋より年齢が高い武家の子弟を対象にした成人教育機関であり、多くが維新になって学校として改革されました。小学校や県立高校が旧城跡に設置されているのはこの名残です。論語や漢学を教えた私塾も、多くは藩校と同じで成人学習機関です。
こうしたさまざまな形での教育が、江戸時代を通じて活発に行われましたが、そこで学ぶ人たちのねらいは、読書そろばんを学ぶことで職業につく機会を得ようとする意味はありましたが、基本はあくまでも教養を身に着けることにありました。
たとえば、中国でも多くの人たちが日本の藩校や私学と同じように論語や四書五経などを学びましたが、儒教などの基本的なねらいは役人への登用を目指したり、役人への登竜門である「科挙」受験を目指したりするものでした。欧米の教育もどちらかと言えば、教育を受けることによって地位や収入の増大をめざした投資型・資格取得型です。
それに比べて、日本では教育は、利益を目的としたものではありませんでした。庶民の寺子屋での学習を含めて、教育を受けるということが、経済的な対価や資格取得などのメリットを求める目的ではなく、あくまでも個人としての教養を高めること、自身の人間性や品格を高めることがねらいであった、という特徴がありました。
前掲の「現代農業」増刊『すべては江戸時代に花咲いた』で入江は、「日本では伝統的に、生涯にわたって人格を修養し、精進して芸を磨くという考え方があった」と書いています。
最近のことばでいえば、リベラルアーツ教育ということになるでしょうか。
世界を見ても日本の特徴として一般社会人を対象にしたカルチャーセンターなどが人気で、各新聞社の系列会社が行っている講座はどこも盛況だということがあげられます。受講生の中心は学ぶことを楽しむ人たちで、利益誘導型はわずかです。
元慶応義塾大学教授で教育学者の村井実は、明治維新以後の日本の目覚ましい近代化の根源力が、すでに江戸時代の教育にあったと主張して、「江戸時代の教育」を著したイギリス人ドーアを紹介しています。
ドーアによれば、

「江戸時代の教育が、たんに「善い武士」「善い百姓」「善い町人」の教育に止まらず、常に、「より善い武士」「より善い百姓」「より善い町人」への教育であり、その意味で人々に向上の意欲を育て上げることができた。・・・・それが明治以後の日本の発展を、他に類をみないほどのものにしたと指摘している」(⑧「現代日本の教育・改訂版」村井実、NHK市民大学叢書37)。

(⑧「現代日本の教育・改訂版」村井実、NHK市民大学叢書37)

と紹介しています。
言い換えれば、寺子屋や藩校での教育は、いまでいう生涯教育にあたり、このほかにも江戸の町では、さまざまな社や社中、連、講などが広く行われていました。プログラムは多様で、国学、蘭学、和歌、俳諧、さらには和裁や生け花、茶の湯、三味線、琴、小唄・端唄・浄瑠璃など、芸能の家元制度まで多彩な組織を形成していました。
男子だけでなく町家の妻女なども同様に、こうしたものを趣味のサークルとして楽しんでいたようです。町にこうした習い事を教えるお師匠さんがいて、特異な存在ではありましたが、芭蕉が俳諧師として自立できる状態でもあったこともその一例でしょう。
寺子屋での教育は、論語などの素読が主でしたから、科学的な知識は後れをとっていたとしても、江戸時代末期の庶民には、新しい西洋の知識を受け入れ、消化するための基礎的な素養は十分あったと理解していいでしょう。


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