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060.不定時法に合わせて自動化――和時計の工夫

江戸時代を通じて、農業においても道具や装置は大きく工夫・改善されてきましたが、日本人の機械的な工夫という点でよく語られるのは、からくり人形と和時計づくりの技術です。
とくに和時計は、不定時法というややこしい仕組みの中で工夫された、世界にもまれな道具です。こんな時計を生み出す国、こんな面倒な工夫を実際にやってのける国民は、世界でも希少価値、日本人くらいでしょう。このことだけでも、ものづくりにおける日本人の特殊性が分かるような気がします。
前章の延喜式の項でもご紹介しましたが、不定時法では、日の出が常に「明六つ」、日没が「暮六つ」です。どうして両方とも「六つ」なのか、少しややこしくなりますが、江戸時代までの、日本の時刻の進み方を見るとわかります(図6-5 不定時法の時刻)。
夜中の0時「子:ね」の刻から、1とき(2時間)おきに丑(2時)・寅(4時)・卯(6時)・辰(8時)・巳(10時)・午(12時)・未(14時)・申(16時)・酉(18時)・戌(20時)・亥(22時)と12分割して進み、また次の日の子(0時)にもどります。
これが刻限(とき)で言えば、九つ (子:0時)・八つ (丑:2時)・七つ (寅:4時)・六つ (卯:6時)・五つ (辰:8時)・四つ (巳:10時)と進み、また九つに戻って、九つ (午:12時)・八つ(未:14時)・七つ (申:16時)・六つ (酉:18時)・五つ (戌:20時)・四つ (亥:22時)とすすんで、また九つ(子:24時/0時)に戻ります。
この1刻(とき)ごとに九つ、八つ、七つと数が減っていく仕組みが、落語の「時そば」の支払いで片方は1文を得し、マネをした与太郎は4文を損するという物語のネタになっています。
 
図6-5 不定時法の時刻制度 


日本の標準時で見ると、夏至は昼が14時間31分(夜は9時間29分)。冬至は、昼の長さは9時間56分(夜の長さは14時間04分)になります。江戸時代には、昼・夜をそれぞれ6等分して1刻(とき=2時間)としていましたから、これを時計にすると、夏至の日の時計は、昼間の1刻の長さは2時間23分、夜は1刻を1時間47分にする必要があります。昼は時計をゆっくり進め、夜は早く進めるわけですね。
日出時間/日没時間は季節の推移とともに毎日変化しますから、1刻の長さも毎日変化します。それに合わせて、針の進む速さを毎日変えなければいけません。昼の長さは、夏至から冬至にかけては、毎日1分31秒ずつ短くなり、夜の長さは逆に毎日1分31秒ずつ長くなります。
時計を作るとすれば、こんなややこしい時間の進み方を調整しなければなりません。そんな複雑な時計をだれがつくるでしょうか。
不定時の時計は、1710年ころに作られた不定時法の文字盤をつけた時計が旧パリ天文台に残されているそうですが(国立科学博物館研究報告 E類(理工学)第27巻「旧パリ天文台の不定時法文字盤の天文時計」佐々木勝浩、2004)、これは決して一般的ではありません。
定時、つまり、一定の速さで時間が進むから機械式の時計が作れるのであって、1分の長さが毎日変わるのを、どうやって機械化するのか、時間の進み方を一定にすればよいではないか……というのが合理的な考えでしょう。いまであれば、半導体を使用したデジタル時計のプログラムで可能でしょうが、アナログでは厄介な機構が求められます。
ドイツ人に日本では不定時の自動時計があると和時計を紹介したことがありましたが、「意味が分からない」と言われました。定時法にすればよいのに、なぜいつまでも不定時法などというものを使うのか、それが分からないという意味と、そんなものを自動化しようという発想が分からないという両方の意味です。合理的な考えですね。
時計作りの細工や加工の技術があるかどうかという問題以前に、ことは、時間の進み方が毎日変わる不定時法という仕組みを受け入れて、それに合わせて道具を工夫してしまうという対処の仕方が、同じように技術に関心を持っている国民とはいえ、彼等には不可解なのでしょう。
このあたりのニュアンスは、ドイツ人だけではなく、日本人以外には理解不能かもしれません。

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