054.水時計で開閉門時間をち密に管理
朝廷の役所の門の開閉時間も記されています。「諸門の開閉時刻は鼓をうって知らせることになっていましたが、その時刻が、不定時法に合わせて季節の日照時間の変化とともに少しずつずらされて設定されているのです。
延喜式が作られた延喜5(905)年-延長5(927)年のころの時間は朝廷に設置された陰陽寮という役所の漏刻(水時計)で管理されていました。そんな設備で、毎日の日の出/日の入りの時間の変化を確認し、それに合わせて門の開閉時間を管理するなどという発想はどこから出てくるのでしょうか?
ちなみに、日の出時間の変化は、いまで言えば、一日およそ45秒です。1週間で約315秒、約5分と少し変化します。これを水時計で計測・管理するという緻密さは、驚きです。この細かさはそのまま、世界にも驚かれる電車の発着時間の秒単位の管理発想に通じているように思います。
不定時法では、日の出が明六つ、日の入りが暮六つとなりますから、定時法でみればこの日の出/日の入りの時間は、毎日変化することになります。
2023年の東京の日の出(明六つ)/日の入り(暮六つ)時間の変化を見ると、
・春分の日(3/21):日の出(5:44) / ・日の入り:(17:53)
・夏至の日(6/21):日の出(4:25) / ・日の入り:(19:00)
・秋分の日(9/23):日の出(5:29) / ・日の入り:(17:38)
・冬至の日(12/22):日の出(6:47) / ・日の入り:(16:32)
という具合です。
日の出(明け六つ)、日没時間(暮れ六つ)は、年間で2時間以上、1日に約45秒変わります。1週間で5分前後、ひと月に20分前後変化します。
不定時法の環境で、毎日、日の出・日の入りに開門、閉門しようとすれば、漏刻の時間の進み方、つまり水の溜まり方を毎日チェックしておかなければなりません。延喜式では1年間を40期に分けて、昼夜ごとに、21通りの目盛を作成し、日の出/日没に合わせて、1期ごとに開門、閉門時間をずつずらしているのです。
一例として春分のころを示すと、
春分3日より9日に至る
日出 卯の三刻 卯の二刻四分開諸門鼓 卯の四刻五分開大門鼓
日入 酉の三刻 巳の三刻八分退朝鼓 酉の三刻六分閉門鼓
当時、一日は12の時(とき:十二支、子~亥、2時間おき)にわけられ、1時は4つの刻(30分おき)に分けられていました。そしてさらに1刻は10(3分おき)に分けられていました。つまり3分の細かさで管理されていたわけです。
なので、上記の開閉門時間を現代風に直してみると、
春分3日から9日までは日の出 午前6:00、日没午後6:00
午前5:42開諸門鼓 午前6:45開大門鼓
午前10:24退朝鼓 午後6:18閉門鼓
ということになります。
2023年の東京の日の出5:44、日の入り5:53と紹介しましたが、この時間は、京都で見ると、ほぼ6:00頃に近いのです。当時の漏刻により時間管理はかなりの精度があったことがわかります。
古代から、時間管理は支配者の特権で、この時代も、時間は朝廷が太鼓を叩いて知らせていました。太鼓の叩き方も、定時の通報、開門・閉門、その他行事の開始・終了時間の知らせ……などなど、それぞれ規定されています。
こんな面倒な作業をよくやるものだ、とあきれますが、こうしたこだわりが現代の私たちにないかと言えば、「そういえば……」と思い当たる節もないわけではありません。
それにしても、現代の会社もびっくりの、見事な出張旅費規程、物流規程、作業規定、時間の進捗管理ではありませんか。
これらは、わたしたちがいま一般に、標準と呼んでいるものにほかなりません。
科学的管理法に先立って1000年以上も前に、先人がこんな細かい規定を作り、それで業務を処理していたことをみると、私たちの祖先が計数管理に弱く、どんぶり勘定で行っていたと、言ってしまっては、申しわけない気がしてきます。