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098.異質な文化や価値観を共有する

改めて、私たちの過去から続く、ものづくりへのこだわりを見ていると、日本人は、もしかすると、ものづくりを高度化するために生まれてきた民族ではないかと思うほど、ものづくりのプロセスに抱く関心の強さは超弩級です。
わたしたちがこれまでに作り上げてきた高度なものづくりの技を、未来に向けてさらにブラッシュアップしていくことが重要だということについて、どなたも異論はないと思います。
国内からものづくりの場が消えつつあるなかで、日本のものづくりは終わりだという人がいますが、わたしは、まだまだ大きな可能性を秘めていると考えています。というよりも、むしろこれからが日本の感性を世界にアピールする本番ではないかと思います。
これまでわたしたちは西洋の科学技術を礼賛し、どちらかと言えば伝統的な考え方や行動様式を古いもの、劣るものとして退けてきました。
しかし、私たちが古いものとして退けてきた日本古来の伝統の上にあるものは西洋の文明から見ると、これまで全くなかった、新しいもの、新しい文化や価値観を持った新鮮なものであるという認識が欧米から表明されるようになってきました。文化遺産に登録された和食の世界、素材を加工し、味わうそのやり方もその一例です。
一神教に対して、万物に神が宿るとする発想は、西洋思想から見ると、目からうろこのものでしょう。地球にはさまざまな民族が住んでいます。一つの価値基準ですべてを序列化するのではなく、それぞれの民族が独自の価値基準と文化を持って共存する、いわば、八百万の神の存在が、地球の共生という観点からも自然な発想であることは言うまでもありません。
それはある意味で、これまで競い合うことで自己の正しさを主張し合ってきた西洋の文明が、自分たちと価値観を共有しない他者の存在とそのもつ異質な価値観を先入観なく認め始めたということかもしれません。多様な森がエコロジカルに安定するというのは自然の摂理です。
西欧の文明が、明治以来、異質の存在として列強の仲間入りしようとしてきた東洋の小国に対して、その文化や価値観を理解するまでに150年という時代が必要だったということでしょうか。コミュニケーションを正しくかわすということが、いかに長い時間を必要とするものかということかもしれません。

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